佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州12 志賀島 ― 2017年03月01日
志賀島(提供:福岡市)
補録
志賀島
福岡市東区。海の中道によって陸続きになっている島。万葉集にはこの島を詠んだ歌が二十数首あり、殊に海人で名高かったことが知られる。金印出土を記念する金印公園、元寇の際に処刑された蒙古の兵士を供養する蒙古塚などがある。
志賀の海人の塩焼く煙風をいたみ立ちは上らず山にたなびく
筑紫の館に到り遥かに本郷を望み悽愴しみて作れる歌
志賀の浦に漁りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚
可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも
筑前国の志賀の白水郎の歌
志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ
もののふの灯しとのみも見ゆるかな志賀の島なる海人のいさり火
さやさやとつばさ並みゆく夕鳥は志賀のしままで行くにやあらむ
新刊のお知らせ 作歌四十年(旧仮名遣版・現代仮名遣版) ― 2017年03月02日
アマゾンkindle・楽天koboにて、斎藤茂吉著『作歌四十年』を発売しました。茂吉短歌の自選自註であり、半ば自叙伝とも言えよう書物です。戦時中に茂吉が書いたもので、晩年の作は含まれておりませんので、戦後の歌につき自ら解説を附した短文「冬」「春」「夏」「秋」「東京」を巻末に附録としました。
茂吉の自筆原稿になるべく忠実に作成した本文ですので、編集・改訂の手が加わっている岩波版の全集とは少し異なるところがあります。
旧仮名遣版と現代仮名遣版と、今回は両方揃えてみました(漢字はいずれも新字体を用いています)。読みやすい方を選んでお求め下さい。
本書は筑摩叢書の一冊としても出版されましたが、疾うに同叢書は廃刊になってしまいました。古本はある程度流通しているようですが、この本は相当に誤植の多い本です。まず表紙(カバーを外した表紙ですが)が「作家四十年」となっているのですから呆れます。

ほかにも、例えば19ページの「特に深く…」は、自筆原稿によれば「時に深く…」の誤り、といった具合に、原稿との食い違いが随所に見られます。このたびの電子版では、中央公論美術出版刊の自筆原稿複製版(下の写真参照)により、より正確な本文の作成を目指しました。

最初に掲げた画像をクリックすると商品詳細ページに移動しますので、詳しくはそちらをご覧下さい。
楽天へは下記よりどうぞ。
作歌四十年(旧仮名遣版)【電子書籍】[ 斎藤茂吉 ]作歌四十年(現代仮名遣版)【電子書籍】[ 斎藤茂吉 ]
【関連書籍】
新刊のお知らせ 拾遺愚草全釈(全五巻合冊) ― 2017年03月03日
アマゾンkindleにて、水垣久著『拾遺愚草全釈(全五巻合冊)』を発売しましたのでお知らせ申し上げます。
既刊の第一巻から第五巻までを一冊としたものです。紙の本にすると3600ページを超える大冊になります(Amazonによる換算)。
内容としては、既刊の分冊と変わりません。些少な改訂はあります。
表紙の装画には下村観山の藤原忠平像(「小倉山」部分)を使わせて頂きました。
下をクリックすると商品詳細ページに移動しますので、詳しくはそちらをご覧下さい。
拾遺愚草全釈(全五巻合冊)佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州13 博多 ― 2017年03月04日
博多港(提供:福岡市)
補録
博多
福岡市東部。博多湾に面した港湾・商業都市。古く屯倉が置かれた。古名、那大津、那津。古歌では唐舟の寄る湊として詠まれる。一説に歌枕「袖の湊」を博多の湊とするが、不審な点が多く、ここには「袖の湊」を詠んだ歌は採らなかった。博多駅は山陽新幹線の終点にして九州新幹線の起点。
海原や博多の沖にかかりたるもろこし舟に時つぐるなり
唐人の袖もゆたかにうな原や博多の沖にたつ霞かな
さわがしき博多の市も春雨のふりしづめたる昨日今日かな
こぎ出でて見ればおもしろし筑紫潟博多の海の底引の網
しめやかに雨過ぎしかば市の灯はみながら涼し枇杷堆し
秋来れば博多小女郎もなげきけむ波の遠音に人の待たるる
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州14 櫛田神社 ― 2017年03月05日
櫛田神社(提供:福岡市)
