白氏文集卷二十 臘後歳前遇景詠意2010年01月20日

臘後(らふご)歳前、景に()ひ意を詠ず  白居易

寒梅半白柳微黄  寒梅(かんばい)半ば白くして 柳(すこし)く黄なり
凍水初融日欲長  凍水(とうすい)初めて融けて 日長からんとす
度臘都無苦霜霰  (らふ)(わた)りて (すべ)霜霰(さうせん)に苦しむ無く
迎春先有好風光  春を迎へて ()好風光(かうふうくわう)有り
郡中起晩聽衙鼓  郡中 起くること(おそ)くして 衙鼓(がこ)を聴き
城上行慵倚女牆  城上(じやうじやう) 行くこと(ものう)くして女牆(ぢよしやう)()
公事漸閑身且健  公事(こうじ) (やや)(かん)にして ()()(けん)なり
使君殊未厭餘杭  使君(しくん) ()ほ未だ余杭(よかう)(いと)はず

【通釈】早咲きの梅は白い花を半ば開き、柳の芽はかすかに黄色い。
凍っていた川は融け始め、日は長くなろうとしている。
臘祭を過ぎて、もはや霜や霰に苦しむことも無く、
新春を目前にして、真っ先に風と光がうららかになる。
私は役所の中でゆっくり起き出し、時を打つ太鼓を聴き、
城壁の上を物憂く歩いて、女墻(ひめがき)に凭れる。
公務はだんだん暇になり、身体はまず健康だ。
この刺史殿もまだ杭州を嫌うことはない。

【語釈】◇臘 冬至後三度目の(いぬ)の日。「臘祭」と言ってこの日百神を祭る。2010年は1月24日にあたる。◇郡中 郡の役所の中。郡は杭州を指す。◇衙鼓 時を告げる役所の太鼓。「衙」は役所。◇女牆 城の上に作る丈の低い垣。ひめがき。◇使君 刺史(州の施政官)の尊称。自らを客観視して言う。◇餘杭 杭州。

【補記】長慶二年(822)、白居易は自ら求めて長安を去り、杭州刺史に着任、翌々年までこの職にあった。五十一歳から五十三歳までのことである。この間、陰暦十二月、臘祭も終わり、新年を目前にして、風景を見て感懐を述べた詩。大江千里が第四句「迎春先有好風光」を句題に歌を詠んでいる。大江維時の『千載佳句』上「早春」の部に第三・四句が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
いつしかと春をむかふる朝にはまづよき風の吹くぞうれしき(大江千里『句題和歌』)

雲の記録201001202010年01月20日

2010年1月20日午前10時鎌倉二階堂にて

風が強く、妙に暖かい一日。午前中は巻雲の見える青空だったが、午後はやや雲が多くなる。夜になっても雲が多めで、星はあまり見えない。写真は朝、犬と山を散歩していた時に撮った飛行機雲。

和漢朗詠集卷上 梅2010年01月20日

失題  菅原文時

五嶺蒼蒼雲往來  五嶺(ごれい)蒼々(さうさう)として 雲往来す
但憐大庾萬株梅  (ただ)憐れむ 大庾(たいゆう)万株(まんしゆ)の梅
誰言春色從東到  (たれ)か言ふ 春の色の(ひんがし)より到ると
露暖南枝花始開  露暖かにして 南枝(なんし)に花始めて開く

【通釈】五嶺は青々とし、雲が流れ来ては去るばかり。
ただ大庾の嶺だけは万株の梅が素晴らしい。
誰が言ったのだろう、春の兆しは東から訪れると。
置く露も日に暖められて、南の枝から花が咲き始めた。

【語釈】◇五嶺 杭州の北につらなる五つの嶺。◇大庾 五嶺の一つ。◇南枝… 『白氏文集』巻三十の「大庾嶺上梅 南枝落北枝開」に拠る。

【補記】『江談抄』の記事によれば作者は菅原文時(899~981)で、天暦の内裏坤元(こんげん)録屏風詩。梅の名所大庾嶺を描いた屏風絵に題した詩である。『和漢朗詠集』巻上「梅」の部に「五嶺」以下の二句、「誰言」以下の二句が分けて引用されている。「露暖南枝花始開」を踏まえた和歌が多く、土御門院の御製はこの句を題とする。

【影響を受けた和歌の例】
梅が枝はまづ南こそ咲きにけれそなたよりやは春もたちくる(平親宗『親宗集』)
春はまづ憑む南のみ山より思ひひらけて匂へ梅が枝(藤原家隆『壬二集』)
春の日のひかりに匂ふ梅の花みなみよりこそ露もおきけめ(土御門院『土御門院御集』)
春雨やわきてうるほす梅の花みなみの枝ぞまづ咲きにける(伏見院『伏見院御集』)
こちふくや神のいがきに梅が枝も南の宮とにほひそめつつ(飛鳥井雅親『続亜槐集』)
春毎に花は南の片枝より咲きていくかの四方の梅が香(望月長孝『広沢輯藻』)
わきて先づ南の片枝咲く梅におくれず来鳴け春の鶯(冷泉為村『為村集』)
日のめぐる南の枝の霜どけにぬれてほほゑむ梅の初花(小沢蘆庵『六帖詠草』)
南より先づ咲きそめて日数ふる北野の梅ぞさかり久しき(橘千蔭『うけらが花』)