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掃溜菊:草木の記録201010162010年10月16日


掃溜菊 鎌倉市二階堂にて

掃き溜めによく見られたのでこの名があるという。気の毒な名を付けたものだと思うが、命名者はかの牧野富太郎と聞く。「掃き溜めに鶴」という語もあるから、この草への精一杯のオマージュだったと思いたい。
道端の草叢で水引や犬蓼に混じって咲いていた花は、径5ミリほど。

掃溜菊 鎌倉市二階堂にて



靖節先生集卷三 己酉歳九月九日2010年10月16日

菊の花

己酉(つちのととり)(とし)九月九日 陶淵明

靡靡秋已夕  靡靡(びび)として秋(すで)()
淒淒風露交  淒淒(せいせい)として風露(ふうろ)(ゆきか)
蔓草不復榮  蔓草(まんさう)()た栄えず
園木空自凋  園木(えんぼく)空しく(おのづか)(しぼ)
淸氣澄餘滓  清気(せいき)余滓(よし)を澄まし
杳然天界高  杳然(えうぜん)として天界高し
哀蟬無留響  哀蝉(あいせん)響きを(とど)むる無く
叢鴈鳴雲霄  叢雁(そうがん)雲霄(うんせう)に鳴く
萬化相尋繹  万化(ばんくわ)(あひ)尋繹(じんえき)
人生豈不勞  人生()に労せざらんや
從古皆有沒  (いにしへ)より皆没する有り
念之中心焦  (これ)(おも)へば中心(こが)
何以稱我情  何を以てか我が情を(かな)へん
濁酒且自陶  濁酒(だくしゆ)(しば)(みづか)(たのし)まん
千載非所知  千載(せんざい)知る所に(あら)ざれば
聊以永今朝  (いささ)か以て今朝(こんてう)を永くせん

【通釈】力なく秋は衰え、既に暮れようとし、
さむざむと風が草木の露に吹きつける。
蔓延っていた草が再び栄えることはなく、
庭の樹々は裸になり自ずと生気を失った。
秋風が大気に残っていた汚れを清め、
天を見上げれば遥々と高い。
哀しげに啼いていた蝉の余響は消え、
代りに雁の群れが大空に鳴いている。
万物は次々に入れ替わってゆく。
人の命もまた疲弊せずにおろうか。
昔から生ある者は必ず死ぬさだめ。
それを思えば心中じりじりと焼かれるようだ。
何をもって我が心をなだめればよいか。
濁り酒を飲み、自ら楽しもう。
千年の寿命など知るところではないから、
とりあえず今朝をのんびり過ごすとしよう。

【語釈】◇靡靡 衰え、滅びゆくさま。◇雲霄 大空。◇尋繹 次々につらなる。推移する。

【補記】義熙五年(409)、作者四十五の年、重陽の節日の感慨を詠む。郷里に帰って四年目の秋である。

【影響を受けた和歌の例】
生まるれば遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(大伴旅人『万葉集』)