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更新情報:千人万首に冷泉為景2010年10月25日

千人万首の更新は随分久しぶりになってしまいました。江戸時代初期の歌人、冷泉為景です。

定家の孫為相(ためすけ)を祖とする冷泉家は室町時代に上冷泉家・下冷泉家に分かれましたが、為景は下冷泉家の方です(現在京都で時雨亭文庫を管理されているのは上冷泉家の方)。

中世に繁栄した歌道家は為相の兄為氏を祖とする二条家で、勅撰和歌集の撰者はほぼ二条家に独占され、冷泉家は蚊帳の外に置かれました。しかし二条家が室町時代に滅びてしまうと、やがて冷泉家は最も由緒正しい歌道家として重んぜられるようになります。

二条家と冷泉家は歌風も違ったのです。歌学によく用いられた「花実(かじつ)」という語がありますが、相対的に二条家は「実」を重視し、冷泉家は「花」を重視した歌風と言えましょう。「実」というのは、和歌の場合「題の本意」と言い換えてもよく、梅なら闇夜にも明らかな香のよさを、桜なら雲と見間違えるような曖昧な美しさを詠むといったように、伝統的な趣向によって題の本意を詠ずることを尊び、「花」(表現・修辞)はその「実」を生むためにある、という考え方です。当然、歌風は保守的になります。
一方、冷泉家は題の本意はもとより重んじますが、「花」は決して「実」のために仕えるものでなく、詞の美しさそのものの価値を尊び、修辞に心を摧くという遣り方をとりました。斬新な表現方法を模索するという意味で冷泉家は革新派と言えます。冷泉家の歌風の最も極端な、そしてすぐれた達成が正徹という歌人です。
為景は正徹の歌風を汲む一人と言ってよいでしょう。

初恋

春しらぬ我が恋草よ打ちとけん心をいつの雪の下萌え

片恋

たのめただ逢ふはかた帆に引きてだになほ行く舟のつひのよるべを

為景のあと、下冷泉家にはこれといった歌人が現れませんでしたが、江戸中期に至り、上冷泉家から為村という大歌人が登場し、冷泉家の歌風の「花」は引き継がれます。

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