白氏文集卷十四 禁中夜作書、與元九 ― 2009年11月04日
禁中にて夜書を作き、元九に与ふ 白居易
心緒萬端書兩紙 心緒万端 両紙に書き
欲封重讀意遲遲 封ぜんと欲て 重ねて読み 意遅遅たり
五聲宮漏初鳴後 五声の宮漏 初めて鳴る後
一點窗燈欲滅時 一点の窓灯 滅えなんと欲る時
【通釈】思いのたけを紙二枚にしたため、
封をしようとしては読み返し、心はためらう。
五更を告げる水時計が鳴り始めたばかりの頃
一点の窓のともし火が今にも消えようとする時。
【語釈】◇五聲 五更(午前三時~五時頃)を告げる音。◇宮漏 宮殿の水時計。
【補記】左拾遺として宮中に仕えていた三十八、九歳頃、湖北省江陵に左遷されていた親友の元九(元稹)のもとへ贈った詩。手紙の内容は言わず、友への思いはしみじみと伝わる。第三・四句が和漢朗詠集の巻下「暁」の部に採られている。但し「初鳴後」が「初明後」となっており、普通「初めて明けて後」と訓まれる。
【影響を受けた和歌の例】
これのみとともなふ影もさ夜ふけて光ぞうすき窓のともし火(道助親王『新勅撰集』)
つくづくと明けゆく窓のともし火のありやとばかりとふ人もなし(藤原定家『玉葉集』)
歸園田居五首(其一) 陶淵明 ― 2009年10月26日
園田の居に帰る(其の一) 陶淵明
少無適俗韻 少きより俗韻に適ふこと無く
性本愛邱山 性 本と邱山を愛す
誤落塵網中 誤つて塵網の中に落ち
一去三十年 一たび去つて三十年
羈鳥戀舊林 羈鳥は旧林を恋ひ
池魚思故淵 池魚は故淵を思ふ
開荒南野際 荒を南野の際に開かむとし
守拙歸園田 拙を守つて園田に帰る
方宅十餘畝 方宅は十余畝
草屋八九閒 草屋は八九間
楡柳蔭後簷 楡柳 後簷を蔭ひ
桃李羅堂前 桃李 堂前に羅る
曖曖遠人村 曖曖たり 遠人の村
依依墟里煙 依依たり 墟里の煙
狗吠深巷中 狗は吠ゆ 深巷の中
鷄鳴桑樹巓 鶏は鳴く 桑樹の巓
戸庭無塵雜 戸庭に塵雑無く
虛室有餘閒 虚室に余間有り
久在樊籠裡 久しく樊籠の裡に在りしも
復得返自然 復た自然に返るを得たり
【通釈】少年の時から世間と調子の合うことがなく、
天性、丘や山を愛した。
誤って俗塵の網に落ち込み、
故郷を去ったきり三十年。
籠の鳥は昔棲んでいた林を恋い、
池の魚はかつて泳いだ淵を慕う。
さて私も南の荒野を開墾しようと、
愚かな性(さが)を押し通し田園に帰って来た。
宅地は十畝余り、
あばら家は八、九室。
楡(にれ)や柳の木が裏の軒を覆い、
桃や李(すもも)の木が母屋の前に列なっている。
遠く人が住む村はぼんやり霞み、
寂しげな里の炊煙がかすかにたなびいている。
路地の奥から犬の吠える声が聞こえ、
桑の梢から鶏の鳴く声が聞こえる。
この家は世俗の付合いがなく、
空虚な屋内にはゆとりがある。
久しく籠の中に囚われていたけれども、
今また自然に帰ることが出来たのだ。
【語釈】◇俗韻 世間の嗜好。◇三十年 「十三年」とする本もある。陶淵明は二十九歳で初めて役人として出仕し、四十二歳で隠棲したので、十三年の方が実際には適うが、約十年ほどの出仕を誇張して三十年としたとの説を採る。◇羈鳥 束縛された鳥、すなわち籠の中の鳥。◇墟里 荒れた里。◇樊籠 鳥かご。身を束縛する官職のことを言う。
【補記】義熙元年(405)十一月、異母妹の訃報に接した陶淵明は彭沢県令の職を辞し、江西の郷里に帰った。その翌年、四十二歳の作。名文『帰去来辞』の完成も同じ頃であった。