櫛田神社
博多の産土神。(注:福岡市博多区。祭神は大幡大神(櫛田大神)・天照大神・素盞嗚大神。伊勢松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされる。博多祇園山笠・博多どんたくで名高い。菊池武時ゆかりの伝承がある(太平記・博多日記)。)
もののふの上矢の鏑ひと筋におもふ心は神ぞしるらむ
補録
荒縄を下げしゐさらひ露はなる山笠びとの瑞々しさよ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州15 福岡 ― 2017年03月07日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州16 荒津 ― 2017年03月08日
博多湾と西公園付近(提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimoto)
補録
荒津
福岡市中央区荒津・西公園あたり。万葉集に「荒津の浜」「荒津の海」「荒津の崎」が詠まれている。近くに鴻臚館があり、大陸との交易の拠点であったと見られる。後世、その名から荒々しい海辺を示す歌枕となった。西公園には討幕に奔走した福岡藩士平野国臣の像がある。
白栲の袖の別れを難みして荒津の浜に宿りするかも
草まくら旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ
羇旅を悲しみ傷みて、各所心を陳べて作れる歌
荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か我が恋ひざらむ
神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひわたりなむ
風さわぎ夕立しけり神さぶる荒津の崎によする白浪
荒津の海汐引きぬらしわが里の空も干潟と見ゆる白雲
さ夜中に寝覚めて聞けば荒津の海冬の名残の波の音ぞする
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州17 生の松原 ― 2017年03月10日
生の松原と元寇防塁
補録
生の松原
筑前国の歌枕。福岡市西区の姪浜から西に延びる海岸の松林。新羅遠征の際、神功皇后が無事を祈ってこの地に松の枝を挿し、その枝が生い育って林になったと伝わる(筑前国風土記)。松原は今も残り、また元寇防塁の遺跡がある。「いき」に「生き」「行き」の意を掛け、筑紫へ下る人への餞別の歌に詠まれるなどした。
老いぬれどなほ行先ぞ祈らるる千歳まつにもいきの松原
筑紫へまかりける人のもとにいひつかはしける
昔見しいきの松原こと問はば忘れぬ人もありとこたへよ
一条院御時、大弐佐理筑紫にはべりけるに、御手本かきに下しつかはしたりければ、おもふ心かきて奉らんとて、かきつくべき歌とてよませ侍りけるによめる
都へといきの松原いきかへり君が千歳にあはんとぞおもふ
音にきくいきの松原見つるより物思ひもなき心地こそすれ
大宰帥隆家くだりけるに、扇たまふとて
すずしさはいきの松原まさるともそふる扇の風な忘れそ
恋ひ死なで心づくしに今までもたのむればこそ生の松原
涼しさを風のたよりにこととはむ今いくかあらばいきの松原
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州18 能古島(也良の崎) ― 2017年03月13日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州19 唐泊 ― 2017年03月15日
宮浦漁港(提供:福岡市 撮影者:Fumio Hashimoto)
補録
唐泊
糸島半島の北東部、福岡市西区宮浦に今も唐泊港と呼ばれる港がある。古代、韓人の宿泊所が置かれ、万葉集には「韓亭」とある。JR筑肥線の今宿駅より宮浦までバス便がある。
筑前国志麻郡の韓亭に到りて、舶泊して三日を経たり。…各心緒を陳べていささか以ちて裁れる歌
韓亭能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
風吹けば沖つ白波かしこみと能許の亭にあまた夜ぞ宿る
すみわぶる身はうつせみのから泊うきたる舟や此の世なるらん
浪風のうき寝ぞからき唐泊ひとの国にもためしなきまで
しきしまの大和にもあらぬ心地していとどうき寝の韓泊かな
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