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和歌歳時記メモ 柳蓼2009年10月14日

柳蓼
犬蓼と同じくタデ科の一年草。犬蓼は街なかでもよく見かけられ、路傍や原つぱなど至るところに生えてゐるが、柳蓼は川べりや水田のふちなど、水辺でしか見た記憶がない。しかし単に「蓼」と言ふ時は、この柳蓼を指すことが多いらしい。本蓼・真蓼とも。古歌に「水蓼」「青蓼」などと詠まれてゐるのも柳蓼或はその変種と思はれる。
犬蓼よりも花の色が薄く、また犬蓼ほどびつしり穂をつけた草は余り見かけない。犬蓼に比べると、寂しげな感じのする花で、むしろ風情はまさつてゐるのではないだらうか。
葉は細く柳に似、柳蓼の名はこれに由来する。辛味があるせゐで「蓼食ふ虫も好き好き」の諺では見下されたやうな恰好であるが、若葉は魚料理などに欠かせない香辛料とされてきた。
『好忠集』(四月中) 曾禰好忠
やほ蓼も川の瀬みればおいにけり辛しやわれも年をつみつつ
「やほ蓼」は万葉集にも用例があり、「八穂蓼」すなはち花穂をたくさん付ける蓼。好忠の歌では「辛(から)し」とあるので、おそらく柳蓼のことであらう。「おいにけり」に「生いにけり」「老いにけり」を掛け(「生い」は正しくは「生ひ」であり仮名違ひであるが)、「つみ」には「摘み」「積み」を掛けてゐる。香辛料に摘まれる草に言寄せて、老境の身を嘆いた歌である。
琴後(ことじり)集』(蓼) 村田春海
からきにも馴るれば馴れて過ぐす世に蓼はむ虫を何かとがめむ
「蓼はむ虫」は「蓼くふ虫」と同じことで、昔から同じ意味の諺が使はれてゐたことが知れる。辛い葉をわざわざ好んで食ふ虫をなぜ非難しよう。辛いことばかり多い世の中、その辛さに馴れて過ごしやるしかない人生ではないか。
このやうに昔の歌では味が辛いことに引つ掛けた述懐色の濃い歌が多い。この花独特の風情を生かした歌を探してみると、
『亮々遺稿』(蓼) 木下幸文
故郷を秋きて見れば水かれし池の汀に蓼の花さく
あたりが辛うじて見つかる程度で、少し寂しい気がする。
「蓼の花」と言つても、他に桜蓼、白花桜蓼、大犬蓼などなど、それぞれに花の趣は異なる。この季節、河原などを訪ね、さまざまな花穂を見比べてみるのも楽しい散策とならう。

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『万葉集』(平群朝臣が嗤ふ歌一首)
わらはども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣(あそ)が腋くさを刈れ

『山家集』(題しらず) 西行
くれなゐの色なりながら蓼の穂のからしや人の目にもたてぬは

『風情集』藤原公重
みづたでの穂にいでて物を言はねどもからきめをのみ常に見るかな

『亮々遺稿』(虫) 木下幸文
蓼の花咲きみだれたる山川の岸根にすだく虫の声かな

『柿園詠草』(秋哀傷) 加納諸平
露霜の 秋さり衣 吹きかへす 風を時じみ 蘆垣の 籬にたちて もみぢ葉の すぎにし人を うつらうつら 恋ひつつをれば 蓼の穂に 夕日くだちて 雁なきわたる

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