<< 2015/04 >>
01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

RSS

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面14 吉水神社~賀名生2015年04月13日

吉野宮滝

吉水神社

南北朝の昔、後醍醐天皇行宮あんぐうのところ。

後醍醐天皇

都だにさびしかりしを雲晴れぬ吉野のおくの五月雨の頃

如意輪寺

吉水神社より谷を隔ててあり。

加納諸平

くち残る矢の根のあとを栞にて千代もつらぬく道求めてむ

後醍醐天皇陵

塔尾の陵のほとりに桜を多く植立てける時
粟田久盛

植ゑおかば苔の下にもみよしのゝみゆきの跡を花やのこさむ

塔尾の陵を拝して
三上参次

芳野山花のさかりはなかなかに都の春やおぼし出でけむ

西行庵

吉野の奥金峰神社より右に数町の山ふところにあり。

西行

とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほす程もなき住居かな

大峰

吉野山の奥。吉野又は熊野より入る。

西行

わけ来つる小笹の露にそぼちつゝほしぞわづらふ墨染の袖

日蔵

寂寞の苔の岩戸のしづけさに涙の雨のふらぬ日ぞなき

吉野川

吉野山の麓を西へ流る。下流を紀の川といふ。

湯原王

吉野なる夏箕の川の川淀に鴨ぞなくなる山かげにして

橘曙覧

吉野川春の渚に糸たれて花に鰭ふる魚を釣るかな

川田順

川中の岩畳縦に切りとほし筏の道が作りてありぬ

ほのじろき瀬霧のなかをが動く夜釣の人の岩移りかも

宮滝

上市の東五十町、吉野川の上流にあり。上代の吉野離宮の旧地といふ。

天武天皇

よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見つ

賀茂真淵

み吉野を我が見に来ればおちたぎつ滝のみやこに花散り乱る

これより和歌山線に帰りて西へ吉野川の沿岸を下る。

賀名生

南朝賀名生の行在は五条駅より南二里にあり。

藤原公泰

忘れめや御垣にちかき丹生にふ川の流にうきてくだる秋霧

補録

大峰

大峯にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる

行尊

もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかにしる人もなし

大峰のしやうの岩屋にてよめる

草の庵なに露けしと思ひけむ漏らぬ岩屋も袖はぬれけり

大峰の深仙と申す所にて、月を見てよみける

西行

深き山の峰に澄みける月見ずは思ひ出もなき我が身ならまし

修行のついでに大峰の花を見侍りける事を、年へて後思ひ出でてよみ侍りける

道昭

尋ねばや芳野のおくの山桜みし世の花もなほや残ると

吉野川

紀貫之

吉野川岩波高く行く水の早くぞ人を思ひ初めてし

吉野川岸の山吹ふく風にそこの影さへうつろひにけり

藤原家隆

吉野川岸の山吹咲きにけり嶺の桜は散りはてぬらむ

宮滝

山部赤人

み吉野の象山きさやま木末こぬれにはここだも騒く鳥の声かも

大伴旅人

我がゆきは久にはあらじいめわだ瀬とはならずて淵にてありこそ

昔見しきさの小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面15 高野山2015年04月16日

高野山 奥ノ院


高野口もしくは橋本より南方に登る。四里内外にして高野山金剛峰寺に到る。

元可

高野たかの山うき世の夢もさめぬべしその暁の松のあらしに

良寛

紀の国の高野の奥の古寺に杉のしづくを聞き明しつつ

行誡

高野山こけのとぼそはしづかにて音もきこえず春雨のふる

蘆田草堂

千歳へし杉の下道たどりつゝ高野の奥にきく時鳥

高楠順次郎

杉木立月かげ漏るゝみ山路に三宝鳥の鳴くを待ちつゝ

水の音遠くふけゆくみ山路をこゝろゆくまで鳴き渡る鳥

御霊屋みたまやの火影をぐらく森深みが声のみは獅子吼ししくなりけり

今ははや水鳥樹林一如なり仏法僧のこゑのみにして

石田義安

更けし夜を御廟の土にひざまづき吾師博士としばし祈りし

岩を穿ち宝ほる如古文書をしらぶる室の蓮の香の清さ

佐佐木信綱

山の上に初春きたる八百やほあまり八十やそのみ寺は雪に鐘打つ

高田相川

高野山のぼる坂路の杉村の雨の中なる鶯の声

平田松堂

大杉をみあぐる目にしあを空の晴々としてうつるなりけり

新井洸

いつの世か我家のおやの捧げけむ貧の一燈もまじりてをあらむ

与謝野晶子

高野山杉生の奥の常燈にならびて出でし春の夜の星

時鳥のおとし文を
高崎正風

おとし文人に見られて時鳥うらはづかしき音をや鳴らむ

補録

高野にまゐりてよみ侍りける
寂蓮

暁を高野たかのの山に待つほどや苔の下にもあり明の月

藤原知家

昔思ふ高野の山のふかき夜に暁とほくすめる月かげ

京極為兼

風の音も高野の山の明け方にうち驚けば暁の声

斎藤茂吉

くにぐにのしろにこもりし現身うつせみ高野かうやの山に墓をならぶる

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面16 粉河寺・根来寺2015年04月17日

粉河寺本堂


写真は粉河寺本堂。

粉河寺こかわでら

粉河駅にあり。西国三十三所観音の一。

若山牧水

粉河寺遍路の衆のうち鳴らす鉦々きこゆ秋の木の間に

根来寺ねごろじ

岩出駅より一里十三町、真言宗新義派の総本山。

浄月

古へを吹きぞ伝ふるのりの風山の根ごろの松のむら立

東一雄

桜落葉さびしうぞ散るそのかみの根来法師の面影もなく

補録

粉河寺

こ川にまうでつきて風のもりといふ所に
藤原公任

いとうへも花のあたりはあだなれどいかに散るらん吹く風の森

(水垣注:初句不審(「いとこへも」とも)。「風のもり」は旧粉河寺領内の風市神社の森という。)

修行せさせたまうける時、粉河の観音にて御札にかかせ給うける御歌

花山院

昔より風に知られぬともし火の光にはるるのちの夜の闇

藤原為家

つたへ聞く粉河の水のいかばかりもとの光の月もすむらん

粉河観音の歌

花ごろもかささぎ山に色かへて紅葉のほらの月をながめよ

此歌は、素意法師いまだ出家し侍らざりける時、粉河の観音にまうでて発心してやがてこもり侍りて、いづれの所にてか出家しいづくにてか仏法修行して往生をとげ侍るべきといのり申しけるに、内陣よりかくしめし給けるとなん

三条西実隆

法のため此の身は骨をくだきても粉川の水の心にごすな

幽真

かづらきの尾越しの雲の崩れきて夕立すなり風猛かざらきの里

(水垣注:「風猛の里」は紀ノ川北岸の地。粉河寺に近い。)

根来寺

(前略)本堂伝法院にて思ひつづけ侍りし
三条西実隆

高野山わかれてこしもことさらに法を伝へん世々のためかも

(水垣注:伝法院(大伝法院)は根来寺の本堂。)

