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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州17 生の松原2017年03月10日

生の松原と元寇防塁

生の松原と元寇防塁

補録

いきの松原

筑前国の歌枕。福岡市西区の姪浜めいのはまから西に延びる海岸の松林。新羅遠征の際、神功皇后が無事を祈ってこの地に松の枝を挿し、その枝が生い育って林になったと伝わる(筑前国風土記)。松原は今も残り、また元寇防塁の遺跡がある。「いき」に「生き」「行き」の意を掛け、筑紫へ下る人への餞別の歌に詠まれるなどした。

 

大弐だいにのくだるに
中務なかつかさ

老いぬれどなほ行先ぞ祈らるる千歳まつにもいきの松原

筑紫へまかりける人のもとにいひつかはしける

橘倚平(拾遺集)

昔見しいきの松原こと問はば忘れぬ人もありとこたへよ

一条院御時、大弐佐理すけまさ筑紫にはべりけるに、御手本かきに下しつかはしたりければ、おもふ心かきて奉らんとて、かきつくべき歌とてよませ侍りけるによめる

源重之(後拾遺集)

都へといきの松原いきかへり君が千歳にあはんとぞおもふ

生の松原を過ぐとて
藤原高遠

音にきくいきの松原見つるより物思ひもなき心地こそすれ

大宰帥隆家くだりけるに、扇たまふとて

枇杷皇太后宮 藤原妍子(新古今集)

すずしさはいきの松原まさるともそふる扇の風な忘れそ

法性寺入道前関白家歌合に
藤原親隆(続古今集)

恋ひ死なで心づくしに今までもたのむればこそ生の松原

細川幽斎

涼しさを風のたよりにこととはむ今いくかあらばいきの松原

立春 春立つ (和歌歳時記メモ)2013年02月03日

山の春霞 神奈川県鎌倉市

立春は二十四節気の一つ。冬至と春分の中間点で、日本の多くの土地では厳しい寒さがようやく緩み始める時節に当たる。太陽暦では2月4日頃。旧暦では正月一日前後になる。

和語では「春立つ」という言い方があり、これを「季節が春になる」の意で用いたのは、おそらく漢語「立春」から影響を受けてのことだろう。もっとも、正月になり新年を迎えることも春の始まりであったから、常に節気としての立春を強く意識して「春立つ」という語を遣っていたわけでもないと思われる。古人にとっては、新年と立春と、二つの春の始まりがあったのだ。この二つが一日に重なることは稀で、大抵は何日かずれる。そこから生じる戸惑いを面白く詠んだのが『古今集』の巻頭歌なのだ。

旧年(ふるとし)に春立ちける日よめる   在原元方

年の内に春は来にけりひととせを去年(こぞとや言はむ今年とや言はむ

「まだ新年が来ていないというのに、年内に春は来てしまったよ。この一年を昨年と言おうか、それとも今年と言おうか」。

因みに今年の立春は明日2月4日であるが、旧暦では前年の十二月二十四日になってしまう。「年の内に春は来にけり」というわけだ。

さて立春を詠んだ秀歌を探すなら、勅撰集の最初の頁を見るのが手っ取り早い。中でも傑作として名高いのが『拾遺集』の巻頭歌だ。

平定文が家歌合によみ侍りける   壬生忠岑

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝はみゆらん

「吉野は雪が深く、春の訪れの遅い山というが、春になった今朝眺めると、ぼんやりと霞んで見える。暦の上で春になったというだけで、こんな風に見えるのだろうか。あの吉野山さえ霞んでいるということは、世は本当に春になったのだろうよ」。くどく訳してみると、こんなふうになろうか。平明だが、何度読んでも味わいの深い歌だ。

もとより立春は一年の最初の節目。季節が順当な気候のうちに進んでゆくことは、人の死活に関わる問題だから、春の始まりの日に春らしい兆しが感じられるのは、大変めでたいことだ。真っ当に暑い夏、真っ当に涼しい秋、真っ当に寒い冬。立春詠には、一年の穏やかな季節の巡りと、それがもたらす自然の豊かな恵みへの、人々の祈りが籠められている。

八重桜:和歌歳時記メモ2012年04月22日

本覚寺の八重桜が満開だった。

ヤエザクラ 鎌倉市本覚寺

ヤエザクラ 鎌倉市本覚寺

伊勢大輔
いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへににほひぬるかな

『徒然草』第百三十九段
家にありたき木は、松、桜。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ、世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆一重にてこそあれ。八重桜は異様(ことやう)の物なり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。

