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定家絶唱「春の夜の夢の浮橋…」2013年10月08日

春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空

春の夜の夢のうきはしとたえして峯にわかるゝよこくものそら(中1638

 前歌と同じく『仁和寺宮五十首』より。

 「春の夜の、浮橋のように頼りない夢が、中途で絶えてしまって、折しも空では棚引く横雲が峰から別れてゆく」の意であろう。

 春のはかない夢が覚めた時の明け方の景を幻想味豊かに詠む。「春の夢」「春の曙」という当時好まれた春歌の二主題を融合させた一首とも見える。

 構成を言えば、句切れはないが、「とだえして」で文字通り一首は途絶し、上下を分かつ。とりとめのない夢がふと絶えて、なおそのなごりのうちに宙吊りにされたような上の句。夢の残像さながら曙の景が展かれる下の句。峰を別れてゆく横雲はしかし現であって、夢のおわりを告げている。

 「春の夜の夢」「浮橋(憂き端)」「とだえ」「わかるる」「横雲の空(後朝の空を思わせる)」と、恋に縁のある語をつらねたのは偶然ではあり得ないだろう。しかも「夢の浮橋」は『源氏物語』五十四帖の最後の巻名であり、おのずから浮舟をめぐる恋の顛末へと想いは導かれる。安東前掲書が『源氏物語』の「呆気ない終り様」に作者の狙いを見たのは卓説であろう。もとより茫漠として溢れるような余情を湛えたこの歌の、それは一つの読み方にすぎまい。また同書は『文選』「高唐賦」の巫山ふざん神女の故事補注が思い合わされているかとも言う。「読の赴くところ、おのずとそこまで興を誘われる」。

 余情がまた余情を生むような、限りない奧行を感じさせる歌で、古来定家の代表作の一つとされたのも当然であろう。

 「春の夜の夢」は夢の中でも殊にはかない夢とされ、はかない情事の喩えともされた。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たん名こそをしけれ」(千載集・雑上・九六四、周防内侍)

 「浮橋」は、水面に筏や舟を並べ、その間に板を渡して橋の代りとしたもの。『後撰集』に「へだてける人の心の浮橋をあやふきまでもふみみつるかな」と「憂き端」に掛け、人の心の危うさ・頼りなさの象徴として用いている。「夢の浮橋」は、夢を浮橋に喩えたもので、特に恋に関わらせて読めば、浮橋のように心許ない、夢の中の通い路ということか。但し本居宣長は「とだえをいはむために、夢を夢のうき橋とよみ玉へり」(美濃廼家苞)と言い、「浮橋」自体に意味はないとする。他にも単に夢の意とする説・釈が多い。和歌での初出は、『新編国歌大観』を検索する限り、四年前の建久五年(一一九四)、左大将家歌合で隆信が詠んだ「わたる瀬をいかにたづねん三島江のみしよりまよふ夢の浮橋」(隆信集・四七二)のようである。この「夢の浮橋」は単なる夢でも夢の比喩でもなく、夢での逢瀬を尋ね迷う話手の、具体的イメージを伴った心象である。定家も出詠した歌合なので、おそらく記憶にあった歌であろう。

 「峰にわかるる」、峰から離れる。『古今集』の「風ふけば峰にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か」(恋二・六〇一、忠岑)に先蹤のある句。この歌を本歌とする書もある。

 「横雲の空」は、横雲、すなわち横の方向にたなびく雲がある空。「横雲」は明け方に山などから空へ向かって離れる雲として歌に詠まれる例が少なからず、五年前の『六百番歌合』では家隆が「霞たつ末の松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空」(新古今集・春上・三七)と詠んでいる。下の句は定家のによく似ており、これも定家の念頭にあった歌であろう。

 『新古今集』に入撰(巻一・春上・三八)。『百番自歌合』に採り(春・十)、『自讃歌』『新三十六人撰』などにも見える。

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