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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州77 鵜戸2019年05月07日

鵜戸神宮

鵜戸神宮

補録

鵜戸うど

宮崎県日南市宮浦。日向灘に突き出た鵜戸崎がある。突端の洞窟には、神武天皇の父、鸕鷀うがや葺不合ふきあえず尊を主神として祀る鵜戸神宮が鎮座する。千畳敷の奇岩も名高い。鵜戸神宮へは、JR九州日南線伊比井駅・油津駅、また宮崎空港よりバス便が利用できる。

 

佐佐木信綱

日向灘五百重いほへ千重ちへなみしきよする鵜戸のみさきにかしこみ立つも

長塚節

うるはしき鵜戸うどの入江のふところにかへる舟かも沖には満つ

川田順

遠つ世のの国の海の真冬浪まふゆなみ鳴りとよもすも神の岩窟いはや

木俣修

神橋かみはしあけ反橋そりはしほのぼのとこの降る春の雨にいろへり

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州78 飫肥2019年05月11日

飫肥城大手門

飫肥城大手門

補録

飫肥おび

宮崎県日南市の中央部にある城下町。伊東氏が長く支配した。もと那珂なか郡、次いで南那珂郡に属した。飫肥城跡はJR九州日南線飫肥駅下車。

 

二日、油津の港へつきて更に飫肥にいたる、枕流亭にやどる、欄のもと僅に芋をつくりたるあり心を惹く

長塚節

ころぶせば枕に響く浅川に芋洗ふ子もが月白くうけり

(注:大正三年九月。「浅川」は普通名詞か。「子もが」は「子(娘)がいてほしい」との願望。)

安永蕗子

夕光ぬべき時を飫肥おびすぎ鉾杉ほこすぎにもゆるかげろふ

(注:飫肥杉は飫肥藩によって植林され始めた杉で、今も良材として名高い。)

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州79 日向灘2019年05月13日

日南海岸 日向灘

日南海岸

補録

日向灘ひゆうがなだ

宮崎県の太平洋沿岸の海域。昔は赤江灘あかえなだとも呼ばれ、波の荒いことで知られた。都井岬の沖合には黒潮の本流が接近する。

 

与謝野晶子

云ひがたきわりなき涙おつるなり日向の灘の青きうしほ

南日向を巡りて
若山牧水

白つゆか玉かとも見よわだの原青きうへゆき人恋ふる身を

塚本邦雄

日向灘いまだ知らねど柑橘の花の底なる一抹の金

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州80 都井岬2019年05月14日

都井岬

補録

都井岬といみさき

宮崎県串間市。県最南端の岬。古くから軍馬の放牧地で、日本在来種と言われる岬馬(御崎馬)がいま半野生化して生息する。蘇鉄の自生地としても知られる。JR九州日南線串間駅よりバス便がある。

 

若山牧水

日向ひうがの国都井とゐの岬の青潮に入りゆくはなに独り海聴く

(注:『海の声』による。『別離』では結語「見る」と改訂。都井岬の歌碑にも「見る」と彫られている。)

土屋文明

花も見ず人間も見ず都井の岬の跡位とゐ浪見むに心いそぐなり

(注:「跡位浪」は万葉集に見える語。高くうねり立つ波。)

二十三首より
安永蕗子

なかなかに惜しき命を運び来て風の岬に尖るうつし身

下り立ちし一投足の淋しきにこの夕草に野の馬も

(注:「投足」は足を投げ出すこと。)

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州81 霧島山2019年05月15日

霧島連山

補録

霧島山きりしまやま

宮崎・鹿児島県境にまたがる火山群。霧島連山とも。最高峰の韓国からくに岳は標高1700メートル。他に高千穂峰・新燃岳などから成る。ミヤマキリシマの群生が見られる。JR九州吉都線・肥薩線・日豊本線が山の周囲を巡っている。(ここでは高千穂峰は別項目とした。)

 