宗良親王
なほのこれ青葉の下の八重桜ひとへづつこそ散らば散るとも

後花園院
花に花なびきかさねて八重桜しづえをわきてにほふ頃かな

窪田空穂
咲き垂るる八重ざくら花ゆらぎ出でいや照りつつも重くしづまる

齋藤史
血のそこまでたわたわ重き八重桜まぎれやうなきその花の鬱

和歌歳時記:牡丹 Tree-peony2011年04月29日

牡丹の花 神奈川県鎌倉市

牡丹は中国原産の落葉小低木。かの国では最も愛され貴ばれてきた、花の王だ。色と言ひ大きさと言ひ、また花弁の豊かさと言ひ、王の尊号も諾なるかなと思ふ。私はこの豪奢さに馴染めず、好きな花ではなかつたが、先年、園藝好きの中学生の姪つ子が庭の空きに苗を植ゑてくれた。我が家のむさ苦しい庭にはやはり不釣合だなと恥ぢる一方、毎年咲くのが楽しみになつてゐる。

この花は万葉集に見えないものの、古代には日本に入つてゐたらしい。平安時代から和歌に詠まれた「深見草(ふかみぐさ)」は、『本草和名』によれば牡丹の別称である。

『拾玉集』 夏  慈円

夏木立庭の野すぢの石のうへにみちて色こき深見草かな

『後水尾院御集』 牡丹

思へどもなほ飽かざりし桜だに忘るばかりの深見草かな

「君をわが思ふ心のふかみぐさ」など、「深し」との掛詞を用ゐた歌が多いのだが、かへつて心は浅く感じられる。上には、掛詞と無縁の歌を二首挙げてみた。

別名「二十日(はつか)草」は、白居易の漢詩「牡丹芳」に拠る。

花開花落二十日  花開き花落つ 二十日(にじふにち)
一城之人皆若狂  一城の人 皆狂へるが(ごと)

牡丹の花 鎌倉市自宅庭
最初の花が咲いてから、最後の花が落ちるまでの二十日間、長安の都人は物の怪に取り憑かれた如くこの花に耽溺したといふ。ちやうど日本人にとつての桜のやうな存在だつたのだらう。

室町時代以後は「ぼうたん」とよんだ歌も散見され、この頃から日本での賞翫も広まつたと言はれる。近世には数多くの和歌が見られるやうになるが、世に博した人気の高さに比べれば、この花を詠んだ歌の数は必ずしも多いとは言へず、秀歌といふほどの歌も見当たらない。どうもこの濃厚な感じが、和歌の体質には合はなかつたのだらうか。江戸中期、天才絵師でもあつた俳諧師によつて鮮やかに切り取られるまで、この花の本領を日本語の詩はつかまへきれなかつたやうに見える。

牡丹(ちり)て打かさなりぬ二三片
閻王(えんわう)の口や牡丹を吐かんとす
ぼたん(きつ)て気のおとろひしゆふべ哉  講談社『蕪村全集』第一巻より

**************

  『蔵玉集』(名取草) 顕仲(姓不明)
折る人の心なしとや名取草花みる時は(とが)もすくなし

  『詞花集』(…牡丹をよませ給けるによみ侍りける) 藤原忠通
咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて二十日へにけり

