蛍火乱飛秋已近 ― 2010年08月08日
全唐詩卷四百十五 夜坐
雨滯更愁南瘴毒 雨滞りて更に愁ふ
月明兼喜北風涼 月明らかにして兼ねて喜ぶ
古城樓影橫空館 古城の
濕地蟲聲繞暗廊 湿地の虫の声
螢火亂飛秋已近
星辰早沒夜初長
孩提萬里何時見
狼藉家書滿臥床 狼藉たる家書
【通釈】雨が降り止まず、南方の瘴気の毒がさらに気がかりだったが、
夜になって月が明るく輝き、北方からの涼風が今から楽しみだ。
古城の高楼の影が、人のいない館に長々と横たわり、
湿地の虫の声が、暗い廊下にまとわりつく。
蛍の火は乱れ飛び、秋も既に近いことを感じさせる。
星々は早くも地平に没し、夜が長いことを初めて覚える。
幼な子は万里の彼方、いつの日か逢えるだろう。
妻のいない我が家、散乱した書物が寝床に満ちている。
【語釈】◇孩提 二、三歳の幼児。
【補記】元和年間、湖北の江陵に左遷されていた時の作であろう。家族を残して南国に夏を過ごす辛さと、秋を迎える安堵。和漢朗詠集巻上夏「蛍」の部に「蛍火乱飛秋已近 辰星早没夜初長」が引かれ、これを踏まえた和歌が少なくない。隆房・土御門院・実朝・直好の歌はいずれも「蛍火乱飛秋已近」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
夏たけて秋もとなりになりにけりすだく蛍のかげをみしま江(藤原隆房『朗詠百首』)
乱れ飛ぶ沢の蛍は秋ちかし空行く月の夏の暮れがた(藤原忠良『正治初度百首』)
沢水に秋風ちかしゆく蛍まがふ光はかげ乱れつつ(俊成卿女『千五百番歌合』)
うたた寝もふすほどすずし長き夜に蛍みだれて秋ぞちかづく(藤原行能『建保四年内裏百番歌合』)
小篠原しのにみだれて飛ぶ蛍今いくよとか秋を待つらん(土御門院『土御門院御集』『続拾遺集』)
飛びまがふみぎはの蛍みだれつつ蘆間の風に秋やちかづく(藤原為家『為家千首』)
かきつばたおふる沢辺に飛ぶ蛍数こそまされ秋やちかけん(源実朝『金槐和歌集』)
夏ふかき沢の蛍も乱れ葦の一夜ふたよに秋やきぬらん(宗尊親王『宗尊親王三百首』)
とぶ蛍ひかりみだれて久方の雲居にちかき秋風ぞふく(源親行『新和歌集』)
秋もはや一夜にちかき葦の葉にみだれていとど飛ぶ蛍かな(後崇光院『沙玉集』)
秋ちかみ思ひもなほや乱れまさる蛍とびかふ夏の暮れがた(同上)
みだれとぶ蛍としるやくるるよのいまいくかあらば秋かぜの空(三条西実隆『雪玉集』)
乱れとぶ入江の蛍影きえて残る漁に秋風ぞふく(望月長孝『広沢輯藻』)
吹きたたん秋風みえてわが中は蛍よりけに乱れ侘びぬる(武者小路実陰『芳雲集』)
ほに出でん秋もちかしと薄原みだれてのみも飛ぶ蛍かな(熊谷直好『浦のしほ貝』)
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