佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州50 対馬 ― 2017年11月18日
対馬厳原港
補録
対馬
玄界灘にあり、九州と朝鮮半島の中間あたりに位置する島。『魏志』倭人伝には倭国の一国として「対馬国」が記録されている。古くから大陸との交通の要衝であり、万葉集でも遣新羅使の停泊地として名が見える。平成十六年、全島を市域とする対馬市が発足(長崎県に属する)。博多から壱岐経由の船便があり、また博多・長崎から航空便がある。
三野連入唐する時に春日蔵首老の作る歌
在り嶺よし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね
対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも
対馬島の浅茅の浦に到りて舶泊りする時、順風を得ず、経停すること五箇日なり。ここに、物華を瞻望し、各々慟心を陳べて作る歌
百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり
(注:「浅茅の浦」は浅茅湾の一部、一説に厳原港という。)
対馬にくだりてわが国の方ははるかになりて、新羅の国の山の見えければ
船出せし博多やいづら対馬にはしらぬ新羅の山ぞ見えける
漕ぎ出づる対馬のわたり程とほみ跡こそ霞め壱岐の島松
新羅辺は夕立すらし百船の対馬の根ろゆ雲ゐ立ち来も
見わたせばさも長々し平戸より対馬の沖にわたす白雲
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