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和歌歳時記:追儺・鬼やらひ Japanese ceremony of driving out the devils2010年02月03日

鎌倉大塔宮の節分祭

節分の豆まきは、大晦日の夜に宮中で行はれれた追儺(ついな)に由来します。四つ目の仮面をかぶつた舍人(とねり)を鬼に見立て、殿上人が桃の弓で蘆の矢を射かけ、群臣は声をあげて鬼を追ひ、内裏の四門を廻つたと言ひます。

もろ人の()やらふ音に夜はふけてはげしき風に暮れはつる年

藤原定家の『拾遺愚草』に見える、建久二年(1191)の作。定家三十歳、あたかも源頼朝が征夷大将軍に任命される前の年。時代の「はげしき風」の中、大宮人たちの鬼やらひの声も切実に響いたに違ひありません。

追儺の行事は近世寺社でも行はれるやうになり、やがて民間に広まりました。近世初期、半井卜養の狂歌に「福は内へ鬼は外へと打つ豆の腹に当りてあらくさやふん」といふのがあり、この頃既に現在の豆まきのやり方が定着してゐたと知られます。文化文政から天保にかけて活躍した歌人香川景樹には次のやうな歌があります。

家ごとに()やらふ声ぞ聞ゆなるいづくに鬼はすだくなるらむ

家々から追ひ払はれた鬼どもはどこに群れ集まつてゐるのかと戯れた歌。
親が鬼のお面をつけ、子に追はれるといつた現代の家庭風景は、私が子供時代を過ごした昭和三十~四十年代の東京山の手では見られなかつたもので、おそらくごく最近の風潮ではないでせうか。しかし、そもそもの起源を尋ねれば、やはり朝廷の行事に遠く遡ることができるのです。
(写真は鎌倉大塔宮の豆まき風景)

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『賀茂保憲女集』
年ごとに人はやらへど目に見えぬ心の鬼はゆく方もなし

『亜槐集』(除夜) 飛鳥井雅親
なやらふをいそぐばかりに行く歳もをしまぬほどの雲の上人

『松下集』(歳漸暮) 正広
老の浪それをばおきてはかなくもなやらふ音に我ぞおどろく

『雪玉集』(歳暮) 三条西実隆
遠近になやらふ声も行く歳をげにおどろけとなれる夜はかな

『通勝集』(除夜) 中院通勝
けふといへばなやらふ程にさよ更けてをしみもあへず年ぞ暮行く

『霞関集』(除夜) 源高門
四方に今なやらふ声はしづまりて年をぞ守る夜半の灯

『藤簍冊子』(追儺) 上田秋成
年ごとにやらへど鬼のまうでくる都は人のすむべかりける

『うけらが花』(追儺) 加藤千蔭
宮人のけふ引く桃のたつか弓花さく春にいるにぞありける

『琴後集』(追儺) 村田春海
雲の上に()やらふ時や来にけらし四の御門につどふ宮人

『調鶴集』(追儺) 井上文雄
なやらふとこよひ手に取る桃の弓いるがごとくに春はきにけり

(2010年7月29日加筆訂正)