【作者】陶淵明(365~427)は六朝時代の東晋の詩人。万葉集の頃から日本文学に深い影響を与え続けてきた。どの詩のどの句が模倣されたといった表面的なことでなく、人生即詩、詩即人生というべきその詩境・詩魂に多くの文人たちが魅せられ続けてきたのである。
【影響を受けた和歌の例】
世の中にあはぬ調べはさもあらばあれ心にかよふ峯の松風(香川景樹『桂園一枝』)
世の中の調べによしやあはずとも我が腹つづみうちてあそばむ(秋園古香『秋園古香家集』)
佩文齋詠物詩選 風 李嶠 ― 2009年10月25日
風 李嶠
落日正沈沈 落日 正に沈沈
微風生北林 微風 北林に生ず
帶花疑鳳舞 花を帯びて鳳の舞ふかと疑ひ
向竹似龍吟 竹に向かつて龍の吟ずるに似る
月影臨秋扇 月影 秋扇に臨み
松聲入夜琴 松声 夜琴に入る
蘭臺宮殿下 蘭台宮の殿下
還拂楚王襟 還つて楚王の襟を払ふ
【通釈】日は落ち、ひっそりと静まり返る中、
北の林で風がそよぎはじめる。
花を帯びて吹けば、鳳凰が舞うのかと怪しみ、
竹に向かって吹けば、龍が嘯(うそぶ)くのに似る。
月影は、いたずらに残された秋の扇に射し、
松籟は、むなしく置かれた夜の琴に入って響く。
蘭台宮の殿堂の階下では、
一巡りした風が、楚王の襟を打ちはらう。
【語釈】◇鳳 想像上の瑞鳥。鳳は雄、凰は雌。◇秋扇 秋になって使われなくなった扇。寵愛を失った女性を暗示する。◇蘭臺宮 春秋・戦国時代の楚王の離宮。楚は周代から戦国時代にかけて存在した国。
【補記】我が国には早くから『李嶠百詠』が伝わり、この詩の第六句「松聲入夜琴」(拾遺集の詞書には「松風入夜琴」とある)を句題として詠まれた斎宮女御徽子女王の作(下記参照)が名高い。
【作者】李嶠(644~713)。趙州(河北省趙県)の人。唐高宗の竜朔三年(663)の進士。則天武后のもと宰相となるが、玄宗の即位と共に盧州に流される。『唐詩選』に二首採られている。
【影響を受けた和歌の例】
琴のねに峯の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(徽子女王『拾遺集』)
琴のねや松ふく風にかよふらむ千代のためしにひきつべきかな(摂津『金葉集』)
全唐詩卷四百十一 菊花 元稹 ― 2009年10月22日
菊花 元稹
秋叢繞舎似陶家 秋叢舎を繞りて 陶家に似たり
遍繞籬邊日漸斜 遍く籬辺を繞れば 日漸く斜く
不是花中偏愛菊 これ花中に偏に菊を愛するにあらず
此花開盡更無花 此の花開くこと尽きば更に花の無ければなり
【通釈】秋の草が家の周りにぎっしりと生えて、陶潜の家を思わせる。
籬のほとりを余さず廻り歩けば、ようやく日が傾く。
数ある花の内、ひたすら菊ばかりを愛するというのではない。
この花が咲き終われば、もはや全く花が無いからなのだ。
【語釈】◇秋叢 群がり生えている秋の草。菊を指す。◇陶家 陶淵明の家。淵明の詩に「採菊東籬下」とある(「飲酒」その五)。
【補記】一年の最後の花としての菊に対する愛着を詠む。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。但し第四句の「開盡」は「開後」とあり、普通「開けて後」と訓まれる。
【作者】元稹(779~831)。河南(洛陽)の人。元和元年(806)、進士に及第。権臣に阿らず、たびたび左遷の憂き目に遭う。白居易の親友で、「元白」と併称される。
【影響を受けた和歌の例】