根来の山寺の花見にまかりて
加納諸平

きぎすなく根来の山の桜花さかずは今も焼野ならまし

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面17 和歌の浦2015年04月18日

和歌の浦 和歌山県和歌山市

和歌の浦

和歌山市より東南にあり。

山部赤人

和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ蘆べをさしてたづなき渡る

寂蓮

若のうらを松の葉ごしにながむれば梢によするあまの釣舟

玉津島神社

和歌の浦にあり。

作者不詳

玉津島見れどもあかず如何にして包みもて行かむ見ぬ人の為

加納諸平

一むらの州崎の松にかげわけて内外うちとの海の月をみる哉

大蔵鷲夫

白浪のよするなぎさに大御輿みたゝせりけむ古へ思ほゆ

補録

和歌の浦

祝部成仲

ゆく年は波とともにやかへるらむ面がはりせぬ和歌の浦かな

藤原家隆

和歌の浦や沖つ潮合にうかび出づるあはれ我が身のよるべ知らせよ

藤原良経

和歌の浦のちぎりもふかし藻塩草しづまむ世々をすくへとぞ思ふ

後鳥羽院

なびかずは又やは神に手向くべき思へば悲し和歌の浦浪

後村上天皇

あはれはや浪をさまりて和歌の浦にみがける玉をひろふ世もがな

小沢芦庵

この国はことばの海のおほ八島いづくによるも和歌の浦波

玉津島神社

津守国基

年ふれど老いもせずして和歌の浦に幾代になりぬ玉津島姫

二条為氏

人問はば見ずとや言はむ玉津島かすむ入江の春のあけぼの

後嵯峨院

三代みよまでにいにしへ今の名もふりぬ光をみがけ玉津島姫

二条為重

ささがにの蜘蛛のいとすぢ代々かけてたえぬ言葉の玉津島姫

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面18 日高・那智2015年04月23日

青岸渡寺

日高

和歌山の南方十数里。日高河畔に安珍清姫の古蹟と伝ふる道成寺あり。

田端憲之助

鴉鳴く松原のかなた網をひく声さかりなりとのぐもる日に

喪へる心さびしく越えてゆく梅津呂越えを人に逢はずも

木の間もる入日の光あかあかと日高松原冬ぞ来むかふ

那智

寺を普陀落寺といふ。那智の滝あり。

加納諸平

壁たてるいはほとほりて天地あめつちにとゞろきわたる滝の音かな

高機をいはほにたてゝ天つ日の影さへ織れるからにしき哉

実雄

滝の上の杉のむらだち月おちて雲井にかをる水けぶりかな

水野忠邦

山伏のふきなす貝のこゑくれて雲にとゞろく奈智の滝つせ

長塚節

真熊野の熊野の浦ゆてる月のひかり満ち渡る那智の滝山

若山牧水

雲の行き速かなればおどろきて雲を見て居き滝の上の雲を

奥村岸子

川添の川原なでしこ咲く道をめしひの親子那智まうでする

補録

花山院

いはばしる滝にまがひて那智の山高嶺を見れば花のしら雲

西行

雲きゆる那智の高嶺に月たけて光をぬける滝の白糸

藤原定家

雲かかる那智の山陰いかならむみぞれはげしき長き夜の闇

佐伯長穂

天の原雲なき空の雪と雨ととはに見せたる那智の大滝

加納諸平

いただきに杣板のせてくだる子がうしろで寒き那智の山風

佐佐木信綱

天つ処女あまつ白木綿しらゆふとはに織るをさの音かも滝の音かも

与謝野寛

修行者が清き素足のあなうらになれ作仏さぶつす那智の黒石

与謝野晶子

雲の中に那智の山あり人かよひ伐木すなり春夏秋冬

長塚節

ぬばたまの夜の樹群のしげきうへにさゐさゐ落つる那智の白滝

若山牧水

末うすく落ちゆく那智の大滝のそのすゑつかたに湧ける霧雲

暮れゆけば墨のいろなす群山の折り合へる峡にひびくおほ滝

朝なぎの五百重いほへの山の静けさにかかりてひびくその大滝は

佐藤佐太郎

冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面19 熊野・由良の門2015年04月24日

熊野古道

熊野

紀州南部の称。熊野神社あり。

加納諸平

がつがけぶりふきけむ跡ならし椿のまき葉霜に氷れり

山賤がもちひにせむと木実このみつきひたす小川を又や渡らむ

鯨とるくま野の舟の八十やそつゞき花も紅葉も浦にこそあれ

竹田寅三

紀の山の冬暖かし夕さればきり岸の上に松虫のなく

すがすがし奥の熊野の広前の黒き小石の朝じめりかな

奥村岸子

三熊野は野べも山べも風かをる蜜柑花咲く春のあけぼの

熊野新宮

熊野川口にあり。

与謝野寛

明るくも材木船のならびたる熊野の秋の川口の色

石榑千亦

木の国の木の都なる川口の鋸屑おがくづ道の物柔かさ

瀞八丁どろはつちやう

熊野灘にそゝぐ北山川の一部。

竹田寅三

天つ星またゝき寒し山彦のほかに声なき岩かげにして

由良の門

紀淡海峡をいふ。

曾禰好忠

ゆらのとを渡る船人梶を絶え行も知らぬ恋の道かな

石榑千亦

紀の潮と淡路の潮と戦へる迫門を船ゆくかしぎながらに

補録

音無

(熊野本宮大社前で熊野川に合流する川。附近を「音無の里」と言った。)

