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千人万首 三条西実隆 略伝2013年02月01日

さんじょうにしさねたか 康正元~天文六(1455-1537) 号:聴雪・逍遥院 法名:堯空

入道内大臣公保の二男。母は甘露寺房長女。初名公世。六歳で父を亡くすが、正親町三条家や叔父甘露寺親長の援助を受けて育つ。子の公条も著名な歌人。

長禄二年(1458)、四歳で叙爵。この年、兄の実運が夭折したため家督を継ぐ。応仁の乱勃発の際は家族と共に鞍馬寺に疎開した。文明元年(1469)、十五歳で元服して実隆に改名。同四年、鞍馬で母を亡くす。翌年帰京し、本格的に内裏に出仕する。同七年、蔵人頭に補せられる。同九年には参議、同十二年、権中納言と進み、延徳元年(1489)、権大納言となる。永正三年(1506)二月、内大臣に任ぜられ、同年四月辞任。永正十三年(1516)四月十三日、盧山寺で出家。法名は堯空。天文六年(1537)十月三日、薨去。八十三歳。正二位。

和歌は初め飛鳥井雅親(栄雅)・雅康(宋世)らに学ぶ。文明十五年(1483)、足利義尚の和歌打聞編纂の際には寄人に加えられる。文明十九年(1487)より文亀元年(1501)にかけて宗祇より古今伝授を受けた。日記に『実隆公記』がある。『源氏物語』を始めとする古典や漢詩文にも通暁し、当代の古典学者として重んじられた。家集に『雪玉集』『再昌草』がある。

千人万首 三条西実隆(一)2013年02月01日

立春雪

このねぬる夜のまの雪の晴れそめて今朝立つ春の光みすらし(雪玉集21)

「寝ていたこの夜の間に降っていた雪も晴れてきて、今朝訪れた春の光を見せるらしい」の意。

 京都を破壊し尽した大乱もようやく治まったものの、なお紛争の火種は絶えなかった文明十三年(1481)の作。立春を迎えた朝、白雪に反射する眩く清らかな陽光に、青年公卿実隆は平和な世への望みを託した。

 初二句は『新古今集』の藤原季通詠「このねぬる夜のまに秋は来にけらし朝けの風のきのふにも似ぬ」から借りつつ、立秋を立春に転じている。

早春鶯

またさえん嵐もしらず春の日のひかりにむかふ鶯の声(雪玉集5746)

「再び寒くなるだろう嵐も知らぬげに、春の日の光に向かってさえずる鶯の声よ」という意。

「詠三十首和歌 春日社法楽」。冷温が交互に繰り返す浅春の候、人はなお山からの寒風を予想して身構えるが、鳥はそんなこともお構いなし、春の太陽に向かってひたむきに声を響かせる。「春告げ鳥」という鶯題の本意を、新鮮な意趣のうちに活かしている。

暁梅

見果てぬもいかなる夢かをしからん暁ふかき梅の匂ひに(雪玉集185)

「見果てずに終わったどんな夢が惜しいというのだろう、夜も更けきった暁の濃艶な梅の匂いに対しては」の意。

 暁、夢から醒めたところへ梅が匂う。没入していた夢の名残惜しさも打ち消す、その香りの深さ。「ふかき」は「時が更けている」「香が濃い」の両義。本歌は『古今集』の壬生忠岑詠「命にもまさりてをしくある物は見果てぬ夢のさむるなりけり」。恋から季へ転じつつ、唱和した趣である。

春月

大空はかすみながらに海原をはなれてのぼる月のさやけさ(雪玉集286)

「見上げる大空はまだ霞んだままに、海原を離れて昇ってゆく月の光のさやかなことよ」という意。

 朧月を賞美するという「春月」題詠の常套を破る。初二句は定家の新古今入集歌「大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月」の風格に学びながら、下句で対照的な趣を打ち出した。

静見花

見るがうちになほ咲きそふもうつろふもただつくづくと花ぞかなしき(雪玉集6234)

「ひねもす眺めているうちに、さらに咲き添う花もあり、色衰えてゆく花もあり、ただしみじみと花が(かな)しいことよ」という意。

 永正九年(1512)正月の「試筆十首」。静かに花を見て終日過ごす心。初句「見るがうちに」は実隆の好んだ句で、例えば「春雨」題では「見るがうちにつぼめる花の色付きて露ひかりそふ木々の雨かな」と遣っている。

立春 春立つ (和歌歳時記メモ)2013年02月03日

山の春霞 神奈川県鎌倉市

立春は二十四節気の一つ。冬至と春分の中間点で、日本の多くの土地では厳しい寒さがようやく緩み始める時節に当たる。太陽暦では2月4日頃。旧暦では正月一日前後になる。

和語では「春立つ」という言い方があり、これを「季節が春になる」の意で用いたのは、おそらく漢語「立春」から影響を受けてのことだろう。もっとも、正月になり新年を迎えることも春の始まりであったから、常に節気としての立春を強く意識して「春立つ」という語を遣っていたわけでもないと思われる。古人にとっては、新年と立春と、二つの春の始まりがあったのだ。この二つが一日に重なることは稀で、大抵は何日かずれる。そこから生じる戸惑いを面白く詠んだのが『古今集』の巻頭歌なのだ。

