雲の記録20091208 ― 2009年12月08日
雲の記録20091209 ― 2009年12月09日
千人万首に堀田一輝をアップ ― 2009年12月10日
千人万首に堀田一輝をアップしました。三首。近世前期、徳川光圀と同時代の人で、幕府の御留守居を勤めた旗本です。
光圀が編ませた地下歌人の和歌撰集『正木のかづら』では光圀に次ぐ十四首を採られ、地下歌壇で重んじられていたことが知られます。入撰歌は佳詠ばかりと言って過言でなく、社会的地位の高さゆえ撰歌基準を甘くされたなどということはなさそうです。
千人万首には採らなかった歌よりいくつか挙げてみましょう。
野春雨
矢田の野のあさぢ色そふ春雨にあらちの山の雪や消ぬらむ
河夕立
駒とめて待つほどもなく晴れわたるひのくま河の夕立の空
河月
水無瀬川水のうき霧末はれて山もと遠く月ぞほのめく
霜
さゆる夜のあらしの後にむすぶらし朝の霜のあさぢふの庭
万葉集や代々勅撰集の名歌の語彙・歌枕・情趣などを巧みに取り入れ、しかも新味をひとふし添えています。音調にも細心の注意が払われ(最後の歌の「あ」の頭韻など)、よほど和歌に入れ込んでいないと作れないような歌ばかりです。武士が余技として和歌を楽しんだなどというレベルからは懸け離れています。
注目すべき幕臣歌人だと思うのですが、各種の人名辞典を調べても、この人の記載は見つからず、生没年も系譜も知ることができません。
唐詩三百首 江雪 ― 2009年12月10日
江雪 柳宗元
千山鳥飛絶
萬徑人蹤滅
孤舟蓑笠翁
獨釣寒江雪 独り釣る
【通釈】山という山には鳥の飛ぶ影が絶え、
一艘の小舟に、蓑と笠をつけた
ただ独り釣をしている、雪の降る寒々とした川で。
【語釈】◇萬徑 多くの小道。「萬逕」とする本もある。◇寒江 寒々とした川。普通名詞。
【補記】政治改革運動に失敗して永州に流されていた時の作という。「千」と「萬」、「孤」と「獨」が対偶をなし、この上なく端整簡潔なスタイルに孤愁みなぎる五言絶句。評者の多くは孤舟の翁に詩人の自画像を見る。
【作者】柳宗元(773~819)は中唐の詩人。河東(山西省永済県)の人。徳宗の貞元九年(793)の進士。永貞元年(805)順帝の即位と共に礼部員外郎に任ぜられ、政治刷新運動に参加するが、順帝の退位によって改革は失敗、永州(湖南省零陵県)の司馬に流された。元和十年(815)、都に召還され、柳州(江西省柳江)の刺史に任ぜられて同地に赴き、間もなくそこで死んだ。散文家としても知られ、『柳河東集』四十五巻を残す。
【影響を受けた和歌の例】
降りつもる雪には跡もなごの江の氷を分けて出づる釣舟(頓阿『頓阿句題百首』)
鷺のゐる舟かと見れば釣人の蓑しろたへにつもる白雪(正徹『草根集』)
島山の色につづきて
白氏文集卷十六 香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁 ― 2009年12月11日
日高睡足猶慵起 日高く
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香鑪峯雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處 心
故鄕何獨在長安
【通釈】日は既に高く、眠りはたっぷり取ったが、それでも起きるのは億劫だ。
高殿の部屋で掛布団を重ねているから、寒さは怖くない。
遺愛寺の鐘は枕を斜めに持ち上げて聞き、
香鑪峰の雪は簾をはねあげて眺める。
蘆山とはこれ名利を忘れ去るところ、
司馬とはこれ余生を過ごしやる官職。
心身ともに穏やかであることこそ、安住の地。
故郷はどうして長安に限られようか。
【語釈】◇香鑪峯 香爐峰とも。廬山(江西省九江県)の北の峰。峰から雲気が立ちのぼるさまが香炉に似ることからの名という。◇小閣 「閣」は高殿・二階造りの御殿。「小」は自邸ゆえの謙辞。◇遺愛寺 香鑪峰の北にあった寺。◇欹枕 枕を斜めに立てて頭を高くすることか。◇撥簾 簾をはねあげて。「撥」を「はねて」と訓む注釈書もある。また和漢朗詠集では「撥」を「卷」とする古写本がある。◇匡廬 蘆山。周代、匡俗先生と呼ばれた仙人がこの山に住んだことから付いた名という。◇逃名地 名誉・名声を求める心から逃れる場所。◇司馬 長官・次官より下の地位の地方官。
