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『和歌名所めぐり』東海道線 目次2015年02月27日

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線2 川崎・横浜2015年02月13日

横浜港 氷川丸

川崎

東南二十町に川崎大師あり。

河杉初子

六郷の河原に淡き夢を見る月見草などうらがなしけれ

大河内国子

厄よけに大師詣での帰り道おちゐし胸によき富士を見つ

横浜

横浜に錨おろせるペルリにかはりてよめる

佐久間象山

武蔵の海さしいづる月は天飛ぶやかりほるにやに残る影かも

     ○

石松東雄

船のがさぎりの中に語らへる湊の夜こそなまめかしけれ

野村富貴子

秋近し野毛山の鐘夜を呼びて港の町はいまともりぬ

三渓園

本牧にあり、原氏の庭園。

前田利定

渓水の清き岩間ゆさしいづる一枝の梅にまづ春はきぬ

村田清子

風鐸のひゞく松かげ些かのうれひにつかれ夕月をみぬ

べに芙蓉すがためでたく咲き出でて横笛庵に初秋は来ぬ

河杉初子

丘の上は風たつらしもあららぎの風鐸の音をわたどのに聞く

まろき山のあららぎ見ればはしけやし大和を思ひ心ときめく

杉田梅林

本牧より浦つゞきにて一里あまりのところ。

東一雄

朝の風丘びの梅のうれ吹けば梅が香遠く海にかをりぬ

補録

横浜

武蔵の橘の浦にて
安藤野雁

春の色の海よりのぼるかげろふに半ばそめたる安房の浦なみ

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線1 東京2015年02月12日

東京駅

一 東海道線

東京

皇城

東久世通禧

万代のかげこそこもれ宝田の千代田の宮の松のむら立

正岡子規

桜咲く御国しらすと百敷の千代田の宮に神ながらいます

八木善文

まかがやく黄金こがね御輦みくるま春風にかがやき出でぬ玉敷ける橋

東京駅

岡田三鈴

東京、東京、幾年われの思へりし都にまづぞ我は着きにける

日比谷公園

北原白秋

喨々と一すぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴の嘴

銀座

土岐哀果

ある朝の銀座の街の時計台ものめづらしく仰ぎつつ行けり

上草履午後の休みに出でて踏む銀座通りの春の土かな

上野公園

正岡子規

雨にして上野の山を我が越せば幌のすきまよ花の散るみゆ

若山牧水

動物園のけものの匂ひする中を歩むわが背の秋の日かげよ

香取秀真

上野山下枝しづえを垂れてさく花のおくにどよめく桜人のとも

浅草公園

平野忠俊

織るが如き人かげ絶えて浅草の御寺しづかに月さし出でぬ

赤倉富子

打水がかげに光る仲見世の敷石ふめばさわやぐ心

隅田川

加藤千蔭

墨田川みのきてくだす筏士にかすむあしたの雨をこそしれ

安藤野雁

隅田川花のよどみにうく鳥の桜はねぎる春のゆふぐれ

加藤千浪

すみだ川長き堤も春の日もみじかくなすは桜なりけり

石榑千亦

よしきりや列をはなれて小さき帆の綾瀬に折れし昼下りかな

両国橋

平沼呉岳

光の華み空にみだれ大伝馬、小伝馬、艀、川をうづめぬ

東京こゝかしこ

土岐哀果

大門の車庫の広場に品川の鷗の遊ぶ冬のあけぼの

河杉初子

よし町へ銀のたけなが買ひにゆく夜を美しう春の雨ふる

松本徳子

粉雪ふるいかだの上を白鷺がひよい〳〵歩む上木場の堀

大村八代子

霜白し愛宕の塔にぽつかりと朝日はさして夜あけぬるかな

赤倉富子

つぎつぎに草の名を問ふ幼子と植物園をたどる春の日

池上本門寺

大森駅の附近、日蓮上人示寂の処。

片山広子

池上や千部経よむ春卯月霞む野路ゆく人のむれかな

祖師ねぶる池上山のよひ月夜杉の上行く山ほとゝぎす

補録

東京

斎藤茂吉

東北の町よりわれは帰り来てあゝ東京の秋の夜の月

隅田川

我がおもふ人に見せばやもろともにすみだ川原の夕暮の空(藤原俊成)

隅田川堤にたちて舟待てば水上とほく鳴くほととぎす(加藤千蔭)

つくばねの高嶺のみゆき霞みつつ隅田河原に春たちにけり(村田春海)

隅田川なか洲をこゆる潮先にかすみ流れて春雨の降る(井上文雄)

追ひつぎて花もながれむ角田川つつみの桜かげ青みゆく(大国隆正)

永代橋

永き代の橋を行きかふ諸人はおのづからにや姿ゆたけき(田安宗武)

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』―はじめに―2015年02月12日

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』(博文館刊)

私は旅が趣味だったと言っても良いくらいの旅好きで、海外旅行の経験は乏しいものの、日本は釧路から西表島まで、全国各地をかなり歩き廻っている方だと思います。しかし、今は事情あって身体が自由になりません。そこで旅の本を読んだりして心を慰めることが多いのです。中でも好きなのは、昔の歌人の紀行文、そして名所和歌などを集めたアンソロジーです。最近、佐佐木信綱が大正八年に出した『和歌名所めぐり』という面白い本(博文館刊)を入手し、愛読しています。この書のユニークなところは、鉄道の路線別に和歌の名所を部類しているところでしょう。目次は次のようになります。

