佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州77 鵜戸 ― 2019年05月07日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州78 飫肥 ― 2019年05月11日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州79 日向灘 ― 2019年05月13日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州80 都井岬 ― 2019年05月14日
補録
都井岬
宮崎県串間市。県最南端の岬。古くから軍馬の放牧地で、日本在来種と言われる岬馬(御崎馬)がいま半野生化して生息する。蘇鉄の自生地としても知られる。JR九州日南線串間駅よりバス便がある。
日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海聴く
(注:『海の声』による。『別離』では結語「見る」と改訂。都井岬の歌碑にも「見る」と彫られている。)
花も見ず人間も見ず都井の岬の跡位浪見むに心いそぐなり
(注:「跡位浪」は万葉集に見える語。高くうねり立つ波。)
なかなかに惜しき命を運び来て風の岬に尖るうつし身
下り立ちし一投足の淋しきにこの夕草に野の馬も倚る
(注:「投足」は足を投げ出すこと。)
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州81 霧島山 ― 2019年05月15日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州82 高千穂峰 ― 2019年05月21日
補録
高千穂峰
宮崎・鹿児島県境、霧島連山の一峰。円錐状の成層火山であり、二つの寄生火山を従える。天孫降臨伝説の地として名高く、山頂に天の逆鉾が立つ。鹿児島県霧島市の霧島神宮古宮址の近くに登山口がある。
たかちほのくしぶる峰ぞ仰がるる天の鈿女のはじめと思へば
(注:「たかちほ」を「たけちほ」とする本もある。天の鈿女は、天鈿女命。天の岩屋戸の前で踊った女神。天孫降臨の際には、天の八衢に立っていた猿田彦神を懐柔し、道案内をさせた。)
皇神の天降りましける日向なる高千穂の岳やまづ霞むらむ
高千穂の二上見ればすめがみの天降りましけむいにしへ思ほゆ
高千穂のすずのしの原打ちさやぎなびくと見れば霰降るなり
大空のみはしとなりて皇神に仕へまつりし山にやはあらぬ
高千穂の峰ほのぼのと青みたり神の笑らぎも聞きぬべきかな
神代のごと遠く思ひし高千穂の高嶺近う来てわが立つものか
辷り倒れそのまま居りて一人なりしんしんとして深き山かも
大きなるこのしづけさや高千穂の峰の統べたるあまつゆふぐれ
高千穂の山のいただきに息づくや大きかも寒きかも天の高山
高千穂の山にのぼりてその山におこるさ霧を吸ひたるかなや
高千穂はおのれそそりて高天の真澄にさびし焼山のいろ
おのづから霧ふきはれて雪かづく高千穂の峰は月夜となりぬ
新刊のお知らせ 柳原白蓮『歌集 紫の梅』 ― 2019年05月28日
現代語訳・評釈付きの新古今和歌集を制作中なのですが、なかなか完成は遠いので、校了がなった白蓮第三歌集『紫の梅』を先に出版しました。
近年、小説やTVドラマで話題となった白蓮ですが、歌人として再評価されたという話はあまり聞きません。現代短歌の基準からすると、評価されないのは仕方ないのかなという気もします。品が良すぎて野心がなかったというか…(野心の無さは、現代芸術にあっては致命的な欠点でしょう)。
しかし幾つか出版された、どれも小さな可憐な歌集。その清純な歌々。生まれついての品格としか言いようのない、こころ=ことばの美しさ。時代の激流・悲運と共にあった、その人生の物語…。
晩年に向けて歌境は研ぎ澄まされてゆきますから、順を追って読んで頂ければ、と願っております。
『紫の梅』収録歌の例は商品説明のところで読んで頂くとして、以後の歌集よりいくつか。
思ひきや月も流転のかげぞかしわがこしかたに何をなげかむ(流転)
英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壺よ振れば音する(地平線)
金星のあらはれいでてまたたくに子供のごとくわれ泣きにけり(同)
そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ(辞世)
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