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千人万首 三条西実隆(二)2013年02月14日

朝花

空はいま花ににほへる朝日かげ霞も雲も山の端もなし(雪玉集427)

「空は今、桜の花の色に美しく映える朝日の光に満ち、霞も、雲も、山の端もありはしない」との意。

 桜咲く山に朝日が昇ると、折からの霞がかった空に花の色が反映して、見渡す限り花かおる光に満たされる。畳みかけた下句に、高揚する心が溢れる。

月前花

我のみの光を花やちらすらむ木隠れおほきおぼろ月夜に(雪玉集432)

「自分のためだけのわずかな光を、花は散らしているのだろうか。木陰に隠れがちな朧月夜にあって」という意であろう。

 春の朧月を背景に桜を詠んだ歌と言えば、式子内親王の「この世には忘れぬ春の面影よ朧月夜の花の光に」という忘れ難い一首があるが、掲出歌はむしろ同じ作者の「残りゆく有明の月のもる影にほのぼの落つる葉隠れの花」と通じ合う趣がある。それにしても花が「我のみの光をちらす」と見る細やかな想像と推理は、幻想力豊かな新古今の歌人たちも達し得なかった境地であろう。

野外花

あくがるる心は野べのいとゆふのつなぎもとめぬ花にみだれて(雪玉集464)

「私の心は、野辺に立つ陽炎のように、つなぎ止めることのできない花に乱れて、ふらふらと身体からさまよい出てしまうことよ」との意。

 あたかも花盛りの頃によく見られる現象である糸遊(陽炎)に言寄せて、花に憧れ、身体から遊離する心を詠む。「つなぎもとめぬ」は、枝にとどめ得ぬ花を惜しむ心を籠めつつ、さまよい出る魂のありさまをも言い表している。「つなぎ」「とめ」「みだれ」いずれも「糸」の縁語と言えよう。

庭上落花

それながらうつろひはてて庭の面にきえぬもかなし花の白雪(雪玉集537)

「庭の面に、まるごとそっくり散り果ててしまった桜の花――さながら積もった白雪であるが、雪とは異なり、消えずに留まっているのがまた悲しいことよ」という意。

「それながら」はまるごと全ての意。庭の桜がすっかり散ったさまである。「きえぬもかなし」と言って、「花の白雪」なる常套句に新たな生命が宿った如く感じられる。

花五首より

春の色は夢のわたりか行く水にかげもとどめぬ花のうきはし(雪玉集7384)

「春の美しい色とは、夢の渡りのようなものか。浮橋のように水面を漂ったかと思うと、逝く水に影もとどめず去ってしまう花びらよ」という意であろう。

「夢のわたり」は『源氏物語』薄雲巻、明石の上とゆっくり逢えないことを歎く源氏のつぶやき「夢のわたりの浮橋か」に基づき、頼りなく落ち着かない恋愛関係の喩え。これを実隆は花をはかなく恋うる人の心に移して用いたのである。

「花のうきはし」は水面に連なって浮く桜の花を浮橋に喩えた語。「うき」には「憂き」が掛かろう。「桜さく峰に嵐やわたるらん細谷川の花のうきはし」(出観集、覚性法親王)に先蹤がある。