  『千載集』(夏に入りて恋まさるといへる心をよめる) 賀茂重保
人しれず思ふ心はふかみぐさ花咲きてこそ色に出でけれ

  『新古今集』(詞書略) 藤原重家
形見とてみれば嘆きのふかみ草なに中々のにほひなるらむ

  『拾玉集』(夏) 慈円
ふかみ草やへのにほひの窓のうちにぬれて色こき夕だちの空

  『壬二集』(建保四年百首 夏) 藤原家隆
むらさきの露さへ野辺のふかみ草たがすみすてし庭のまがきぞ

  『草根集』(牡丹) 正徹
ともに見んことわりあれやもろこしの獅子をえがけばぼうたんの花

  『後十輪院内府集』(牡丹) 中院通村
ふかみ草あかずやけふも紅の花のともし火よるもなほみん

  『梶の葉』(牡丹を見侍りて) 祇園梶子
われのみかあはれ胡蝶も花の色にうつすこころの深見草かな

  『うけらが花』(牡丹をよめる) 加藤千蔭
みし春の千千の色香をひともとにとりあつめたる深見草かな

  『琴後集』(白牡丹の絵に) 村田春海
月雪のきよき心を一花のにほひにこむる深見草かな

  『草径集』(牡丹残花) 大隈言道
おほかたは散り果てぬれど二十日草(はつかぐさ)この一花は三十日(みそか)だに経よ

  『志濃夫廼舎歌集』(牡丹) 橘曙覧
置きあまる露の匂ひも深見草花おもりかに立ちぞふりまふ

  『調鶴集』(牡丹) 井上文雄
唐めきし黒木赤木のませゆひて植うべき花はぼうたんの花

  『竹乃里歌』正岡子規
くれなゐの光をはなつから草の牡丹の花は花のおほきみ

  『舞姫』与謝野晶子
くれなゐの牡丹おちたる玉盤(ぎよくばん)のひびきに覚めぬ胡蝶(こてふ)皇后(きさい)

  『白き山』斎藤茂吉
近よりてわれは目守(まも)らむ白玉の牡丹の花のその自在心

  『一路』木下利玄
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

和歌歳時記:葛紅葉 Autumn tints of kudzu2010年12月05日

クズの黄葉 神奈川県鎌倉市

色づいたとて、誰が葛の葉に目を留めるだらう。しかし古来歌人たちはしばしば歌に詠んで来たし、今も「(くず)紅葉(もみぢ)」は俳句の季語として健在だ。

『万葉集』巻十 作者未詳

(かり)()の寒く鳴きしゆ水茎(みづくき)の岡の葛葉(くずは)は色付きにけり

「雁がひえびえとした声で鳴いてからといふもの、岡の葛の葉の色づきが目立つやうになつた」。
岡の斜面を覆ひ尽くすやうに蔓延つた葛の葉が、いちめん秋の陽射しを受けて黄に輝くさまは、なかなかの壮観だらう。尤も上の歌を詠んだ万葉歌人は、黄葉の美しさを愛でたといふより、季節のうつろひにしみじみとした感慨をおぼえてゐるやうだ。家畜の飼料になる葛の葉を、古人は日ごろ気をつけて見守つてゐたにちがひない。

『古今集』 神の社のあたりをまかりける時に、斎垣(いがき)のうちの紅葉を見てよめる  紀貫之

ちはやぶる神の斎垣(いがき)にはふ(くず)も秋にはあへずうつろひにけり

黄葉した葛 神奈川県鎌倉市
「神社の垣にまつはりつく葛も、秋には堪へ切れずに色を変へてしまつたのだ」。
神社の神聖な垣根に這ふ葛であれば、神の力によつて常緑でありさうなものなのに、秋といふ自然の力には抵抗できずに色を変へてしまつた、といふ。
やはり葛といふ植物に古人が特殊な関心を寄せてゐたことが窺はれる歌だ。根は生薬となり、粉にして料理に用ゐられ、また蔓は布や行李などの日用品に利用された葛は、捨てるところのない有用植物、神の恵みの植物であつた。

『新古今集』 千五百番歌合に  顕昭法師

みづくきの岡の葛葉も色づきて今朝うらがなし秋のはつ風

上掲の万葉集の歌を本歌取りした一首。葛の葉は裏が白く、風に翻るとよく目立つが、その「うら」から「うらがなし」に転じた。ひややかな初秋の風が心の(うら)にまで浸みるやうだ。