よみ人知らず

恋ひわびぬをだに泣かむ声たてていづこなるらむ音無の里

清原元輔

音無の川とぞつひにながれける言はで物おもふ人の涙は

和泉式部

氷みな水といふ水はとぢつれば冬はいづくも音無の里

後鳥羽院

はるばるとさがしき峰を分けすぎて音無川をけふ見つるかな

熊野

柿本人麻呂

み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただにあはぬかも

屏風にみ熊野の形かきたる所
平兼盛

さしながら人の心をみ熊野の浦の浜木綿いくへなるらむ

藤原定家

ちはやぶる熊野の宮のなぎの葉をかはらぬ千世のためしにぞ折る

藤原良経

まれらなる跡をたづねし熊野山見し昔よりたのみそめてき

熊野の本宮やけて、年のうちに遷宮侍りしにまゐりて

後鳥羽院

契りあればうれしきかかる折にあひぬ忘るな神も行末の空

熊野川くだす早瀬のみなれ棹さすがみなれぬ波の通ひ路

正徹

熊野路や雪のうちにもわきかへる湯の峰かすむ冬の山風

加藤千蔭

わたの原夕浪黒く立ち来めり熊野の沖に鯨寄るころ

伴林光平

雲を踏み嵐をぢて御熊野の果無し山の果も見しかな

花のいはや

本居宣長

木の国や花のいはやに引縄の長くたえせぬ里の神わざ

加納諸平

神無月春ごこちにもなれるかな花の岩屋に花祭りして

有馬の海浪のゆふ花折りかけて神をまつらぬ時も日もなし

(水垣注:有馬の海は三重県熊野市有馬町あたりの海。熊野灘の一部。弓なりの海岸線が長く続き、七里御浜と称される。伊邪那美の墓所とも伝わる花の窟が近い。)

