白氏文集卷十三 酬哥舒大見贈 ― 2010年03月27日
去歳歡遊何處去 去歳の歓遊
曲江西岸杏園東
花下忘歸因美景 花の
樽前勸酒是春風
各從微宦風塵裏
共度流年離別中 共に
今日相逢愁又喜
八人分散兩人同
【通釈】去年、皆で楽しく遊んだのは何処だったか。
曲江の西岸、杏園の東だった。
花の下で帰ることを忘れたのは、あまりの美景ゆえ。
樽の前で酒を勧めたのは、うららかな春の風だった。
今おのおのは微官に任じられて、俗塵のうちにある。
互いに別れたまま、一年は流れるように過ぎた。
今日君と出逢えて、寂しくもあり、嬉しくもある。
八人は各地に分散しているが、君と僕の二人は同じここにいるのだ。
【語釈】◇曲江 長安にあった池。杜甫の詩で名高い。◇杏園 杏の花園。杏は春、白または淡紅色の花をつける。◇微宦 微官に同じ。身分の低い官吏。◇八人 前年、共に科挙に及第した八人。
【補記】友人の哥舒大から贈られた詩に応えた詩。自注に「去年與哥舒等八人、同登科第。今叙會散之意(去年哥舒等八人と、同じく科第に登る。今会散の意を叙す)」とあり、共に科挙に及第した八人の仲間と杏の花園で遊んだ日を懐かしんだ詩と知れる。和漢朗詠集の巻上「春興」に頷聯が引かれて名高く、第三句は謡曲『吉野夫人』『桜川』『鼓滝』『松虫』などにも引用されている。千里・慈円・定家の歌は「花下忘歸因美景」の句題和歌。それ以外は「花下忘歸」を題とする詠である。なお、白氏の詩では「花」はあんずの花を指すが、和歌では桜の花を指すことになる。
【影響を受けた和歌の例】
この里に旅寝しぬべし桜花ちりのまがひに家路わすれて(よみ人しらず『古今集』)
花を見てかへらむことを忘るるは色こき風によりてなりけり(大江千里『句題和歌』)
あづま路の老蘇の森の花ならば帰らむことを忘れましやは(源俊頼『散木奇歌集』)
春の山に霞の袖をかたしきていくかに成りぬ花の下臥し(慈円『拾玉集』)
時しもあれこし路をいそぐ雁がねの心しられぬ花のもとかな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
帰るさもいかがおぼえむ散らぬまは千世もへぬべき花の木のもと(藤原為家『為家集』)
みな人の家ぢわするる花ざかりなぞしも帰る春の雁がね(後嵯峨院『新後撰集』)
散るまでは花にかへらじ春の風我が家桜さくとつげずは(正徹『草根集』)
かへるべき道かは花のきぬぎぬを入相の鐘におどろかすとも(後柏原院『柏玉集』)
けふくらす名残のみかは花のもとに年のいくとせなれし老ぞも(肖柏『春夢草』)
ふる里よ花し散らずはいかならむ立ち出でしままの春の木のもと(三条西実隆『雪玉集』)
比もいま雲ゐの花におもなれてかへり見もせぬ我が宿の春(烏丸光広『黄葉集』)
かへるさはなき心ちする我が玉や花のたもとに入相の鐘(木下長嘯子『挙白集』)
木のもとに今いくかあらばかへるべき我がふるさとを花に思はむ(中院通村『後十輪院内府集』)
【参考】謡曲『右近』
げにや花の下に帰らん事を忘るるは美景によりて花心馴れ馴れそめて眺めん
最近のコメント