<< 2014/07 >>
01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

RSS

千人万首 松永貞徳 雑2014年07月04日

みどり子をみて

みどりのめざめて後も驚くは夢ともしらぬ夢やみつらん

「赤ん坊が目覚めた後もびっくりしているのは、夢だとも知らない夢を見たのだろうか」。

「みどり子」は生まれて間もない赤ん坊、また三、四歳頃までの幼児をも言ったらしい。この場合、そばで親しく観察していた詠みぶりなので、おそらくは自分の子であろう。「貞徳の長男昌三は文禄元年(一五九二)、貞徳二十二歳のときに誕生しており、貞徳は若い父親であった。我が子を観察したものであろうか。ともあれ、江戸時代の男性が幼児をよんだこのような歌は珍しいと思われる」(高梨素子「松永貞徳と烏丸光弘」)。

家庭生活の何気ない一場面、赤子などのふとした表情に心を動かされて歌を詠むというのは、当時(近世初頭)にあっては相当に新しい創作の姿勢であった。江戸も末期の、例えば大隈言道の歌風を早くも予告するかのようである。もっとも、もっぱら題詠に力を入れた貞徳にあっては稀な偶成の作であって、こうした方面に重きは置いていなかったのである。

「夢ともしらぬ夢」は、夢だとも認識できない夢。

祝言

君と臣みがくこと葉の玉くしげ身をあはせたる代こそ治まれ

「君主と臣下とが、互いに和歌のことばを玉のように磨き合う――こうして君臣が身を合わせた御代こそ平和に治まるのである」。

『逍遊集』巻末歌。「歌ちからなくよわき花風ばかりにては、国家おだやかならず。…世の乱るるも治まるも、皆歌の風にて知る事あり」(戴恩記)などとした貞徳の政教主義的な和歌観が端的に表われた一首であろう。

「身をあはせたる」とは、『古今集』仮名序の「かの御時に、おほきみつのくらゐかきのもとの人丸なむ、うたのひじりなりける。これは君もひともといふなるべし」による。宮廷歌人たる人麻呂が、応詔和歌によって天皇の心を体現したとして、君臣一体にかなう古例として賞揚した詞である。貞徳はこれを承け、互いに和歌の詞を玉のように磨くことが君臣の道をととのえ、国家の用に立つことだとして、和歌による治国平天下を言祝いだのであった。

「こと葉の玉くしげ」は「こと葉の玉」「玉くしげ」と掛けて言う。「玉くしげ」は「身」の枕詞。「みがく」は「玉」の縁語。

 

余録

  立春
朝日さす雪もつららもとくとくと春はきにけり軒の玉水

  花下忘帰
をののえの朽木の杣の花にねんたとひ七世の孫に逢ふとも

  閑庭月
心さへすみ行く庭のやり水に月の氷のおとをきくかな

  春恋
春といへどのどかならずも物ぞ思ふ絶えて桜のなき世なりとも

  題不知
いとけなき心ちこそすれたらちねと添ひ寝の夢のさめてかなしき

  親の夢に見えられける時、つねに我が親もみるといはれし事を思ひ出でて
たらちねのそのたらちねを夢にみて恋ひしたはれし折ぞ恋しき

  和泉式部の寺にて月次の和歌会有りければ、おもひつづけて
くらきよりくらき心のことのはをあはれとや思ふ山のはの月