由良の門

作者未詳

妹がため玉をひりふと紀の国の由良の岬にこの日暮らしつ

藤原長方

紀の国や由良の湊に拾ふてふたまさかにだに逢ひ見てしがな

藤原良経

かぢをたえ由良の湊による舟のたよりもしらぬ沖つ潮風

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近1 淀川2015年04月25日

淀川(新淀川)に架かる長柄橋

写真は淀川と長柄橋。

五 大阪神戸附近

淀川

宇治川、鴨川、大井川などを併せ下りて大阪市に入る。

藤原公衡

狩くらし交野かたのの真柴折敷きて淀の川せの月をみるかな

木下幸文

ふけゆけば月すみわたりわたの辺の大江の岸に秋の風ふく

橘曙覧

鶯も啼きつかれたる声させつ淀川つつみ長々し日は

大隈言道

たび人のいかにのりてか淀船のとまのうへなる数のすが笠

井上文雄

淀河の夜舟のねざめ神さびぬ八幡の神楽とほくきこえて

伊達千広

枚方ひらかたの堤はてなき夕月に船ひく影のたえずもあるかな

税所敦子

ふけぬるか苫の上白く月さえて千鳥なくなりよどの川ふね

補録

淀川

藤原清正

ゆく人もかへるも見ゆる淀川は波の心もいとなかるらむ

九条隆教

さみだれに岸の青柳枝ひちて梢をわくる淀の川舟

村田春海

霜氷る葦の枯葉に風さえて月すさまじき淀の川なみ

与謝野晶子

わが友の照る頬の春よ淀川のみどりあふれて君が門ゆけ

長柄ながらの橋

淀川にかかっていた橋で、その後朽ちて橋柱だけが残っていた。現在、大阪市北区と東淀川区とを結ぶ同名の橋がある。

よみ人知らず

世の中にふりぬる物は津の国の長柄の橋と我となりけり

伊勢

難波なる長柄の橋もつくるなり今は我が身をなににたとへむ

赤染衛門

我ばかり長柄の橋は朽ちにけりなにはのこともふるる悲しな

伊勢大輔

いにしへにふりゆく身こそあはれなれ昔ながらの橋を見るにも

源俊頼

ゆく末を思へばかなし津の国のながらの橋も名はのこりけり

後徳大寺実定

朽ちにける長柄の橋を来てみれば葦の枯葉に秋風ぞ吹く

下冷泉政為

心なほ夕とどろきの橋柱たつ秋風も身にしみて行く

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近2 水無瀬離宮~高槻2015年04月27日

水無瀬神宮 大阪府三島郡島本町

水無瀬離宮の址

汽車山崎をいでて左方に叢林あり、これを後鳥羽上皇が離宮の址にして今水無瀬神宮あり。

後鳥羽天皇

見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋と何おもひけむ

桜井の駅

水無瀬を過ぎて程なく左方鉄道に沿ひて楠公父子訣別の地あり。

足代弘訓

桜井の実ある教にこずゑまでこゝろの花をちらさざりけり

野矢常方

君の為散れと教へておのれまづ嵐にむかふ桜井のさと

高槻

能因法師が旧棲の地古曾部はこの近くにあり。

能因

我宿の梢の夏になる時は生駒の山ぞ見えずなりゆく

補録

水無瀬

後鳥羽院

水無瀬山木の葉あらはになるままに尾上の鐘の声ぞちかづく

水無瀬山我がふる里は荒れぬらむまがきは野らと人もかよはで

藤原基家

河上に里荒れ残る水無瀬山見しものとては月ぞすむらん

花山院師兼

ありて行くみかさもいさや水無瀬川山もとかすむ春の明ぼの

長慶院