**************

  『万葉集』(寄黄葉) 作者不明
我がやどの葛は日にけにに色づきぬ来まさぬ君は何こころぞも

  『千載集』(野風の心をよめる) 藤原基俊
秋にあへずさこそは葛の色づかめあなうらめしの風のけしきや

  『拾遺愚草』(内裏名所百首 水茎岡) 藤原定家
みづくきの岡の真葛を海人のすむ里のしるべと秋風ぞ吹く

  『秋篠月清集』(西洞隠士百首 秋) 九条良経
霜まよふ庭の葛はら色かへてうらみなれたる風ぞはげしき

  『新撰和歌六帖』(くず) 葉室光俊
うらぶれて物思ひをれば我が宿の垣ほの葛も色づきにけり

  『伏見院御集』(秋) 伏見院
垣ほなる真葛が下葉色かれぬ夜さむもよほす秋風のころ

  『草根集』(葛) 正徹
露霜もあらしに散りて行く秋をうらみたえたる葛の紅葉ば

和歌歳時記:枯葉 Withered leaf;dry leaf2010年11月19日

万葉集・古今集に枯葉を詠んだ歌は一つも見つからず、和歌にたびたび取り上げられるやうになるのは平安時代も後期になつてからのことだ。

『堀河百首』 霰  永縁法師

冬の夜のねざめにきけば片岡の楢の枯葉に霰ふるなり

役目を果たし、生気を失つて、あとは土に還るばかりの葉――枯葉。いにしへの歌人が深く心に留めたのは、それが風や雨、あるいは霰と触れ合つて立てる、乾いた、寂しげな音だつた。
この歌はのち南北朝時代の勅撰集、風雅集に採られたが、同じ集には、やはり「音」に執しつつ違つた角度から枯葉を詠じた歌が見える。作者は鎌倉時代の人である。

『風雅集』 文保三年、後宇多院にたてまつりける百首歌の中に
                   芬陀利花院前関白内大臣

吹く風のさそふともなき梢よりおつる枯葉の音ぞさびしき

芬陀利花院(ふんだりかいん)こと一条内経は、風に吹かれるでもなく、おのづから散る枯葉のかそけき音こそが最も寂しいと詠んだのだつた。
この歌に賛意を表しつつ、一ひねり加へたのが、三条西実隆の『雪玉集』に収められた次の詠だ。

『雪玉集』  内裏御屏風色紙御歌  三条西実隆

おのづからおつる枯葉の下よりはさびしくもあらぬ木がらしの庭

「ひとりでに落ちる枯葉の下にゐるよりは、いつそ寂しく感じないですむ、木枯し吹く庭よ」といふ歌。烈風が枯葉と共に感傷も吹き飛ばしてくれる、といふわけか。字余りの第四句「さびしくもあらぬ」の味はひを何と言つたらよいのだらう。室町乱世を生きた実隆といふ大変ユニークな人物の息づかひが、ふと聞こえるやうな気がする。

**************

  『更級日記』 菅原孝標女
秋をいかに思ひいづらむ冬ふかみ嵐にまどふ荻の枯葉は

  『続後撰集』(久安百首歌に、霰) 藤原顕輔
さらぬだに寝ざめがちなる冬の夜を楢の枯葉に霰ふるなり

  『新古今集』(題しらず) 西行法師
津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり

  『玉葉集』(寒草を) 殷富門院大輔
虫のねのよわりはてぬる庭のおもに荻の枯葉の音ぞのこれる

  『新続古今集』(家にて歌合し侍りける時、蔦を) 九条良経
宇津の山こえし昔の跡ふりて蔦の枯葉に秋風ぞ吹く

  『遠島百首』(冬) 後鳥羽院
冬くれば庭のよもぎも下晴れて枯葉のうへに月ぞ冴えゆく

  『風雅集』(百首歌たてまつりし時) 徽安門院一条
秋みしはそれとばかりの萩がえに霜の朽葉ぞ一葉のこれる

  『心敬集』(水郷寒草) 心敬
世をわたるよすがも今はなには江や蘆の枯葉をになふわび人

和歌歳時記:白萩 White bush-clover2010年09月28日

白萩 鎌倉市二階堂にて

清澄な秋気を集めたやうに、白萩が咲きこぼれてゐる。宮城野萩の変種といふが、色が違ふだけで、風情は大きく異なる花だ。
新編国歌大観で検索してみると、白萩を詠んだ歌は十首にも満たない。最も古い例は、藤原俊成の『古来風躰抄』に万葉集の歌として載せる、

吾が待ちししらはぎ咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人(をちかたびと)

になるが、これは万葉巻十「吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寳比尓徃奈 越方人邇」の「白芽子」を「しらはぎ」と訓んでのこと。「白」は五行思想では秋に相当する色なので、この歌の「白」は「あき」の当て字と見るのが現在の通説である。
そこでこれを除くと、正治元年(1199)に亡くなった平親宗(時忠や時子の弟)の『親宗集』に見える歌が最古の「白萩」詠になる。