与謝野晶子

渓渓たにだにの湯の霧しろしきりしまは星のうまるるさかひならまし

長塚節

朝まだきすずしくわたる橋の上に霧島ひくく沈みたり見ゆ

斎藤茂吉

天地あめつちもくらみわたれる狭霧さ ぎりにし霧島山はかくれて見えず

橘宗利

夏がすみ青くながれて霧島の山のかひより桜島見ゆ

松田常憲

木枯のままにくれゆく山の路根笹ねざさの雪はいまだあかるし

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州82 高千穂峰2019年05月21日

高千穂峰 霧島市観光写真素材ライブラリー

霧島市観光写真素材ライブラリーより

補録

高千穂峰たかちほのみね

宮崎・鹿児島県境、霧島連山の一峰。円錐状の成層火山であり、二つの寄生火山を従える。天孫降臨伝説の地として名高く、山頂にあま逆鉾さかほこが立つ。鹿児島県霧島市の霧島神宮古宮址の近くに登山口がある。

 

五社百首、山
藤原俊成(夫木抄)

たかちほのくしぶる峰ぞあふがるるあま鈿女をずめのはじめと思へば

(注:「たかちほ」を「たけちほ」とする本もある。天の鈿女は、天鈿女命あまのうずめのみこと。天の岩屋戸の前で踊った女神。天孫降臨の際には、天の八衢やちまたに立っていた猿田彦神を懐柔し、道案内をさせた。)

春のはじめの歌
楫取魚彦

皇神すめかみ天降あもりましける日向ひむかなる高千穂のたけやまづ霞むらむ

鹿持雅澄

高千穂の二上ふたかみ見ればすめがみの天降あもりましけむいにしへ思ほゆ

八田知紀

高千穂のすずのしの原打ちさやぎなびくと見ればあられ降るなり

大空のみはしとなりて皇神に仕へまつりし山にやはあらぬ

与謝野寛

高千穂の峰ほのぼのと青みたり神のらぎも聞きぬべきかな

尾上柴舟

神代のごと遠く思ひし高千穂の高嶺近う来てわが立つものか

斎藤瀏

すべたふれそのまま居りて一人なりしんしんとして深き山かも

斎藤茂吉

大きなるこのしづけさや高千穂の峰のべたるあまつゆふぐれ

高千穂の山のいただきにいきづくや大きかもさむきかもあめ高山たかやま

高千穂の山にのぼりてその山におこるさぎりを吸ひたるかなや

土屋文明

高千穂はおのれそそりて高天の真澄にさびし焼山のいろ

松田常憲

おのづから霧ふきはれて雪かづく高千穂の峰は月夜となりぬ

新刊のお知らせ 柳原白蓮『歌集 紫の梅』2019年05月28日

白蓮の歌集

現代語訳・評釈付きの新古今和歌集を制作中なのですが、なかなか完成は遠いので、校了がなった白蓮第三歌集『紫の梅』を先に出版しました。

近年、小説やTVドラマで話題となった白蓮ですが、歌人として再評価されたという話はあまり聞きません。現代短歌の基準からすると、評価されないのは仕方ないのかなという気もします。品が良すぎて野心がなかったというか…(野心の無さは、現代芸術にあっては致命的な欠点でしょう)。

しかし幾つか出版された、どれも小さな可憐な歌集。その清純な歌々。生まれついての品格としか言いようのない、こころ=ことばの美しさ。時代の激流・悲運と共にあった、その人生の物語イストワール…。

晩年に向けて歌境は研ぎ澄まされてゆきますから、順を追って読んで頂ければ、と願っております。
『紫の梅』収録歌の例は商品説明のところで読んで頂くとして、以後の歌集よりいくつか。

 思ひきや月も流転のかげぞかしわがこしかたに何をなげかむ(流転)
 英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壺よ振れば音する(地平線)
 金星のあらはれいでてまたたくに子供のごとくわれ泣きにけり(同)
 そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ(辞世)