不義而富且貴
子曰、飯疏食飮水、 子の曰く、疏食を飯ひ水を飲み、
曲肱而枕之、樂亦 肱を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦
在其中矣、不義而 其の中に在り。不義にして
富且貴於我如浮雲 富み且つ貴きは我に於いて浮雲の如し。
【通釈】先生が言われた、「粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を枕にして寝る。楽しみはやはりそんな暮らしにもあるものだ。義に背いて富を得、高い地位を得ても、私にとってそんな生活は浮雲のようにはかない」。
【補記】述而編第七の十五の全文を引用した。富については里仁編にも言及があり「富と貴きは、是れ人の欲する所なり。其の道を以て之を得ざれば、処らざるなり」(富と地位は人の願うものであるが、正しい手段で得たのでなければ保つことはできない)。また述而編に「富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦これを為さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に従はむ」(富というものが追求してよいものなら、御者にもなろう。もし追求すべきものでないなら、私の好きな生活に向かおう)。また秦伯編には「邦に道なきに、富みて且つ貴きは恥なり」(正しい道が行われていない国にあって、富みかつ高い地位にあることは恥である)。
「不義而富且貴於我如浮雲」を句題とした和歌が南北朝時代の勅撰集『新千載和歌集』に見える。
【影響を受けた和歌の例】
身にたへぬ我が名もよしや半天にうかべる雲のありてなければ(惟宗光庭『新千載集』)
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