三条姫宮の歌合に、雨中草花を

濡れ濡れも雨は降るとも見にゆかむ待ちし白萩花咲きぬらし

明らかに上掲の万葉歌の古訓を踏まへた歌だが、雨中に賞美する草花として白萩を選んだのは当時としては新鮮な趣向だ。

白萩の花 鎌倉市宝戒寺にて

正治二年(1200)の『正治後度百首』にも白萩の歌が見える。作者は賀茂季保(すゑやす)、題は「草花」。

分けわぶる露は袂に慕ひきて色こそ見えね真野の白萩

真野の萩原を分けてゆくと、夥しい露が後を追ふやうについて来て、歩きづらい。白萩なので露の色は見えないが、といふ歌だらう。真野は近江とも陸奥とも言ふが、萩の名所とされ、白萩も生えてゐることが知られてゐたらしい。宝治二年(1248)の『宝治百首』にも「真野の白萩」を詠んだ歌は見える(下記引用歌)。

季保の歌は紅萩に対し白萩の無色であるところを趣とした歌であつたが、室町時代の次の歌になると、白萩は「白」といふ色を持つた花としてしつかりと把握されてゐる。

『拾塵和歌集』 崎萩  大内政弘

ひく潮にかへらで波ののこるかと州崎にさける白萩の花

「引く潮に帰つて行かずに波が残つたのか。そんな風に見えて、洲崎に咲いてゐる白萩の花よ」。白萩を白波に擬へた歌だが、なるほど白萩の靡くさまは寄せる波を思はせる。

江戸時代にもいくつか白萩の歌は見える。

『琴後集』 白萩のゑ  村田春海

夕月の影かとみしは白萩の露ににほへるしづえなりけり

白萩を描いた絵に寄せた画賛。白萩の花に置いたおびただしい露がほの白く映えてゐるのを、夕月の光の反映かと見間違へた、といふ歌。実は夕月はまだ出てをらず、花の白さが夕露によつてひとしほ澄みまさり、黄昏時の庭にほのぼのと明るんでゐたのだ。白萩独自の美しさも季感もよく捉へた歌だらう。

近代以後は白萩も好んで歌に詠まれるやうになり、従来の紅い萩を凌駕するいきほひのやうだ。

**************

  『宝治百首』(萩露) 寂能
うつろはぬ真野の白萩下葉のみおのがちくさにそむる露かな

  『衆妙集』(御庭の白萩ことしよりは色に咲きかはりけるを見て) 道澄
さらに絵もいかに及ばむ秋萩の白きを後の色になしても
  (御かへし) 細川幽斎
一たびは色かはるとも萩がえの白きをのちと又やたのまむ

  『亮々遺稿』(しら萩) 木下幸文
置くとしも花には見えぬ白露をかはる下葉の色にこそ知れ

  『寒燈集』会津八一
うゑ おきて ひと は すぎ にし あきはぎ の はなぶさ しろく さき いで に けり

  『鳥繭』 河野愛子
夜の萩白くおもたきみづからの光守れり誰か死ぬらむ

和歌歳時記:萩の花 Bush-clover flower2010年09月24日

萩の花 鎌倉市二階堂にて

日本人にとつて、萩はさまざまな意味で象徴性の豊かな植物であつた。万葉集で一番多く詠まれた植物であるのも当然と思はれる。
まづ、萩の開花期は、稲・粟・稗などの収穫期に重なる。豊かに咲きこぼれる萩の花は、豊穣の秋のシンボルであつた。

『万葉集』巻十 詠花  作者不明

をとめらに行き逢ひの早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩の花咲く

また、萩の花は性的な象徴物でもあつた。端的に、萩の紅い花びらは女性器の外陰部に似てゐる。万葉集では萩に「芽子」の字を宛てた例が多いが、これを文字通り訓読みすれば、一部地域における女性生殖器の呼称に重なる。偶然であらうか。
和歌において萩は鹿と取り合はせることが好まれた(「萩と鹿」参照)が、牡鹿の角は男性生殖器の象徴にほかならない。

『秋篠月清集』 院第二度百首 秋  藤原良経

さを鹿の啼きそめしより宮城野の萩の下露おかぬ日ぞなき

性的な象徴といふのは、つまりは豊かな生産力の象徴といふことだ。思ふに、日本人の萩に対する特殊な親愛の情は万葉の時代を遠く遠く溯るに違ひない。

ところで萩は古い枝に花をつけず、春に新しく伸びた枝にだけ花をつける。そのため、冬のうちにばつさり枝を剪定してしまふ必要がある。翌春、古株からは芽が盛んに吹き出る。萩に「芽」「芽子」の字を宛てた所以だ。
かつては春先に萩原を焼き払ふならはしがあり、「萩の焼け原」を詠んだ和歌が少なからず見える。燻ぶる焼け野原にたくましく蘇る萩の芽は、生命の復活の象徴でもあつた。

