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定家絶唱「花にそむくる春のともし火」2014年03月27日

建保五年四月十四日、院にて庚申五首、春夜

山の端の月まつ空のにほふより花にそむくる春のともし火

山のはの月まつそらのにほふより花にそむくるはるのともし火(下2069)

 「月の出を待つ山の端の空がほのかに明るむや否や、花に向けていた灯火を背後へ押しやる(こうして、月と花がおぼろに融け合う春夜の情趣を味わう準備をする)」との意。

 「花の匂ふ時分、月を待心」(六家集抜書抄)。灯火を「花にそむくる」理由につき、例えば岩佐美代子氏『玉葉和歌集全注釈』(平成八)は「月光でこそ花を眺めたいため」と解するが、読み方として十分とは言えない。もし月を単なる花の照明役と見なすのであれば、「夜花」題の趣意には適っても「春夜」題には適うまい。この歌は花が主役なのではない。月が主役なのでもない。両つが照らし合う「春夜」が主役なのである。

 「浅みどり花もひとつにかすみつつおぼろにみゆる春の夜の月」(新古今集・春上・五六、孝標女)、「…春の夜は月こそ花のにほひなりけれ」(新勅撰集・春下・七八、和泉式部)といった、花と月がほのぼのと融け合う景趣は当時好まれ、定家の殊に愛着するものであった。そんな春夜の風情をあわれむためにこそ、「ともし火」は邪魔とされたのである。

 建保五年(一二一七)四月十四日、後鳥羽院の御所における庚申五首歌会出詠歌。定家五十六歳。同じ時の題は「夏暁」2116、「秋朝」2289、「冬夕」2367、「久恋」2440。同月十六日の『明月記』には大納言公経の言として当五首につき「今度の歌抜群の由、殊に叡感有り」と後鳥羽院の賞賛の言を伝えている。なお「春夜」は平安中期から見える題で、『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』にも立題されている。

 「空のにほふより」、山の端の空が(月の余光で)ほのぼのとした色に映えるとすぐに。「にほふ」は花に縁のある語で、やがて融け合う花月の情趣を予告もする、用意の深い語である。

 「花にそむくる」、桜の花に対して背ける。『和漢朗詠集』に引く白詩の句「ともしびそむけては共に憐れむ深夜の月」(春夜・二七/白氏文集・巻十三 春中与廬四周諒華陽観同居)に拠る。

 結句「春のともし火」は『韻歌百二十八首』で「ふかき夜を花と月とにあかしつつよそにぞ消ゆる春のともしび」と遣ったことがある(中1510。春夜の終りを詠んだ韻歌に対し、掲出歌はその始まりの時を詠み、美しい一対をなそう。

 『玉葉集』に「建保五年四月庚申に春夜」として撰入(巻二・春下・二一一)。『続歌仙落書』『秋風和歌集』などにも見える。