和歌歳時記:枯葉 Withered leaf;dry leaf ― 2010年11月19日
万葉集・古今集に枯葉を詠んだ歌は一つも見つからず、和歌にたびたび取り上げられるやうになるのは平安時代も後期になつてからのことだ。
『堀河百首』 霰 永縁法師
冬の夜のねざめにきけば片岡の楢の枯葉に霰ふるなり
役目を果たし、生気を失つて、あとは土に還るばかりの葉――枯葉。いにしへの歌人が深く心に留めたのは、それが風や雨、あるいは霰と触れ合つて立てる、乾いた、寂しげな音だつた。
この歌はのち南北朝時代の勅撰集、風雅集に採られたが、同じ集には、やはり「音」に執しつつ違つた角度から枯葉を詠じた歌が見える。作者は鎌倉時代の人である。
『風雅集』 文保三年、後宇多院にたてまつりける百首歌の中に
芬陀利花院前関白内大臣吹く風のさそふともなき梢よりおつる枯葉の音ぞさびしき
この歌に賛意を表しつつ、一ひねり加へたのが、三条西実隆の『雪玉集』に収められた次の詠だ。
『雪玉集』 内裏御屏風色紙御歌 三条西実隆
おのづからおつる枯葉の下よりはさびしくもあらぬ木がらしの庭
「ひとりでに落ちる枯葉の下にゐるよりは、いつそ寂しく感じないですむ、木枯し吹く庭よ」といふ歌。烈風が枯葉と共に感傷も吹き飛ばしてくれる、といふわけか。字余りの第四句「さびしくもあらぬ」の味はひを何と言つたらよいのだらう。室町乱世を生きた実隆といふ大変ユニークな人物の息づかひが、ふと聞こえるやうな気がする。
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『更級日記』 菅原孝標女
秋をいかに思ひいづらむ冬ふかみ嵐にまどふ荻の枯葉は
『続後撰集』(久安百首歌に、霰) 藤原顕輔
さらぬだに寝ざめがちなる冬の夜を楢の枯葉に霰ふるなり
『新古今集』(題しらず) 西行法師
津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
『玉葉集』(寒草を) 殷富門院大輔
虫のねのよわりはてぬる庭のおもに荻の枯葉の音ぞのこれる
『新続古今集』(家にて歌合し侍りける時、蔦を) 九条良経
宇津の山こえし昔の跡ふりて蔦の枯葉に秋風ぞ吹く
『遠島百首』(冬) 後鳥羽院
冬くれば庭のよもぎも下晴れて枯葉のうへに月ぞ冴えゆく
『風雅集』(百首歌たてまつりし時) 徽安門院一条
秋みしはそれとばかりの萩がえに霜の朽葉ぞ一葉のこれる
『心敬集』(水郷寒草) 心敬
世をわたるよすがも今はなには江や蘆の枯葉をになふわび人
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