『瓊玉和歌集』 萩を  宗尊親王

春焼きし其日いつとも知らねども嵯峨野の小萩花さきにけり

萩(江戸絞り) 鎌倉市二階堂にて
園藝品種「江戸絞り」

萩の咲く季節は、また秋風の吹き増さる季節だ。嫋々と枝垂(しだ)れた萩が風に揺れる様は、たをやかな秋の風情を満喫させてくれる。

『玉葉集』 草花露を  伏見院

なびきかへる花の末より露ちりて萩の葉白き庭の秋風

萩が咲き添ふにつれ、日没後の冷え込みは強まり、夜は目立つて長くなる。朝夕に置く露が夥しい時節だ。

『拾遺愚草』 花月百首 月  藤原定家

秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露

「秋といふと、空に澄みまさる月と約束をしておいて、その光を待ち受け、うつしとる萩の下露よ」。ここでは月と萩の下露が恋人同士に擬へられてゐる。

万葉の時代から、歌人たちは秋風・露・月・雁など秋の代表的風物を萩の花に交錯させて歌に詠むことを繰り返してきた。萩は和歌史を通じて秋の情趣の中心に位置し続けたと言つても過言ではない。萩の豊かな象徴性が、日本人の心の底で生き続けてゐたのだ。

なほ、「白萩(しらはぎ)」「散り萩」は別項目として取り上げたい。

**************

  『万葉集』巻八(大伴宿禰家持の秋の歌)
さを鹿の朝たつ野べの秋萩に玉とみるまでおける白露

  『万葉集』巻十(寄露) 作者未詳
秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも

  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
なきわたる雁の涙やおちつらむ物思ふ宿の萩のうへの露

  『古今集』(題しらず) 常康親王
吹きまよふ野風をさむみ秋萩のうつりもゆくか人の心の

  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
宮城野のもとあらの小萩露をおもみ風を待つごと君をこそ待て

  『式子内親王集』(秋)
寄せかへる波の花摺り乱れつつしどろにうつす真野の浦萩

  『新古今集』(月前草花) 藤原良経
故郷の本あらの小萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ

  『玉葉集』(草花露を) 京極為兼
露をもる小萩が末はなびきふして吹きかへす風に花ぞ色そふ

  『玉葉集』(風の後の草花といふことを) 永福門院
しをりつる風は籬にしづまりて小萩がうへに雨そそぐなり

  『続亜槐集』(野萩) 飛鳥井雅親
みだれあふ花より花に露ちりて野原の真萩秋風ぞ吹く

  『亮々遺稿』(萩を) 木下幸文
きのふにも色は変はるとなけれどもまばらになりぬ秋萩の花

  『草径集』(初秋) 大隈言道
秋立ちて(もず)なく野べのしづけさに萩のさかりはいつかとぞ思ふ

  『柿園詠草』(詞書略) 加納諸平
小雀(こがら)鳴く秋の野寺のひとへ垣ひま見えぬまで萩は咲きけり

  『落合直文集』
萩寺の萩おもしろし露の身のおくつきどころ此処と定めむ

  『大和』 前川佐美雄
ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ

(2010年9月25日加筆訂正)

和歌歳時記:葉月(はつき/はづき) Eighth month of the lunar calendar2010年09月12日

桜紅葉

葉月は陰暦八月、仲秋。2010年では新暦の9月8日から10月7日までがそれに当たり、ちやうど白露から寒露前日までの三十日である。

平安末の藤原清輔著『奥義抄』はその語源につき「木の葉もみぢて落つるゆゑに葉落ち月といふをあやまれり」とし、「葉落ち月」を略したものと古人は考へてゐたやうだ。「はつき」を「葉尽き」の掛詞としてゐる歌が幾つか見える(下記引用歌)ことも、この語源説の補強材料にならうか。
もとより全般として落葉が本格化するのは晩秋からであるが、桜の葉などはこの時期すでに黄に色づいてをり、散り始める樹も少なくない。陰暦八月頃は、古人にとつて殊更木の葉に注意が向く時節だつたのだらう。

