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千人万首メモ 宜野湾朝保 雑2015年08月15日

維新慶賀使として派遣された時の宜野湾朝保(左)

写真は維新慶賀使の正使伊江王子(向かって右)と副使宜野湾朝保(同左)。

海路日暮

行く舟の和田の岬をめぐるまは波にいざよへ夕月の影

「進んでゆく船が和田の岬を巡る間は、夕月の影よ、波にたゆたっていておくれ」。

「和田の岬」は今の神戸港の南西端をなす岬。畿内と西国を往来する際には、必ず近くを通過する岬である。

海路で迎えた日没。夕月も太陽を追うように海の彼方へ沈もうとするが、岬を巡れば畿内の港は近い。もうしばらく波間に光を漂わせて、航路を照らしてくれ。

題詠ではあるが、官人としてたびたび内地に派遣され、船旅を多く経験した作者にとっては親しい題材であったろう。

扁舟暮帰

夕餉ゆふげ焚く煙や沖に見えつらん帰るさいそぐ海人の釣舟

「家で夕飯を炊く煙が沖にまで見えたのだろうか。帰路を急ぐ海人の釣舟よ」。

「扁舟暮帰」は中世から見える歌題。「扁舟」は底の平たい小舟で、漢詩では捕われのない自由気ままな身の譬えなどとされた。いかにも漢詩の風韻が匂う四字題であるが、朝保の歌に漢心は感じられない。どこの港にも見られるであろう日常の、懐かしい風景である。

水石契久

動きなき御世を心の岩が根にかけて絶えせぬ滝の白糸

「微動だにせぬ大君のご治世を我らの心の堅固な支えとして、滝の白糸が大岩に水を注ぐように、絶えず忠心をお寄せ申し上げよう」。

明治五年(1872)、維新慶賀の一行の副使として上京した朝保は、多大な歓迎を受けたが、吹上御所の歌会に陪席した折、兼題「水石契久(水石ノ契リ久シ)」に応じた一首を披露した。庭園の岩が根に「動き無き御世」を託し、大岩と滝水の因縁に日本・琉球の長久の結びつきを言祝いだ一首である。大海のかなた辺土からの使者が、かくまで巧緻にして意味深長な和歌を詠出してみせたことに、内地人の陪席者の驚きは如何ばかりであったろう。

いわゆる「琉球処分」の受容を象徴するような一首として名高い。この果断ゆえに伊波普猷は朝保を「琉球の五偉人」の一人に数え上げたのである。

題は『散木奇歌集』に初見、以後たびたび出題されたものである。

寄月述懐

おもしろき月になりても敷島の道のほかには行くかたもなし

「興の惹かれる月夜になったけれども、さて私はどこへ行こうか。和歌の道のほかには行く場所もない」。

月に寄せた述懐歌。古来の歌題である。早い晩年、三司官を辞して邸内に悟性亭を結び、和歌や書画に没頭していた(没頭するほかなかった)頃の作と思われる。政治家としては今なお毀誉褒貶甚だしい朝保であるが、内地と琉球の架け橋としての生涯を全うしたとは言えるであろう。

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