目もかれず見つつ暮らさむ白菊の花よりのちの花しなければ(伊勢大輔『後拾遺集』)
霜枯れのまがきのうちの雪みれば菊よりのちの花もありけり(藤原資隆『千載集』)
うつろはで残るは霜の色なれや菊より後の花のまがきに(姉小路基綱『卑懐集』)
【参考】
菊の、まだよくもうつろひはてで、わざとつくろひたてさせ給へるは、なかなかおそきに、いかなる一本にかあらむ、いと見どころありてうつろひたるを、とりわきて折らせ給ひて、「花の中に偏に」と誦じたまひて(源氏物語・宿木)
菊の花もてあそびつつ、「らんせいゑんのあらしの」と、若やかなる声あはせて誦じたる、めづらかに聞こゆ。御簾のうちなる人々も、「この花開けて後」と、口ずさみ誦ずるなり(浜松中納言物語巻一)
白氏文集卷十三 秋雨中贈元九 ― 2009年10月18日
秋雨の中、元九に贈る 白居易
不堪紅葉青苔地 堪へず紅葉青苔の地
又是涼風暮雨天 またこれ涼風暮雨の天
莫怪獨吟秋思苦 怪しむなかれ独吟に秋思の苦しきを
比君校近二毛年 君に比してやや近し二毛の年
【通釈】感に堪えないことよ。紅葉が散り、青い苔に覆われた地のけしきは。
そして冷ややかな風が吹き、夕雨の降る空のけしきは。
怪しんでくれるな。独り秋思の苦しさを吟ずることを。
半白の髪になる年が君よりも少し近いのだ。
【語釈】◇二毛年 白髪混じりの毛髪になる年。潘岳の『秋興賦并序』に「晉十有四年、余春秋三十有二、始見二毛」とあり、三十二歳を指す。白居易の三十二歳は西暦803年。歌を贈った相手である元九こと元稹よりも七歳年上であった。
【補記】親友の元九こと元稹に贈った歌。和漢朗詠集に第一・二句が引かれている。謡曲『紅葉狩』にも引用されている。
【影響を受けた和歌の例】
もみぢ葉も苔のみどりにふりしけば夕べの雨ぞ空にすずしき(相模『相模集』)
もみぢ葉を夕吹く風にまかすれば苔むす庭にうちしぐれつつ(慈円『拾玉集』)
苔むしろ紅葉吹きしく夕時雨心もたへぬ長月の暮(藤原定家『拾遺愚草員外』)
【参考】『狭衣物語』巻一
雨少し降りて、霧りわたる空のけしきも、常よりことにながめられたまひて、「またこれ涼風の夕べの天の雨」と、口ずさみたまふを、かの、常磐の森に秋待たん、と言ひし人に見せたらば、まいて、いかに早き瀬に沈み果てん。
文選卷二十九 雜詩 魏文帝 ― 2009年10月15日
雑詩 魏文帝
漫漫秋夜長 漫漫として秋夜長く
烈烈北風涼 烈烈として北風涼し
展轉不能寐 展転として寐ぬる能はず
披衣起彷徨 衣を披き起ちて彷徨す
彷徨忽已久 彷徨 忽ち已に久しく
白露霑我裳 白露 我が裳を霑らす
俯視淸水波 俯しては清水の波を視
仰觀明月光 仰ぎては明月の光を観る
天漢迴西流 天漢 西に迴りて流れ
三五正縱横 三五 正に縦横
草蟲鳴何悲 草虫 鳴いて何ぞ悲しき
孤鴈獨南翔 孤雁 独り南に翔る
鬱鬱多悲思 鬱鬱として悲思多く
緜緜思故鄕 緜緜として故郷を思ふ
願飛安得翼 飛ばんと願へども安んぞ翼を得ん
欲濟河無梁 済らんと欲すれども河に梁無し
向風長嘆息 風に向かひ長歎息すれば
斷絶我中腸 我が中腸を断絶す
【通釈】果てしない程に秋の夜は長く、
烈しい程に北風は冷たい。
寝返りばかりして眠ることも出来ず、
衣を引っ掛け、起き上がって辺りをさまよう。
さまよううち、いつしか時間は過ぎ、
気づけば白露が私の袴を濡らしている。
俯いては清らかな川の波を見、
仰いではさやかな月の光を眺める。
天の川は西へまがって流れ、