室町初期の成立と推測されてゐる歌集『蔵玉集』には、八月の異名として「秋風月」「月見月」「紅染(こぞめ)月」の三つを挙げてゐる。それぞれの証歌を同書から引かう。

秋風月  藤原定家

萩の葉に露吹きみだす音よりや身にしみそめし秋風の月

月初めはなほ残暑の厳しいこともあるが、やがて萩の花も散り、下葉が色づく頃には、秋風が吹き増さる。露を乱しつつ枝を靡かせる風の音が身に沁みて、季節のうつろひに感じ入つてゐる歌だ。

月見月  鴨長明

名にしおはば秋の半ばの空晴れて光ことなる月見月かな

もとより陰暦八月は十五夜名月の月だ。砂塵や蒸気に曇りがちだつた春・夏の月が、ここへ来てやうやく澄みまさり、月見には絶好の季節となる。

紅染月  藤原有家

時雨(しぐ)れつつ(はじ)の立ち枝ももみぢして紅染(こぞめ)の月のふかき(くれなゐ)

楓などは未しだが、葉月も半ばを過ぎれば時に時雨が降り、山では櫨の葉が色づいて、いよいよ紅葉の季節の始まりを告げる。

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  『教長集』(按察使公通十首会に野風を) 藤原教長
葉月とは名にこそたてれ野分して千草の花をさやははらはん

  『壬二集』(三宮十五首よみ侍りしに、秋歌) 藤原家隆
名もつらしはつきの嵐立田姫しばしな染めそ神なびの森
(注:「はつき」は「葉月」「葉尽き」の掛詞)

  『拾遺愚草』(詞書略) 藤原定家
または来じ露はらふ風は篠分けてひとり猪名野(ゐなの)の八月長月

  『新撰和歌六帖』(は月) 藤原為家
久かたの雲井の雁のこしぢよりはじめてくるや葉月なるらん

  同上  藤原信実
もみぢつつのちや散りなむ此の頃はいまだ葉月の神なびの森

  『続後拾遺集』(題しらず) 真昭法師
朝ぼらけなく音さむけき初雁の葉月の空に秋風ぞふく

  『草根集』(秋風) 正徹
あばらやにすむ山がつの麻手ほすはつきの嵐身にやしむらん
(注:「はつき」は「葉月」「泊木」「葉尽き」の掛詞)

  『雪玉集』(詞書略) 三条西実隆
名にしおはば梢の秋のけふの月葉月はうすき色にやありけん

  『柿園詠草』(野分) 加納諸平
小萩原さばかりおもき露ならしはつきの嵐心してふけ

和歌歳時記:韓藍(からあゐ) 鶏頭(けいとう) Cocks-comb2010年08月30日

鶏頭 鎌倉市瑞泉寺にて

厳しい残暑が続いてゐるが、夕方の風の涼しさには秋を感じる。来るべき極彩の季節を予告するかのやうに、鶏頭の花がひとしほ紅を深くしてゐる。

鶏頭はヒユ科の一年生植物。花は夏から秋にかけて咲く。色は紅のほか黄や白、桃色があり、形状も先の尖つたのや丸いのやら様々あるが、鶏冠(とさか)状の紅い花がやはり印象づよい。英名の"Cocks-comb"も鶏冠(とさか)の意だ。

我が国で鶏頭は古く「韓藍(からあゐ)」の名で呼ばれた。《大陸渡来の藍》といふ意だが、この「藍」は色の名でなく染色用植物であることを示す語だ。奈良時代すでに渡来してゐたことは万葉集の歌からも知られる。花汁を写し染めに用ゐ、また色を愛でて庭に栽培された。

『万葉集』巻三  山部宿禰赤人の歌一首

我が屋戸(やど)韓藍(からあゐ)()()ほし枯れぬれど()りずてまたも蒔かむとぞ思ふ

庭に種を蒔いて育てた韓藍が枯れてしまつたが、再び美しい色を見たい、懲りずにまた種を蒔かう。――鶏頭は移植が難しいので種から育てるが、熱帯原産のため寒さに弱く、日本の冬を越すことはできない。毎年、種を蒔いては育てねばならぬわけだ。
もつとも、赤人がかう詠んだ裏には、どうやら恋の心が隠されてゐるらしい。といふのも、同じ万葉集の巻七には「秋さらばうつしもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰か採みけむ」といふ歌が、花に寄せた恋の譬喩歌として分類されてゐるのだ。赤人の歌も韓藍を美女になぞらへ、「苦労して育てた恋も結局実らずに終つてしまつたが、懲りずにまた別の美女にアプローチしよう」といつたところに真意があつたのだらう。

