<< 2016/12 >>
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

RSS

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国9 高松2016年12月02日

高松市街(うどん県旅ネット)

高松

讃岐線の起点。(注:現在はJR予讃線・高徳線の起点となっている。)

友野伴兄

夕ばえの屋島の山はあざやかに白く光れる高松の城

補録

高松暮雪
松平頼重

暮かけてふる白雪の積るより牟礼高松もなべて見えつつ

高松
太田水穂

夕かげの西の明りをさし入れて眼もつばらなる島山の海

裏葉もみぢ2016年12月04日

 

 裏葉もみぢ

 頂ゆながめし紅葉ふもとにてあふげばくはし夕日透かせる

 色まして葉裏かがやく下道をゆきつつ山の秋と別れき

 

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国10 栗林公園2016年12月05日

栗林公園(うどん県旅ネット)

栗林りつりん公園

高松市にあり。(注:高松藩主であった松平家により造営され、藩別邸として使われた。維新後、県立公園となる。回遊式庭園で名高い。JR高徳線栗林公園北口駅、ことでん栗林公園駅下車すぐ。)

 

東花子

池をめぐり林をめぐり菅の根の長き春日を園にくらしつ

補録

与謝野寛

園の路松の大樹と岩に入りまた池を見て橋に逢ふかな

土屋文明

朝明あさあけの港に一人おりたちて栗林園りつりんゑんの道をききゆく

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国11 沙弥島(狭岑島)2016年12月06日

沙弥島と瀬戸大橋(うどん県旅ネット)

瀬戸大橋と沙弥島

補録

沙弥島しやみじま

香川県坂出市。万葉集に「狭岑さみねの島」と詠まれている。かつては島であったが、埋め立てにより現在は陸続きとなっている。JR坂出駅からバス便がある。

 

讃岐の狭岑さみねの島にして、石の中の死人しにひとを見て、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ かむからか ここだたふとき 天地あめつち 日月ひつきとともに り行かむ 神の御面みおもと 継ぎ来たる 那珂なかの港ゆ 船浮けて 我が榜ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 見れば 白波騒く いさなとり 海をかしこみ 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑さみねの島の 荒磯面ありそもに いほりて見れば 波のおとの 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床あらとこに 自臥ころふす君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾たまほこの 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ しき妻らは

反歌二首

妻もあらば摘みてげまし沙弥さみの山野のうへのうはぎ過ぎにけらずや

沖つ波来寄る荒磯ありそを敷栲の枕とまきてせる君かも

斎藤茂吉

浪のひらたく見ゆる砂弥島しやみじまはそのいにしへに人はしみき

砂弥島の荒磯ありそいはに漕ぎ寄せてわがひとりなる心やすらふ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国12 白峰2016年12月08日

白峯陵入口 香川県坂出市

崇徳天皇白峯陵入口

白峰しらみね

鬼無より鴨川に至る間の線路の右にあり。崇徳天皇の陵あり。(注:香川県坂出市青海町。白峰山の頂近くに白峯寺があり、隣接して崇徳天皇の白峯陵がある。坂出駅より白峰山登山口までバス便がある。)

西行

松山の波に流れてこし舟のやがてむなしくなりにけるかな

(「松山」は、配流された崇徳天皇が下船した松山の津を指す。次項参照)

よしや君むかしの玉の床とてもかからむのちは何にかはせむ

武井大助

西行もこの大杉の下かげにうづくまりては嘆きまをしけむ

白峰の山ふところにかそけくも立てるほこらをめぐる大杉

補録

与謝野晶子

讃岐路のあやの松山白峰に君ましませばあやにかしこし

(前の「あや」は、かつて坂出市の市域が属した郡の名「阿野あや」。これを、「あやにかしこし」の「あや」に掛けている。)

中河幹子

とこしへにこの白峰を守らすと流れ来まししや玉のおん身を

白木裕

皇陵は山のあなたか古松の並生ふる径は峰に続けり

木俣修

みささぎの山の背後うしろにくろぐろと昏れゆくか冬の讃岐の群山むらやま

上田三四二

白峯の寺のつづきにしづまりて御陵ぞたかき石段のうへ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国13 松山津2016年12月10日

香川県坂出市松山津周辺

香川県坂出市「松山の津」旧蹟周辺を望む(向いの島は与島。橋は瀬戸大橋)

補録

松山津まつやまのつ

香川県坂出市東部。讃岐国の国府に近い要港であった。保元の乱に敗れて流された崇徳上皇の上陸地として名高い。雄山の北東の麓に松山津の石碑がある。坂出駅より琴参バス王越線高屋局前下車。(前項「白峰」も参照されたい。)

 

讃岐へまかりける人につかはしける
藤原定頼

松山の松の浦風ふきよせば拾ひてしのべ恋忘れ貝

すけよしの朝臣の讃岐にあるころ、九月ばかりおくりし

橘為仲

ふるさとは紅葉しぬめり松山のときはの影を見や馴れぬらん

讃岐につかせ給ひしかども、国司いまだ御所をつくり出さざれば、当国の在庁、散位高季といふ者のつくりたる一宇の堂、松山といふ所にあるにぞ入れまゐらせける。されば事にふれて都をこひしく思しめしければ、かくなん

崇徳院(保元物語)

浜ちどり跡は都へかよへども身は松山にをのみぞなく

(注:「浜ちどり」は砂浜に特徴的な足跡を残すことから「跡」を導く枕詞。「跡」とは、書き残した跡、すなわち消息のこと。)

作者不詳

松山の涙は海にふかくなりてはちすの池にれよとぞ思ふ

(注:『山家集』より。作者名は「女房」とある。讃岐の崇徳院にあてた西行の歌「其日よりおつる涙を形見にて思ひ忘るる時のまもなし」に対し、崇徳院お付きの女房の作として返した歌。)