白氏文集卷十九 暮江吟 ― 2010年10月11日
暮江吟 白居易
一道殘陽鋪水中
半江瑟瑟半江紅
可憐九月初三夜
露似眞珠月似弓 露は真珠に似 月は弓に似たり
【通釈】一すじの残照が水面に敷き伸べられ、
大河の半ばは碧、半ばは紅の色。
なんと心に沁みることよ、九月初三の夜は。
露は真珠のように光り、月は弓のように天に掛かっている。
【語釈】◇瑟瑟 碧い宝玉の名であることから、青々とした色を言う。◇初三 陰暦の月の三日。
【補記】第三・四句が和漢朗詠集巻上秋の「露」部に引用されている。露を真珠(白玉)に喩える趣向は殊に王朝歌人に好まれたが、六朝時代の詩に既に見えるもので、特に掲出詩が強い影響を与えたとは思えない。実隆の歌は「月似弓」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
白露を玉になしたる長月の有明の月よ見れど飽かぬかも(作者未詳『古今和歌六帖』)
問はばやな真弓つき弓月影はいかなるしなか有明の空(三条西実隆『雪玉集』)
嫁菜:草木の記録20101012 ― 2010年10月12日
百人一首なぜこの人・なぜこの一首 第14番:河原左大臣 ― 2010年10月13日
【なぜこの人】
百人一首に選ばれた平安時代前期の歌人の顔ぶれを眺めわたすと、いかにも個性的な面々を列ねています。小町・業平といった伝説に彩られた大歌人がいるかと思えば、喜撰・蟬丸といった謎めいた隠者もあり、また小野篁や陽成院のような劇的な人生を送った癖の強い人物たちもいて、実に魅力的なキャラクターが揃っているのです。河原左大臣もまた、その意味では少しも引けを取らない存在でしょう。
生年は弘仁十三年(822)で、在原業平より三歳年長です。六歌仙と同時代人になるわけですが、伊勢物語にも引用された名高い歌を残しながら歌仙に選ばれなかったのは、ひとえに彼の身分が高すぎたためでしょう。と言うのも、貫之は古今集仮名序で「つかさ、くらゐ、たかき人をば、たやすきやうなれば入れず」と、官位の高い歌人を評価の対象から外すと宣言しているのです。
「河原左大臣」の「河原」とは、賀茂川の六条河原に建てた大邸宅「河原院」の名に因みます。河原院のことは早く古今集に見え、融の死後、紀貫之がこの邸を訪れて残した哀傷歌は名高いものです。
河原の左の
大臣 の身まかりてののち、かの家にまかりてありけるに、塩竈 といふ所のさまをつくれりけるを見てよめる君まさで煙たえにし塩竈のうらさびしくも見え渡るかな
「塩竈」は今の宮城県塩竈市。その海辺は古来塩焼の名所として知られました。融はこのエキゾチックな歌枕に憧れるあまり、自邸の庭に大きな池を掘り、海水を毎日大量に運び入れては塩焼を楽しんだと言います。侘しい漁村の鄙びた風俗を愛する心は、後世の茶の湯や俳諧に通ずる美意識と言えましょう。まことに源融こそは平安風流貴公子の
【なぜこの一首】
陸奥 のしのぶもぢずり誰 ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
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| 光琳かるた 河原左大臣 上句 |
「しのぶもぢすり」までは「乱れ」を導く序詞としてのはたらきを持ちますが、その間に「誰ゆゑに」という句を割り込ませ、一首に曲折を与えています。しかも結句を「我ならなくに」と逆接で閉じ、恋しい人への怨みを余情として響かせます。まさに「もぢずり」よろしく捩じれたような歌いぶりが魅力的な一首ですが、「乱れ
小倉百首以外の秀歌撰では『五代簡要』『定家八代抄』に採られたくらいで、定家が特別高く評価した形跡はないのですが、定家の歌にこの歌の影響が明らかな作は多く、そのうち少なくとも四首は本格的な本歌取りと言えるものです。
春日野のかすみの衣山風にしのぶもぢずり乱れてぞゆく
袖ぬらすしのぶもぢずり誰が為に乱れてもろき宮城野の露
逢ふことはしのぶの衣あはれなど稀なる色に乱れそめけむ
みちのくのしのぶもぢずり乱れつつ色にを恋ひむ思ひそめてき
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| 光琳かるた 河原左大臣 下句 |
なお、定家自身が書写した古今集(伊達本)では第四句が「みだれむと思ふ」になっており、『百人秀歌』でも「みだれむとおもふ」なので、定家はこちらの形を良しとしたかもしれません。しかし、上に挙げた定家の本歌取りには「乱れそめけむ」「思ひそめてき」とあるように、「みだれそめにし」の本文にも親しんでいたことが窺えます。伊勢物語の写本も多く「みだれそめにし」とあるので、百人一首の最終編集者が最終的に「みだれそめにし」の方を選択した可能性がないとも言い切れません。ここでは取りあえず人口に膾炙した「みだれそめにし」を採用しました。