三星・五星はまさに縦横に天を駆け廻る。
草叢の虫が鳴き、何が悲しいのか。
雁が一羽、南の空を翔けてゆく。
私は鬱々と悲しい思いばかりして、
いつまでも故郷を偲び続ける。
飛ぼうにも、どうして翼を得られよう。
渡ろうにも、河に橋が無い。
風に向かって長嘆息すれば、
私のはらわたは千切れるのだ。
【語釈】◇裳 袴。腰から下の衣服。◇淸水 後の句「欲濟河無梁」から「水」は川を指すと判る。◇天漢 天の川。◇三五 『詩経』召南篇の「嘒彼小星 三五在東(嘒たる彼の小星 三五 東に在り)」に拠る。三・五はいずれも小星の名らしいが、不詳。◇緜緜 綿綿に同じ。永くつづくさま。
【補記】特にどの句がどの歌に影響を与えたというよりも、全体としてこの詩の悲秋の趣向が日本文学に与えた影響は少なからぬものがあると思われる。「雑詩二首」の一。『藝文類聚』巻二十七にも所収。
【作者】魏文帝、曹丕(187~226)。武帝(曹操)の嫡子。文学を尊重し詩を好み、「燕歌行」「短歌行」「寡婦」などの傑作詩を残す。
【影響を受けた和歌の例】
秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫のわぶれば(よみ人しらず『古今集』)
露も袖にいたくな濡れそ秋の夜の長き思ひに月は見るとも(順徳院『紫禁和歌集』)
白氏文集卷十九 聞夜砧 ― 2009年10月13日
夜の砧を聞く 白居易
誰家思婦秋擣帛 誰が家の思婦ぞ 秋に帛を擣つ
月苦風凄砧杵悲 月苦え 風凄じくして 砧杵悲し
八月九月正長夜 八月 九月 正に長き夜
千聲萬聲無了時 千声 万声 了む時無し
應到天明頭盡白 応に天明に到らば 頭尽く白かるべし
一聲添得一莖絲 一声 添へ得たり 一茎の糸
【通釈】遠い夫を思う、どこの家の妻なのか、秋の夜に衣を擣っているのは。
月光は冷え冷えと澄み、風は凄まじく吹いて、砧の音が悲しく響く。
八月九月は、まことに夜が長い。
千遍万遍と、その音の止む時はない。
明け方に至れば、私の髪はすっかり白けているだろう。
砧の一声が、私の白髪を一本増やしてしまうのだ。
【語釈】◇擣帛 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇砧杵 衣を擣つための板。またそれを敲く音。◇八月九月 陰暦では仲秋・晩秋。
【補記】擣衣は万葉集に見えず、平安時代以後、漢詩文の影響から和歌に取り上げられるようになった。砧を擣つ音が悲しく聞こえるのは、遠い夫を偲ぶ妻の心を思いやってのことである。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。長慶二年(822)前後、白居易五十一歳頃の作。
【影響を受けた和歌の例】
誰がためにいかに擣てばか唐衣ちたび八千たび声のうらむる(藤原基俊『千載集』)
千たび擣つ砧の音に夢さめて物思ふ袖の露ぞくだくる(式子内親王『新古今集』)
聞きわびぬ葉月長月ながき夜の月の夜寒に衣うつ声(後醍醐天皇『新拾遺集』)
唐詩選卷六 秋日 耿湋 ― 2009年10月12日
秋日 耿湋
返照入閭巷 返照 閭巷に入る
憂來誰共語 憂へ来りて誰と共にか語らむ
古道少人行 古道 人の行くこと少に
秋風動禾黍 秋風 禾黍を動かす
【通釈】夕日が村里に射し込むと、
悲しみが湧いて来て、この思いを誰と共に語ろう。
古びた道は人の往き来なく、
ただ秋風が田畑の穂を揺らしている。
