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更新情報:定家全釈2010年07月04日

定家自筆『拾遺愚草』

当ブログに連載していた「初学百首」の注釈をまとめ、少し手を加えて、「やまとうた」に新設した定家全釈にアップしました。
今後もまずこちらのブログへ毎回五首ずつ掲載し、一区切りつく毎に、「やまとうた」にまとめて転載してゆこうと思っております。
今後ともご教示・ご叱正など頂けると幸いに存じます。

(写真は、底本とした定家自筆の『拾遺愚草』、「初学百首」巻頭部分。冷泉家時雨亭叢書影印本より。)

和漢朗詠集卷上 蟬 發青泥店至長余縣西涯山口2010年07月05日

信州伊那谷

青泥店を発して、長余県西涯山口に至る 李嘉祐

千峯鳥路含梅雨  千峯(せんほう)鳥路(てうろ)梅雨(ばいう)を含めり
五月蟬聲送麥秋  五月(ごがつ)の蝉の声は麦秋(ばくしう)を送る

【通釈】数知れぬ峰々には梅雨を含んだ雲が垂れ込め、鳥の路を阻んでいる。
五月になって鳴き始めた蝉の声は、麦秋の季節の終りを告げる。

【語釈】◇五月 陰暦五月は仲夏。◇麥秋 陰暦四月、初夏。麦を収穫する季節なのでこの名がある。

【補記】『和漢朗詠集』巻上夏「蝉」。『千載佳句』には「夏興」の部に収め、題「發青泥店至長余縣西涯山口」を記すが、詩の全容は知れない。『全唐詩』などにも見えず、早く散逸したものらしい。「五月蝉声送麦秋」を踏まえた和歌が見える。

【作者】()嘉祐(かゆう)は中唐初期の詩人。生没年未詳。越州の人。(あざな)は従一。大暦十才子の一人。天宝七年(748)の進士。『李嘉祐集』がある。

【影響を受けた和歌の例】
おくるといふ蝉の初声きくよりぞ今かと荻の秋を知りぬる(藤原道綱母『道綱母集』)
神まつる卯月もたてば五月雨の空もとどろに啼く蝉の声(藤原隆房『朗詠百首』)
五月かも麦の秋風蝉のこゑまじはる杜になく郭公(正徹『草根集』)

【参考】『平家物語』巻三
この島へ流されて後は、暦も無ければ、月日の立つをも知らず。只おのづから花の散り、葉の落つるを見ては、三年の春秋を弁へ、蝉の声麦秋を送れば夏と思ひ、雪の積るを冬と知る。

菅家文草卷四 新蝉2010年07月06日

蝉

新蝉      菅原道真

新發一聲最上枝  新たに一声(ひとこゑ)を発す 最も上なる枝
莫言泥伏遂無時  言ふことかなれ (こひぢ)に伏して遂に時無しと
今年異例腸先斷  今年は(つね)よりも(こと)(はらわた)先づ()
不是蟬悲客意悲  これ蝉の悲しぶのみにあらず (かく)(こころ)も悲しぶなり

【通釈】いちばん高い梢で、蝉が初めて一声を発した。
言うな、土の中に埋もれ伏して、残りの時間は最早無いと。
今年は例年にも増して真っ先に断腸の思いがする。
悲しいのは蝉ではなく、旅人たる私の心が悲しんでいるのだ。

【語釈】◇不是蟬悲 「これ蝉の悲しぶにあらず 」と訓むのが本来であろうが、和漢朗詠集の古写本に「これ蝉の悲しぶのみにあらず」と訓むのに従う。◇客 旅人。左遷の身にあった自身を指す。

【補記】仁和四年(888)、讃岐に左遷されて三年目の作。和漢朗詠集巻上夏「蝉」の部に第三・四句が採られている。土御門院の御製は「不是蟬悲客意悲」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
夏ふかき森のうつせみねにたてて啼くこの暮は我さへぞ憂き(土御門院『土御門院御集』)
うつせみの世はかくこそと見るごとに先づ我が身こそ悲しかりけれ(木下幸文『亮々遺稿』)