【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。『和漢朗詠集』巻下「山家」の部に「遺愛寺鐘敧枕聽 香爐峯雪撥簾看」の二句が採られ、『枕草子』を初め多くの古典文学に言及されて名高い。和歌に多用された「簾まきあげ」「枕そばだて」といった表現も掲出詩に由来する。
【影響を受けた和歌の例】
名にたかき嶺ならねども玉だれのあげてぞ見つる今朝の白雪(参河内侍『石清水若宮歌合』)
さむしろにあやめの枕そばだてて聞くもすずしき時鳥かな(藤原為忠『為忠家後度百首』)
暁とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな(藤原俊成『新古今集』)
玉すだれ巻きあげて見し峰の雪のおもかげながら向かふ月かな(三条西実隆『雪玉集』)
吹きおくる花はさながら雪なれや簾まきあげてみねの春風(同上)
降りいるや簾を巻きて見る峰の雪もまぢかき花の下風(三条西公条『称名集』)
玉すだれ巻きなん雪の峰もなほ見やはとがめぬ山におよばじ(烏丸光弘『黄葉集』)
まきあげぬ宿はあらじな玉すだれひまよりしらむ雪の遠山(松永貞徳『逍遥集』)
わがをかにみ雪降りけり玉だれのをすかかぐらん都方びと(橘千蔭『うけらが花』)
【参考】『枕草子』
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、少納言よ、香爐峯の雪いかならんと仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ給ふ。人々も、さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ、なほ此の宮の人にはさべきなめりといふ。
『源氏物語』総角
雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめ暮らして、世の人のすさまじき事に言ふなる十二月の月夜の、曇りなくさし出でたるを、簾捲き上げて見たまへば、向ひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬ、とかすかなるを聞きて、
おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば
雲の記録20091212 ― 2009年12月12日
雲の記録20091213 ― 2009年12月13日
白氏文集卷十五 歳晩旅望 ― 2009年12月14日
歳晩旅望 白居易
朝來暮去星霜換
陰慘陽舒氣序牽
萬物秋霜能壞色
四時冬日最凋年
煙波半露新沙地
鳥雀羣飛欲雪天
向晩蒼蒼南北望 晩に向ひ
窮陰旅思兩無邊
【通釈】朝が来ては夕が去り、歳月は移り変わる。
陰気と陽気が往き交い、季節は巡る。
万物に対しては、秋の霜がひどくその色をそこなう。
四季のうちでは、冬の日が最も一年を衰えさせる。
煙るような水面に新しい砂地が半ばあらわれ、
小鳥たちが雪もよいの空を群なして飛んでゆく。
夕べ、蒼々と昏れた空に北方を望めば
冬の果ての陰鬱も旅の憂愁も、限りなく深い。
【語釈】◇朝来暮去 日々が繰り返すこと。◇星霜 年月。歳月。◇陰惨陽舒 陰気と陽気。曇って傷ましい気候と、晴れて穏やかな気候。◇気序 季節の順序。四季。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇新沙地 新しい砂地。◇鳥雀 鳥と雀。里にいる小鳥。◇蒼蒼 夕空の蒼く澄み切ったさま。◇南北望 南北方向に望む。つまりは北の長安の都を望郷する。◇窮陰 冬の果ての陰気。◇旅思 旅愁。「離思」とする本もある。
【補記】元和十年(815)の暮、旅中にあって晩冬の景を眺め、旅の思いを述べた詩。「萬物秋霜能壞色 四時冬日最凋年」の二句が和漢朗詠集の巻上冬、「霜」の部に引かれる。次に引用する和歌は、すべて「萬物秋霜能壞色」を句題とした作である。
【影響を受けた和歌の例】
秋の色を冬の物にはなさじとて今日よりさきに霜のおきける(慈円『拾玉集』)
下草の時雨もそめぬ枯葉まで霜こそ秋の色はのこさね(藤原定家『拾遺愚草員外』)
暮れてゆく秋を思はぬ常磐木も霜にはもるる色なかりけり(寂身『寂身法師集』)
雲ゐゆくつばさも冴えて飛ぶ鳥のあすかみゆきのふるさとの空(土御門院『玉葉集』)
夕こりの雲もむれゐる雪もよにねぐらや鳥のおもひ立つらん(望月長孝『広沢輯藻』)
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