千人万首に清水谷実業をアップ ― 2009年11月22日
千人万首に清水谷実業をアップしました。近世初期の公家歌人です。
三条西家の血をひきますが、西園寺家の一門清水谷家の養子になり、権大納言を勤めました。元禄の内裏歌壇に重きを置いた歌人で、どの歌も腕の冴えを見せ、唸らされるような作品ばかりです。千人万首に採らなかった歌より幾つか。
落花似雪
散りぬるを嵐の科になしてみん消えだに残れ花のしら雪
夏山
夕立の雲はふもとの峰こえて照る日かかやく雪の富士の嶺
白氏文集卷二十五 寄殷協律 ― 2009年11月22日
五歳優游同過日 五歳の
一朝消散似浮雲
琴詩酒伴皆抛我
雪月花時最憶君
幾度聽鷄歌白日
亦曾騎馬詠紅裙
呉娘暮雨蕭蕭曲
自別江南更不聞 江南に別れてより更に聞かず
【通釈】五年の間、君と過ごした楽しい日々は、
或る朝、浮雲のように消え散ってしまった。
琴を弾き、詩を詠み、酒を交わした友は、皆私のもとを去り、
雪・月・花の美しい折につけ、最も懐かしく思い出すのは君のことだ。
幾たび「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったろう。
馬にまたがり、紅衣を着た美人を詠じたこともあった。
呉娘の「暮雨蕭々」の曲は
江南に君と別れて以後、二度と聞いていない。
【語釈】◇五歳の優游 五年間楽しく遊んだこと。◇聽鷄歌白日 「黄鷄」を聴き、「白日」を歌う。「黄鷄」「白日」は詩人が杭州にいた頃聞いたという歌の曲名。◇呉娘 「呉姫」とする本も。呉二娘とも呼ばれた、江南の歌姫。「暮雨蕭蕭、郎不歸」(夕暮の雨が蕭々と降り、夫は帰らない)の詞を歌ったという。
【補記】江南の杭州を去った白居易が、杭州時代の部下であった協律郎(儀式の音楽を担当する官職)
【影響を受けた和歌の例】
いくとせのいく万代か君が代に雪月花のともを待ちけん(式子内親王『正治初度百首』)
白妙の色はひとつに身にしめど雪月花のをりふしは見つ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
面影も絶えにし跡もうつり香も月雪花にのこる頃かな(土御門院『御集』)
よしやその月雪花の色もみなあだしうき世のなさけと思へば(伏見院『御集』)
入るを恨み消ゆるを惜しみうつろふを嘆くや同じ心なるらむ(加藤千蔭『うけらが花』)
夕月のかげもひとつにかすみつつ花につづける富士の白雪(松平定信『三草集』)
見れどあかぬ月雪花の三つあひにわが玉の緒は縒りや掛けまし(加納諸平『柿園詠草』)
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