佩文齋詠物詩選 夏日臨江2010年07月08日

蓮の花


夏の日 江に臨む  梁武帝

夏潭蔭修竹  夏潭(かたん) 修竹(しうちく)(かげ)
高岸坐長楓  高岸(かうがん) 長楓(ちやうふう)に坐す
日落滄江靜  日落ちて滄江(さうかう)静かに
雲散遠山空  雲散じて遠山(えんざん)(むな)
鷺飛林外白  鷺飛びて林外(りんぐわい)に白く
蓮開水上紅  蓮開きて水上(すいじやう)(くれなゐ)なり
逍遙有余興  逍遥(せうえう)するに余興有り
悵望情不終  悵望(ちやうばう)するに(じよう)()きず

【通釈】夏の(ふち)は長い竹が蔭を落としている。
切り立った岸辺、丈高い(ふう)の木のもとに坐す。
日は落ちて青々とした大河は穏やかに、
雲は散って遠くの山々は虚ろだ。
鷺が林の外へ白々と飛び、
蓮が水の上に紅々(あかあか)と咲いている。
散策すれば感興は余るほどあり、
眺望すれば哀情の尽きることがない。

【語釈】◇修竹 「修」は「脩」に通じ、長い竹の意。◇滄江 青々とした河。「江」は長江。

【補記】夏の日、長江に臨んで作ったという五言古詩。『古詩三百首』などは作者を隋煬帝(楊広)とする。大江千里の歌は「蓮開水上紅」の句題和歌。

【作者】梁武帝、蕭衍(しようえん)。南朝梁の初代皇帝。464年~549年。雍州(湖北省襄陽)刺史であった時、南斉に兵を挙げ、天監元年(502)帝位に即いて梁朝を起こした。

【影響を受けた和歌の例】
秋近く蓮ひらくる水の上は紅ふかく色ぞみえける(大江千里『句題和歌』)
夕立の雲間の日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺(藤原定家『玉葉集』)

雲の記録201007122010年07月12日

2010年7月12日午後7時2分鎌倉市二階堂

午後雨があがり、日が射す。今日は各地で美しい夕焼が見られたようだ。山で西方の視界を遮られる我が家の辺りではさほどではなかった。午後七時二分。

槿花一日自爲榮2010年07月14日

朝顔の花

白氏文集卷十五 放言 其五
放言 其の五  白居易

泰山不要欺毫末  泰山(たいざん)毫末(がうまつ)(あざむ)くを要せず
顔子无心羡老彭  顔子(がんし)老彭(らうはう)(うらや)むに心()
松樹千年終是朽  松樹(しようじゆ)千年(せんねん)(つひ)に是れ朽ち
槿花一日自爲榮  槿花(きんくわ)一日(いちじつ)(みづか)(えい)と為す
何須戀世常憂死  何ぞ(もち)ゐむ 世を(した)ひて常に死を(うれ)ふるを
亦莫嫌身漫厭生  ()た身を嫌ひて(みだ)りに生を(いと)ふなかれ
生去死來都是幻  生去(せいきよ)死来(しらい) (すべ)て是れ幻
幻人哀樂繋何情  幻人(げんじん)の哀楽 何の(じやう)にか()けむ

【通釈】泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、
顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。
松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、
朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。
されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。
さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。
生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。
幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。

【語釈】◇泰山 五岳の一つ。太山とも書く。崇高壮大なものや大人物の譬えとされる。◇顔子 孔子の高弟、顔回。師より将来を嘱望されたが夭折した。◇老彭 彭祖。殷の時代の仙人で、八百歳の長寿を保ったという。◇槿花 木槿(むくげ)の花。朝咲いて夕方には凋む。日本ではこれを朝顔(今のアサガオと同種)として受け取ったようである。◇生去死來 生死を繰り返すこと。

【補記】親友の元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第五首。当時白居易は左遷の地江州へ向かう船中にあったと自ら序に記す。其一は既出。第三・四句が和漢朗詠集巻上秋の「槿(あさがほ)」の部に採られている。為家の歌は「槿花一日」、橘忠能の歌は「槿花一日栄」を題とする。「敦盛」「関寺小町」など多くの謡曲に「槿花一日自爲榮」を踏まえた章句が見える。