一 東海道線
二 京都附近
三 伊勢方面
四 大和紀伊方面
五 大阪神戸附近
六 山陽線
七 山陰線
八 四国
九 九州
十 中央線
十一 信越線
十二 北陸線
十三 総武線
十四 常盤線
十五 東北線
十六 磐越線、奥羽線
十七 北海道及樺太
十八 台湾
十九 朝鮮及満洲
二十 支那及印度
二十一 欧米及其他

名所は東京の皇居からアフリカの喜望峰にまで渡ります。万葉歌人から当時の同時代の歌人まで、各時代の名所詠を読み味わいながら、旅した懐かしい風景を思い出したり、未知の土地に想像を巡らしたりします。

同時代の歌人は佐佐木信綱の主宰した歌誌「心の花」の同人に偏りますが、時に白蓮や片山廣子といった名が出てきてはっとさせられるのも、この本の楽しみの一つです。

佐佐木信綱の選から漏れた名歌・秀詠を補いつつ、これまで撮り貯めた写真や、フリー素材の写真と併せ、ブログで「和歌名所めぐり」を連載してみようと思います。

歌枕:いたち川(神奈川県横浜市栄区)2010年07月19日

いたち川 神奈川県横浜市栄区

先週の金曜、横浜市栄区に要あつて出向き、通りかかつた川のほとりに和歌の案内板を見かけた。兼好法師が「いたちがは」の名を各句の頭に詠みこんだ折句歌だといふ。

いたち川和歌案内板

いかにわが たちにしひより ちりのきて かぜだにねやを はらはざるらん

帰宅して『兼好法師集』を繙くと、次のやうに出てゐた。

さがみの国いたち河といふところにて、このところの名を句の(かしら)に据ゑて、旅の心を

いかに我がたちにし日より塵のゐて風だに閨を払はざるらん

締め切つた閨には風も吹かず塵が積もつたことだらうと、旅先から洛外の庵を思ひやつた歌。二度目の東下りの際の旅中詠で、相模国では他にこよろぎの磯(大磯市)、金沢(横浜市金沢区)でも歌を残してゐる。

さて《いたち川》は今も同じ名で呼ばれてゐる二級河川で、横浜市栄区を流れて柏尾川に注ぎ、柏尾川は藤沢市で境川に合流して相模湾に至る。「いたち」の字は「㹨」といふ珍しい字を用ゐるのが正式らしい。

いたち川遊歩道

川沿ひは緑豊かな遊歩道になつてゐて、木陰が心地よい。高度成長期にはコンクリートの護岸を築いたといふが、水質が悪化したため1980年代に水辺の復元工事を始め、今ではかなり自然が回復してゐる様子だ。都市河川の擬似自然護岸として、海外からも注目されてゐるといふ(参考:ウェブサイト「いたち川」)。
少し上流に溯ると、いたちの親子が遊んでゐた。魚を狙つてゐるのだらうか、ぴくりとも動かない。

いたちの親子

「いたち川」の語源は「いでたち川」かといふ(Wikipedia)。栄区は横浜市の南端、鎌倉市と隣接する地で、かつては相模国鎌倉郡に属した。古人はこの川を渡り、鎌倉から各地へ「出で立つ」て行つたのだらう。

兼好の歌以外に詠まれた例は見つからないので、《歌枕》と呼んでよいかにはためらひがある。もう少し探してみるとしよう。

(2012年10月10日加筆訂正)

「やど」といふ語2009年10月02日

古語、特に和歌に使はれた語は、ひとつの語に多くの意味を担はせてゐる場合が少なくありません。いえ掛詞の話ではありません。例へば「やど」といふ語。今「やど」と言へば、旅館やホテルなど、旅先で泊まる場所を言ふのが普通でせう。ところが和歌では「家屋」「家屋の戸」「家の庭」「旅宿」と、おほよそ四つの意味で用ゐられてゐるのです。
・家の意:君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く(額田王)
・家の戸の意:夕さらばやど開けまけて我待たむ夢に相見に来むといふ人を(大伴家持)
・庭の意:秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどの撫子咲きにけるかも(大伴家持)
・旅宿の意:君が行く海辺のやどに霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(作者未詳)
すべて万葉集より。「やど」は原文では上からそれぞれ「屋戸」「屋戸」「屋前」「夜杼」と書かれてゐます。
そもそも語源は「屋処(やと)」、すなはち《家屋のあるところ》の意で、元来は家とその周辺を言ふ語であつたやうです(白川静『字訓』)。
それにしても、家の内、家の外、内と外の境界、ひつくるめて「やど」の一語で表すとは、実に面白く感じます。昔の日本人の《家》をめぐる空間的な感覚が偲ばれます。さう言へば、ちよつと昔まで日本人は家の中に《土間》といふ家の内と外の中間地帯のやうな場所を必ず設けてゐましたし、また《縁側》といふ家の内と外とを自由に往き来できる場所を必ず設けてゐたのでした。
また、自宅と旅宿を「やど」と呼んで区別しないことも興味深い。持ち家であらうが、借家であらうが、旅の宿であらうが、いづれ一時のかりそめの宿りに過ぎぬ。骨身に沁みて無常を識つてゐた古人の潔さが偲ばれるではありませんか。
なほ、「旅宿」の意で「やど」を使ふ――すなはち現代口語と同じ使ひ方ですが――のは、もともとは誤用で、名詞「やど」と動詞「やどる(屋取る→宿る)」との混同から来てゐます。「取る」のトは乙類ですが、「屋処(やと)」のトは甲類です。意外なことに、「やど」と「やどる」は本来関係のない語だつたのです。とは言へ現存最古の歌集である万葉集に既に見られる使ひ方なのですから、これを「誤用」と呼ぶのは誤用と言ふべきでせう。