いにしへにはやたちかへれ水無瀬川ふかき心のすゑの白浪

飛鳥井雅縁

水無瀬山玉をみがきし跡とめて忘れぬ郷と月やすむらん

三条西実隆

わきてやはこの里人もみなせ川山もとかすむ花の下道

後水尾院

水無瀬川遠きむかしの面影も立つや霞にくるる山もと

小沢芦庵

水無瀬川かすみの水脈のあらはれて一筋深きをちの山もと

桜井

秋、さくらゐの里といふところにて、もみぢをみて

藤原実方

秋風の吹くに散りかふもみぢ葉を花とやおもふ桜井のさと

藤原顕季

見わたせば春のけしきに成りにけり霞たなびく桜井の里

西行

小芹つむ沢のこほりのひま絶えて春めきそむる桜井の里

契沖

この頃は待つと惜しむと往き来にも花をぞかたる桜井の里

加納諸平

是やこのさらぬ別れにますらをのかへり見しけむ桜井の里

明治天皇

子わかれの松のしづくに袖ぬれて昔をしのぶさくらゐの里

高槻

津国古曾部といふ所にまかりけるに、能因法しの旧跡、見しにもあらずなりて、あら田にすきかへしなどせしを見て

烏丸光広

それをだに田にほり残せ敷島の道しある世の跡かたに見む

次へ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近3 交野2015年04月30日

渚の院跡の業平歌碑(枚方市渚元町)

写真は渚の院跡の業平歌碑(枚方市渚元町)。

補録

交野かたの

大阪府交野市・枚方市あたりの平野。皇室の御領で、古来狩猟地として名高い。桜の名所でもあった。京阪本線牧野駅より東へ徒歩五分、河州一之宮片埜神社がある。

藤原長能

霰ふる交野の御野みのの狩ころもぬれぬ宿かす人しなければ

源師頼

み狩すと楢の真柴をふみしだき交野の里にけふも暮らしつ

藤原忠通

御狩すととだちの原をあさりつつ交野の野辺にけふも暮らしつ

藤原親隆

鶉鳴く交野にたてるはじ紅葉散りぬばかりに秋風ぞ吹く

藤原俊成

またや見む交野の御野の桜狩花の雪ちる春のあけぼの

藤原家隆

天の川秋の一夜のちぎりだに交野に鹿のねをや鳴くらむ

順徳院

夕狩の交野の真柴むらむらにまだひとへなる初雪の空

加藤枝直

桜さくかた野やいづこ白雲の中に流るる天の河なみ

渚の院跡

惟喬親王の別荘跡。その後寺になり、今鐘楼と梵鐘のみが残る。京阪本線御殿山駅より北東約五百メートル。枚方市渚元町の保育園に隣接して跡地が保管されている。

 

なぎさの院にて桜を見てよめる
在原業平

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

(水垣注:『伊勢物語』には「いま狩する交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、かみなかしも、みな歌よみけり」とある。)

祇園梶子

見る人もなきさの花は思ひ出づやたえて桜といひし言の葉

天野川

交野の地を流れる川。七夕伝説に因んで詠まれることが多い。

 

惟喬のみこの伴に狩にまかりける時に、天の河といふ所の河のほとりにおりゐて酒などのみけるついでに、みこのいひけらく、「狩して天の河原にいたるといふ心をよみてさかづきはさせ」といひければよめる

在原業平

狩り暮らしたなばたつめに宿からむ天の河原に我は来にけり

藤原為家

あまの川とほきわたりになりにけり交野の御野の五月雨のころ

次へ