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新元号「令和」2019年04月02日

出典が『万葉集』梅花の宴の序文と聞いて、まさに一陣の薫風をかぐ思いがしました。佐佐木信綱編の岩波文庫では、序文冒頭部、次のような訓み方がされています。

天平二年正月十三日、そちおきないへあつまるは、宴会をぶるなり。時に初春のき月、気く風なごみ、梅は鏡の前の粉をひらき、らには珮の後の香を薫らす。

「初春のき月、気く風なごみ…」の部分、菅長官はたしか「…令月にして…風やわらぎ…」と誦まれていたと思いますが、「令き月…風なごみ…」という訓み方の方がなごやかで良いのではないでしょうか。

同博士の『評釈万葉集』では次のように訳されています。

天平二年正月十三日、帥のおきなの宅に集って宴会を開いた。時は初春のよい月で、気候はよく風はなごやかに、梅はあたかも鏡の前の美女の白粉のごとく麗しく咲き、蘭はまるで佩香(においぶくろ)のうしろにいるような薫香を発しておる。

中国の古典『文選』に影響された措辞であることが指摘されていますが、当時の日本の漢文としては普通のことですし、文脈は異なるので、出典を『万葉集』とすることに全然問題はないと思います。

ここに天をきぬがさにし、地をしきゐにし、膝をちかづさかづきを飛ばす。言を一室のうちに忘れ、えりを煙霞の外に開き、淡然としてみづかほしきままに、快然として自ら足りぬ。若し翰苑にあらずは、何を以ちてか情をべむ。詩に落梅の篇をしるせり。古と今とそれ何ぞ異ならむ。宜しく園の梅をみて聊か短詠を成すべし。

【訳】この庭に、天をきぬがさにとりなし、地を坐席として宴楽し、互に膝を近づけて盃を取りかわす。興に乗じてはいうべき言葉をも忘れ、而して互に胸襟をひらき、外景を眺めてうちとけ、心しずかにとらわれるところなく、快くして自ら満ち足りておる。若し文章によらなかったならば、何を以って情をのべよう。毛詩には「落梅」の篇を載せている。いにしえ今といえど、何の相違があろうか。我々も宜しく園の梅をうとうて、短歌につくるべきである。

大伴旅人主催の梅花の宴は、和歌史上、また日本の文芸史上、画期的な催しでした。それ以前の和歌は、額田王や柿本人麻呂に代表されるように、宮廷の催しの場で、上からの命令で創作されるのが通例だったのですが、旅人や山上憶良(梅花の宴の参席者の一人でした)の時代になって、ようやく文人が自発的に集い、創造の場を形造るようになったのです。日本語の「短詠」という当時まだ新しかった文芸を、東海の一国に樹立しようとの、文人たちの志の大きな結実が梅花の宴三十二首でした。

そうした意味で、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められている」との安倍首相の説明には深く頷かれるものがありました。