旧年(ふるとし)に春立ちける日よめる   在原元方

年の内に春は来にけりひととせを去年(こぞとや言はむ今年とや言はむ

「まだ新年が来ていないというのに、年内に春は来てしまったよ。この一年を昨年と言おうか、それとも今年と言おうか」。

因みに今年の立春は明日2月4日であるが、旧暦では前年の十二月二十四日になってしまう。「年の内に春は来にけり」というわけだ。

さて立春を詠んだ秀歌を探すなら、勅撰集の最初の頁を見るのが手っ取り早い。中でも傑作として名高いのが『拾遺集』の巻頭歌だ。

平定文が家歌合によみ侍りける   壬生忠岑

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝はみゆらん

「吉野は雪が深く、春の訪れの遅い山というが、春になった今朝眺めると、ぼんやりと霞んで見える。暦の上で春になったというだけで、こんな風に見えるのだろうか。あの吉野山さえ霞んでいるということは、世は本当に春になったのだろうよ」。くどく訳してみると、こんなふうになろうか。平明だが、何度読んでも味わいの深い歌だ。

もとより立春は一年の最初の節目。季節が順当な気候のうちに進んでゆくことは、人の死活に関わる問題だから、春の始まりの日に春らしい兆しが感じられるのは、大変めでたいことだ。真っ当に暑い夏、真っ当に涼しい秋、真っ当に寒い冬。立春詠には、一年の穏やかな季節の巡りと、それがもたらす自然の豊かな恵みへの、人々の祈りが籠められている。

『新校拾遺愚草 EPUB版』販売のお知らせ2013年02月04日

DL-MARKETにて『新校拾遺愚草 EPUB版』の販売を始めました。
新校拾遺愚草 EPUB版
内容はkindle版・PDF版に同じです。EPUBファイルですので、各種の電子ブックリーダーやモバイル端末、またPCでも読むことができます。
一番上の画像は、PCのモニタ上でAdobe Digital Editionsによって表示させてみたものです。詳細な目次付きです。
よろしくお願い申し上げます。

画像資料集を公開しました(更新のお知らせ)2013年02月13日

『拾遺愚草』資料集のコーナーに画像資料集を新設しました。多くはこのブログでも使った写真です。『拾遺愚草』鑑賞の一助になれば幸いです。

まだ未完成で、今後もう少し増やす予定です。

千人万首 三条西実隆(二)2013年02月14日

朝花

空はいま花ににほへる朝日かげ霞も雲も山の端もなし(雪玉集427)

「空は今、桜の花の色に美しく映える朝日の光に満ち、霞も、雲も、山の端もありはしない」との意。

 桜咲く山に朝日が昇ると、折からの霞がかった空に花の色が反映して、見渡す限り花かおる光に満たされる。畳みかけた下句に、高揚する心が溢れる。

月前花

我のみの光を花やちらすらむ木隠れおほきおぼろ月夜に(雪玉集432)

「自分のためだけのわずかな光を、花は散らしているのだろうか。木陰に隠れがちな朧月夜にあって」という意であろう。

 春の朧月を背景に桜を詠んだ歌と言えば、式子内親王の「この世には忘れぬ春の面影よ朧月夜の花の光に」という忘れ難い一首があるが、掲出歌はむしろ同じ作者の「残りゆく有明の月のもる影にほのぼの落つる葉隠れの花」と通じ合う趣がある。それにしても花が「我のみの光をちらす」と見る細やかな想像と推理は、幻想力豊かな新古今の歌人たちも達し得なかった境地であろう。

野外花

あくがるる心は野べのいとゆふのつなぎもとめぬ花にみだれて(雪玉集464)

「私の心は、野辺に立つ陽炎のように、つなぎ止めることのできない花に乱れて、ふらふらと身体からさまよい出てしまうことよ」との意。

 あたかも花盛りの頃によく見られる現象である糸遊(陽炎)に言寄せて、花に憧れ、身体から遊離する心を詠む。「つなぎもとめぬ」は、枝にとどめ得ぬ花を惜しむ心を籠めつつ、さまよい出る魂のありさまをも言い表している。「つなぎ」「とめ」「みだれ」いずれも「糸」の縁語と言えよう。

庭上落花

それながらうつろひはてて庭の面にきえぬもかなし花の白雪(雪玉集537)

「庭の面に、まるごとそっくり散り果ててしまった桜の花――さながら積もった白雪であるが、雪とは異なり、消えずに留まっているのがまた悲しいことよ」という意。

「それながら」はまるごと全ての意。庭の桜がすっかり散ったさまである。「きえぬもかなし」と言って、「花の白雪」なる常套句に新たな生命が宿った如く感じられる。

花五首より

春の色は夢のわたりか行く水にかげもとどめぬ花のうきはし(雪玉集7384)