古今集を始めとする八代集には「韓藍」の名が見えず、平安時代の和歌にこの植物の存在感は薄い。ところが中世頃から再びよく取り上げられるやうになる。

『新拾遺集』 光明峰寺入道前摂政家歌合に寄衣恋  藤原知家

韓藍のやしほの衣ふかけれどあらぬ涙の色ぞまがはぬ

貞永元年(1232)七月の歌合に「衣に寄する恋」の題で詠まれた一首。「韓藍に幾度も浸して染めた衣は深い紅であるが、それとは別の涙の色はまぎれもない」。
韓藍で紅深く染めた衣に、より鮮烈な血涙の色が滲む。妖艶の美を競つた新古今前後の歌人たちの作によつて、韓藍のまがまがしいまでの紅は初めて生きたと言へよう。

羽毛鶏頭 鎌倉市瑞泉寺にて
羽毛鶏頭 鎌倉市瑞泉寺にて

ところで奇妙なのは、同じ頃、韓藍の色を青系統の色としてゐる歌が見えることだ。

『壬二集』 内裏歌合に水辺柳  藤原家隆

竜田川やまとにはあれど韓藍の色そめわたる春の青柳

竜田川は日本の川なのに、韓藍の色で染めたやうに、岸辺の柳は春になつて青々としてゐる、といつた意の歌。この歌の「韓藍の色」は藍色と解するほかない。
どうやら、一部の歌人の間で韓藍が藍染めの原料である藍(蓼藍(たであゐ))と混同されてゐたやうなのだ。

蓼藍も古く大陸から渡来した植物であるから、その意味では「韓藍」と呼ばれてもをかしくはない。しかし、万葉集の歌からも、「鶏冠草 加良阿為(からあゐ)」と記す平安初期の『本草和名(ほんざうわみやう)』からも、韓藍が本来鶏頭を指したことは疑ひのないところである。

思ふに、鶏頭の花を紅染めに用ゐることは早くに廃れ、「韓藍」の名の所以も忘れられて、やがて「鶏頭」の名にすつかり取つて代はられたのだらう。俳諧の歳時記に「鶏頭」はあつても「韓藍」の名は見えない。

「鶏頭」と名は変へても、その烈しい色が愛され畏れられ続けたことは、近代の心ある歌人たちの作によつても知られるところだ。

『浴身』 岡本かの子

鶏頭はあまりに赤しわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ

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  『万葉集』巻十(秋相聞) 作者未詳
恋ふる日のけながくしあれば我が園の韓藍の花の色に出でにけり

  『六百番歌合』(恋) 藤原季経
韓藍のやしほの衣いろふかくなどあながちにつらき心ぞ

  『続古今集』(寄衣恋のこころを) 藤原良経
わが恋は大和にはあらぬ韓藍のやしほの衣ふかくそめてき

  『土御門院御集』(草名) 土御門院
いくしほもおのれが染むる色ぞかしなど紅の韓藍の花

  『為家千首』(恋) 藤原為家
韓藍のやしほのころも古りぬとも染めし心の色は変はらじ

  『風雅集』(題しらず) よみびとしらず
韓藍のやしほのころも朝な朝ななれはすれどもいやめづらしみ

  『草根集』(増思恋) 正徹
書きやらむ思ふ心の下染はなほから藍のやまとことのは

  『春夢草』(初春) 肖柏
空は今朝からあゐ染を敷島のやまとの春に立つ霞かな

  『左千夫歌集』 伊藤左千夫
鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり

  『長塚節歌集』(病院の門を入りて懐かしきは、只鶏頭の花のみなり)
鶏頭は冷たき秋の日にはえていよいよ赤く冴えにけるかも

  『佐保姫』 与謝野晶子
秋立つや鶏頭の花二三本まじる草生に蛇うつ翁

  『太陽と薔薇』 与謝野晶子
鶏頭は憤怒の王に似たれども池にうつして自らを愛づ

  『桐の花』 北原白秋
ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき

  『鹿鳴集』 会津八一
あさひ さす しろき みかげ の きだはし を さきて うづむる けいとう の はな

(2010年9月3日加筆訂正)