【語釈】◇返照 夕日の光。「へんじょう」(字音仮名遣では「へんぜう」)とも読まれる。◇閭巷 村里。◇憂來 「憂へ来たるも」と訓む本もある。◇少人行 人の行くことがない。「少」は否定の意に用いられる。◇禾黍 稲と黍(きび)。
【作者】耿湋(こうい)。中唐の詩人。生年は西暦734年頃、没年は同787年以後かという。河東(山西省永済)の人で、宝応二年(763)の進士。長安の都で詩人として活躍し、大暦十才子の一人。
【補記】田園の秋の夕暮の憂愁を詠む。芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮」はこの詩に発想の契機を得たと言われる。会津八一の歌は翻訳に近いもの。
【影響を受けた和歌の例】
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く(源経信『金葉集』)
夕日さす田面の稲葉打ちなびき山本とほく秋風ぞ吹く(二条為氏『新拾遺集』)
秋の日も夕べの色になら柴の垣根の山路行く人もなし(肖柏『春夢草』)
いりひ さす きび の うらは を ひるがへし かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし(会津八一『鹿鳴集』)
白氏文集卷十四 秋蟲 ― 2009年10月11日
秋の虫 白居易
切切闇窗下 切切たり闇窓の下
喓喓深草裏 喓喓たり深草の裏
秋天思婦心 秋の天の思婦の心
雨夜愁人耳 雨の夜の愁人の耳
【通釈】暗い窓の下、胸に迫るばかりに、
深い草の中で、虫が頻りに鳴いている。
秋の空に遠い夫を思う妻の心、
雨の夜の愁いに沈むその人の耳に。
【語釈】◇喓喓 虫が頻りに鳴くさま。◇思婦 旅にある夫を思う妻。 ◇愁人 愁いをもつ人。「思婦」と同じ人を指す。
【補記】和漢朗詠集に全文引用されている。但し第一句「切切暗窓下」、第二句「喓喓深草中」。
【影響を受けた和歌の例】
草ふかき宿のあるじともろともにうき世をわぶる虫の声かな(慈円『続後撰集』)
くらき窓ふかき草葉に鳴く虫の昼はいづこに人めよくらむ(宗尊親王『竹風和歌抄』)
白氏文集卷十三 晩秋閑居 ― 2009年10月09日
晩秋の閑居 白居易
地僻門深少送迎 地は僻り 門は深くして 送迎少に
披衣閑坐養幽情 衣を披て閑坐し 幽情を養ふ
秋庭不掃攜藤杖 秋の庭は掃はず 藤杖に攜りて
閑蹋梧桐黄葉行 閑かに梧桐の黄葉を蹋んで行く
【通釈】わが家は僻地にあり、門は通りから引っ込んでいるので、客人の送り迎えもなく、
上衣を引っ掛けのんびり座ったまま、静かな心をはぐくむ。
秋の庭は掃除せず、藤の杖をひいて
ゆっくりと梧桐の黄葉した落葉を踏んで歩く。
【語釈】◇少送迎 「少」は否定の意であろう。◇梧桐 青桐。アオギリ科の落葉高木。葉は大きく、秋に黄葉する。
【補記】和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。
【影響を受けた和歌の例】
桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど(式子内親王『新古今集』)
人は来ず掃はぬ庭の桐の葉におとなふ雨の音のさびしさ(源通具『万代集』)
踏みわけて誰かとふべきふるさとの桐の葉ふかき庭の通ひ路(飛鳥井雅有『雅有集』)
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