【影響を受けた和歌の例】
千年ふる松だに朽つる世の中に今日とも知らでたてる我かな(性空上人『新古今集』)
朝顔の暮を待たぬもおなじこと千とせの松に果てしなければ(藤原清輔『久安百首』)
おのづからおのが葉かげにかくろへて秋の日くらす朝がほの花(藤原為家『為家集』)
あだなりや夕陰またず一時をおのが世とみる朝顔の花(橘忠能『難波捨草』)

雲の記録202007152010年07月15日


2010年7月15日午後6時45分

各地で集中豪雨の被害が出ているようだが、湘南地方はもう梅雨が明けたかのような夏本番モード。もっとも、風はどことなく爽やかで、真夏の熱風という感じではない。
風が強く、雲の変化の激しい一日だった。ひぐらしの声を昨日初めて聞いたが、今日はもう盛んに鳴いていた。
月は水無月四日月。

2010年7月15日午後6時24分








雲の記録201007162010年07月16日


2010年7月16日午後2時42分横須賀市佐島

梅雨明け宣言はもう少し先になりそうだが、今日の空はすっかり夏模様。上は横須賀市の佐島港より三浦市方面を、下は葉山町の葉山公園より伊豆方面を撮ったもの。

2010年7月16日午後3時55分神奈川県葉山町






和歌歳時記:夏雲 Summer cloud2010年07月18日

夏の積雲

四時  陶淵明

春水滿四澤  春の水 四沢(したく)に満ち
夏雲多奇峰  夏の雲 奇峰(きほう)多し
秋月揚明輝  秋の月 明輝(めいき)()
冬嶺秀孤松  冬の嶺 孤松(こしよう)(ひい)

陶潜作と伝はる詩にあるやうに、夏の季節感を最も際立たせるのが、青空に湧きあがる積雲・積乱雲だ。

『桂園一枝』 夏雲  香川景樹

おほぞらのみどりに靡く白雲のまがはぬ夏に成りにけるかな

梅雨が明けて、紺碧の夏空が広がる。碧が深ければ、雲の白はひときは映える。「白雲の」までの上句は、夏空の叙景であると共に、「まがはぬ」といふ語を導く序詞のはたらきを持つてゐる。

夏の雲と言へば入道雲だが、和歌や誹諧では(おそらく上記陶潜の詩の影響から)「雲の峰」と呼んだ。

『浦のしほ貝』 晩夏雲  熊谷直好

しら雲の峰も崩れて秋風にたなびく空となりにけるかな

芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」を、晩夏の涼感に本句取りした歌。暑い季節は長いが、夏らしい夏は意外なほど短い。輝く白雲を目に焼き付けておかう。

**************

  『玉葉集』(題しらず) 楊梅兼行
夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞすずしき

  『権大納言俊光集』(夏雲) 日野俊光
峰たかき山また山と見ゆるまで曇りかさぬる五月雨の雲

  『草根集』(夏山雲) 正徹
夕立の晴れぬる山の岩根よりのぼるも消ゆる雲の一むら

  『続亜槐集』(夏雲) 飛鳥井雅親
あつき日にしづかにのぼる峰の雲夕だちすべき空ぞ待たるる

  『拾塵集』(夏雲) 大内正弘
あつき日にねがひし程は空晴れて月に成行く夕暮の雲

  『雪玉集』(夏雲) 三条西実隆
花の色に見しはものかはほととぎす声待つころの峰の白雲
  (旅)
夏の日はいく重の雲の峰たかみ行き疲れても暮れがたき空

  『逍遥集』(夏暁雲) 松永貞徳
みじか夜のまだ明けぬまに葛城の雲の梯たれわたすらん

  『通勝集』(夕立) 中院通勝
一むらの雲の峰より吹きおちて風にぞきほふ夕立の空

  『うけらが花』(夏雲) 加藤千蔭
ひとすぢのけぶりと見しも時のまに千さとをわたる夕立の雲

  『竹乃里歌』 正岡子規
海原に立つ雲の峰風をなみ群るる白帆の上をはなれず

  『夕波』 中河幹子
音のしてたちまち遠き機影追ふみ空はすでに光る夏雲

  『月華の節』 馬場あき子
雲の峰まさしく戦後遠けれど母惚けて空襲の日のみ記憶す

雲の記録201007182010年07月18日

2010年7月18日午後1時6分

午後一時、鎌倉にて。