「春の美しい色とは、夢の渡りのようなものか。浮橋のように水面を漂ったかと思うと、逝く水に影もとどめず去ってしまう花びらよ」という意であろう。

「夢のわたり」は『源氏物語』薄雲巻、明石の上とゆっくり逢えないことを歎く源氏のつぶやき「夢のわたりの浮橋か」に基づき、頼りなく落ち着かない恋愛関係の喩え。これを実隆は花をはかなく恋うる人の心に移して用いたのである。

「花のうきはし」は水面に連なって浮く桜の花を浮橋に喩えた語。「うき」には「憂き」が掛かろう。「桜さく峰に嵐やわたるらん細谷川の花のうきはし」(出観集、覚性法親王)に先蹤がある。

千人万首 三条西実隆(三)2013年02月16日

樗(栴檀) 神奈川県鎌倉市

首夏

夏とやはわか葉の木々の花もなほありとてふの尋ねてぞゆく(雪玉集683)

「季節は夏と見分けられようか。若葉の中に花がなお咲き残っていると、胡蝶が桜の木々の間をたずねてゆくことよ」という意。

 立夏して間もない頃、若葉の中の残花を求めて桜林をたずね飛ぶ蝶。暦の上で夏になったことなど、蝶にとっては与かり知らぬこと、なぜ春と夏を截然と区別しよう。

「夏とやはわか葉の」は「夏とやは分か(む)」「若葉の」と掛けて言う。「やは」は反語で、「夏とやは…」は「どうして夏であると識別しよう」の意。

 春との別れをなお惜しむ悲しみが、無心に花をたずねる蝶のすがたに癒やされている。

雲の色もあひにあふちの花の上にそともの山ぞとほく明けゆく(雪玉集752)

「明け方の雲の色ともよくまあ調和しているおうちの花――その花の上で、北側の山々が明るくなってゆくのが遥々と眺められる」といった景であろう。

「樗」すなわち栴檀を詠む。夏、薄紫の小花が群がって紫雲のように咲き匂う、めでたい木である。朝焼け雲の色と見分けがたいほどよく似た樗の花の向こうでは、朝日に対して背面そともにあたる遠い山並が、ほのかに曙光を反映して明るんでゆく。山影もまた淡い紫に映えているであろう。文亀二年(一五〇二)五月、月次歌会での作。

「あひにあふちの」は「合ひに合ふ」「あふちの」と掛けて言う。「あひにあふ」は『古今集』伊勢の歌「あひにあひて物思ふころのわが袖にやどる月さへぬるる顔なる」による。

「そとも」はこの場合「外面」でなく「背面」、光の射す南に対して背面、すなわち北を意味する。「あふち」と「そとも」の組合せは『新古今集』の忠良の名歌「あふち咲くそともの木蔭露おちて五月雨はるる風わたるなり」を連想させるが、爽やかな印象も通い合う両首である。

籬瞿麦

花の色やあかねさす日のませのうちに夕かげのこす大和なでしこ(雪玉集818)

「茜色の夕日が射す籬垣ませがきの内にあって、いつまでもその光を残して咲いている大和撫子――この花の色は飽きることがないよ」という意。

まがき瞿麦なでしこ」を詠む。本歌は「我のみやあはれと思はんきりぎりす鳴く夕かげの大和なでしこ」(古今集・秋上・二四四、素性)。撫子は秋の七草に数えられるが、夏から長く咲き続けるので常夏の別名もある。

「花の色やあかねさす日の」は「花の色や飽か(ぬ)」「あかねさす日の」と掛けて言う。「あかねさす」は「日」の枕詞であるが、ここでは「茜」という色を生かした遣い方。「ませ」は竹などで編んだ、目のあらい垣。

夕顔

残る日のうすきかげより咲き出でて草の戸すずし夕顔の花(雪玉集830)

「暮れ残る淡い日影の中から咲き出して、わが草庵の戸も涼しげな夕顔の花よ」の意。

 咲き始めの夕顔の花のあえかな白さを「うすきかげより咲き出でて」と見た。かなり主観と想像の強くはたらいた捉え方であるが、そこに作者の世界観が息づいている。

河眺望

ははそ原いつはた色にいづみ川みどりも涼し水の夕風(再唱草)

「柞の林はいつまた色に出ることであろう。泉川はいま夏の夕風の吹く中、水面の翠の色も涼しく流れている」の意。

 大永四年(一五二四)六月二十五日、聖廟御法楽当座廿首。歌が詠まれた晩夏の季に合わせた「河眺望」詠であろう。秋、川の上流の柞原が色づけば、やがて泉川の水も黄に紅に染まる。その時を思いつつ、今は万緑を映す夏の川面に涼しさを満喫している。

「柞原」は雑木林。濃淡さまざまの色に紅葉する林である。「いづみ川」には「出づ」意が掛かる。定家の新古今入集歌「時わかぬ浪さへ色にいづみ河ははその森に嵐吹くらし」への連想がある。