【なぜこの位置】
| 系図 桓武天皇の子孫と百人一首歌人 |
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因みに、光孝天皇が在位四年にして病に倒れると、基経は臣籍降下していた光孝の皇子、源
今生に恨みを残したか、融は死後も亡霊として河原院に住み続けました。『江談抄』によれば、河原院に渡御した宇多天皇の前に融の幽霊があらわれ、御息所を賜われと迫ったと言います。似たような話は『今昔物語』『古本説話集』などにも見え、河原院は名庭から一転、霊鬼の棲処として知られるようになり、以後急速に荒廃してしまったようです。
ところが融の六代孫である歌人安法法師が移り住むようになると、河原院は歌人の集いの場となり、歌合や歌会がたびたび開かれるようになりました。百人一首の恵慶法師の歌(第47番)も河原院で詠まれたものです。風雅の庭が復活すると共に、融の霊もようやく癒されたことでしょう。
(2010年10月16日加筆訂正)
藤袴:草木の記録20101014 ― 2010年10月14日
白氏文集卷五十四 河亭晴望 ― 2010年10月15日
風轉雲頭斂 風転じて
煙銷水面開 煙
晴虹橋影出
秋鴈櫓聲來
郡靜官初罷
鄉遙信未迴
明朝是重九
誰勸菊花盃
【通釈】風向きが転じて、雲は頭を引っ込め、
煙霧が消えて、川面がひらけた。
雨あがりの虹が、橋の影のようにあらわれ、
雁の群が、櫓を漕ぐような声をあげてやって来る。
郡中は静かに治まり、私は官職を罷めたばかりだが、
故郷は遥か遠く、書信の返事はまだ届かない。
明日は九月九日重陽の節句。
菊花を浮べた盃を誰が勧めてくれるだろう。
【語釈】◇晴虹 雨あがりの虹。◇重九 陰暦九月九日、重陽の節。長寿を祈り、菊の花を浮かべた酒を飲む風習がある。
【補記】宝暦二年(828)、作者五十五歳。前年蘇州の刺史に任官したが、この年病により罷免され、間もなく帰郷した。
雁を舟に喩えた菅根の歌は当詩の第四句「秋鴈櫓聲來」の影響を受けたと見られる。他にも同句を踏まえたと思われる和歌が散見される。実隆の歌の題は「雁似櫓声」である。
【影響を受けた和歌の例】
秋風に声をほにあげて来る舟は
潮路ゆく友とや思ふ海人小舟はつ雁がねのこゑぞ聞ゆる(寂身『寂身法師集』)
久かたの天の河舟からろをやおし明がたの初雁の声(正徹『草根集』)
氷ゐる入江の磯のすて舟におのれ梶とる雁のこゑかな(正徹『草根集』)
くる雁や水のおもかぢとりかぢに声もすがたも沖の友舟(三条西実隆『雪玉集』)
わたの原そらゆく雁はおともなし浦こぐ舟に声をゆづりて(井上文雄『調鶴集』)
掃溜菊:草木の記録20101016 ― 2010年10月16日
靖節先生集卷三 己酉歳九月九日 ― 2010年10月16日
靡靡秋已夕
淒淒風露交
蔓草不復榮
園木空自凋
淸氣澄餘滓
杳然天界高
哀蟬無留響
叢鴈鳴雲霄
萬化相尋繹
人生豈不勞 人生
從古皆有沒
念之中心焦
何以稱我情 何を以てか我が情を
濁酒且自陶
千載非所知
聊以永今朝
【通釈】力なく秋は衰え、既に暮れようとし、
さむざむと風が草木の露に吹きつける。
蔓延っていた草が再び栄えることはなく、
庭の樹々は裸になり自ずと生気を失った。
秋風が大気に残っていた汚れを清め、
天を見上げれば遥々と高い。
哀しげに啼いていた蝉の余響は消え、
代りに雁の群れが大空に鳴いている。
万物は次々に入れ替わってゆく。
人の命もまた疲弊せずにおろうか。
昔から生ある者は必ず死ぬさだめ。
それを思えば心中じりじりと焼かれるようだ。
何をもって我が心をなだめればよいか。
濁り酒を飲み、自ら楽しもう。
千年の寿命など知るところではないから、
とりあえず今朝をのんびり過ごすとしよう。
【語釈】◇靡靡 衰え、滅びゆくさま。◇雲霄 大空。◇尋繹 次々につらなる。推移する。
【補記】義熙五年(409)、作者四十五の年、重陽の節日の感慨を詠む。郷里に帰って四年目の秋である。
【影響を受けた和歌の例】
生まるれば遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(大伴旅人『万葉集』)















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