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千人万首 烏丸光広 旅2014年10月13日

名所湖

浪の音も猶あらましくすはの海や嵐の空の暮れ初むるより

「波の音も一層荒々しくするようになった、諏訪の湖よ。嵐吹く空が暮れ始めてからというもの」。

御神おみ渡りで名高い諏訪湖は氷った湖面を詠まれることの多かった歌枕で、嵐や波の音を詠んだ前例を知らない。さしたる景趣は感じられないものの、「あらまし」「あらし」「そら」「くれそむる」とラ行音・サ行音を絡めるように進める韻律法で、に残る歌となった。初句・第三句の字余りも、一首の奏でる音楽の重要なアクセントになっていよう。慶長千首。

「すは」の「す」には動詞「」の意が掛かる。

富士

雲かすみながめながめて富士のねはただ大空につもる雪かな

「富士を隠す雲霞を眺め眺めして、ついに現れたその嶺は、ただ大空に積る雪であったことよ」。

慶長八年(1603)以後たびたび江戸に下向した光広は、富士山を実見して詠んだとおぼしい歌を『黄葉和歌集』に二十首残している。雄大な山容に対する感動が瑞々しく、富士山文学史に名を刻まれるべき雄編であろう。掲出歌はその二首目で、冒頭の「立ちまよふ霞も山のなかばにてふじこそ春の高ねなりけれ」等と共に早春を想わせる富士の有様である。

同前

白妙の雪にあまぎる富士のねをつつみかねたる五月雨の雲

「真っ白な雪のために曇っている富士の嶺を、五月雨を降らせる雲が包みかねていることよ」。

夏の歌から採った。富士の嶺は五月雨を降らせる雲の上に突き出ているのだが、雪でよく見えないと言うのであろう。山麓の梅雨と山頂の吹雪とは面白い対照である。「つつみかねたる」の語が富士の雄大さを引き立てている。

「あまぎる」は「あまる」で、本来は霧や降雪などで空が曇っているさまを言う語。

同前

年へても忘れぬ山のおもかげを更に忘れて向かふ富士かな

「何年経っても忘れない山の面影であるが、今またその面影を忘れて向き合う富士であることよ」。

富士二十首を締めくくる歌。最後に見た時から何年も慕い続けてきた、記憶の中の富士。ところが再び富士山を眼前にした瞬間、その面影は忘れ去られて、ただただ今の姿に見とれてしまう。勅使などに随行して数年置きに江戸へ下向し、東海道から仰ぐ富士に親しんできた光広の実感であろう。

余録
富士のねをみるみる行けば時しらぬ雪にぞ花の春をわするる
立ちおほふ霞にあまる富士のねにおもひをかはす山ざくらかな
ひえの山廿ばかりはかさぬとも都の秋に雪やみざらむ
もろこしになにか及ばん日の本とおもへば不二の山も有りけり

(2014年12月30日加筆訂正)

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