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大石田・尾花沢・銀山温泉2019年02月19日

山形を一泊旅行して来ました。歌等と関係あるところを中心に、メモしておこうと思います。

午後一時、新幹線で大石田下車。駅を出ると雪がちらついていました。
大石田と言えば芭蕉と茂吉です。
観光タクシーを頼み、最上川へ向かう途中、運転手さんが、斎藤茂吉の疎開していた聴禽書屋が近いと言うので寄ってもらいました。

聴禽書屋

聞きしにまさる豪雪の中に埋もれています。歩道の脇には人の背丈を越える雪の壁。
「日本三雪」といって、出羽尾花沢は飛騨高山・越後高田と並ぶ三大豪雪地帯だそうです(大石田駅を出るとすぐ尾花沢市域です)。
歌集『白き山』の数々の名作を生んだ家と思えば感慨は深いのですが、あいにく現在内部は見学不可のよう。

最上川を橋の上から眺めた後、芭蕉・清風資料館を見学。他に客はなく、館長さんが委しく説明して下さいました。芭蕉が尾花沢に10日も泊まった――「奥の細道」の旅では他を圧しての長い滞在――ということが尾花沢の人たちの誇りとするところのようです。
なお鈴木清風は紅花で巨富を築いた地元の豪商で、俳句も嗜み芭蕉の門人だったとのこと。
徳良湖の白鳥などを見物したのち、銀山温泉へ。午後四時着。

銀山温泉

古山閣という古い旅館に泊まりました。ガス灯がともる頃、妻と散歩。温泉街はほんの200メートルくらいでしょうか。写真を撮りにわざわざ立ち寄る人も多いようで、賑わっていました(やはり外国人観光客が多い)。お湯はなめらかで、熱さも程良く、大変気持良かったです。
茂吉はここでも歌を残していて、「蝉のこゑひびかふころに文殊谷吾もわたりて古へおもほゆ」という歌の碑が温泉街の外れにあるはずなのですが、どうやら雪に埋まってしまっていたようです。

翌朝、大石田へ戻る。旅館の送迎バスから、出羽山地が眺められました。正面に映っているのは葉山?

尾花沢市内より出羽山地を望む

好きな茂吉の歌を思い出しました。

 山脈が派動をなせるうつくしさ直(ただ)に白しと歌ひけるかも

バスを降り、再び最上川へ。
最上川というと、古典和歌でも歌枕になっているのですが、やはり何と言っても芭蕉の句と茂吉の歌でしょう。その日は穏やかな天気に恵まれ、「五月雨をあつめてはやし」と詠まれた川も、ただ悠然と流れていました。

最上川 大石田



(茂吉の歌より)
 最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
 おほどかにここを流るる最上川鴨を浮べむ時ちかづきぬ
 最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも
 あまぎらし降りくる雪のおごそかさそのなかにして最上川のみづ

温泉も最上川も良かったのですが、いちばん印象に残ったのは、東北の白い山々でした。大石田では、雪に埋もれた水田越しに、奥羽山脈が南北に延々と伸びているのを見渡せるところがありました。タクシーの車中からだったのですが、運転手さんが「あの山の向こうが宮城県です」と言っていました。まさに東北の脊梁を眺めている気分でした。

『和歌名所めぐり』東海道線 目次2015年02月27日

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線7 伊豆七島2015年02月18日

伊豆大島を望む

伊豆の海

藤原為道

伊豆の海や沖の波路の朝なぎに遠島きえてたつ霞かな

小山田与清

物もなく沖はれわたる朝なぎになほ霞みけり伊豆の七しま

若山牧水

伊豆の海や入江入江の浪のいろ濁り黄ばみて秋の風吹く

大島

伊豆半島の東方沖にあり。山を三原山といふ、火山なり。

木下利玄

炭やきの翁の小屋に水こひて半はわかぬ物がたりきく

高柳光寿

大島や三原の山の麓辺は桜椿のいま盛なり

白煙は渦巻き登るひさかたの天つ日影は光あやふし

火の島のつら〳〵椿つら〳〵に物をぞ思ふ人の子故に

みんなみの孤島の春の磯山にわれ手をとりて脈拍をきく

佐佐木福太郎

きさらぎの三原の山の御神火の本土になびく朝ごちの空

八木善文

花もりの神ここにすみてとことはに椿にほへる大しま島山

うみにそふふもと焼原雨になりて三原の煙ひくく舞ひくだる

船にあまる大帆はなゝめ船なゝめとぶ鳥なして黒潮よぎる

島少女何かかたらふ島つばき花ちるかげに牛をつなぎて

切割のこけの岩みち土の香のしめれる道のひなぎくの花

親しうなりし島の誰彼まさきかれと船に寄りきぬ椿手に〳〵

八丈島

伊豆七島のうちの最南の島。

八木善文

八丈男子をのこ妹がりゆきぬ魚さへも鰭破るとふ荒海月夜

補録

伊豆の海

文永二年の春、伊豆山にまうでて侍りし夜、くもりもはてぬ月いとのどかにて、浦々島々かすめるをみて

宗尊親王

さびしさのかぎりとぞ見るわたつ海のとほ島かすむ春の夜の月

加藤枝直

となりには初島みえて七島は潮気にくもる伊豆の海ばら

七月廿八日、浜臣が熱海へゆあみに行くを送る
加藤千蔭

いかばかり心ゆくらむ伊豆の海や浪にうつろふ月の夜ごろは

根本浜遠望
長塚節

伊豆の海や見ゆる新島三宅島大島嶺は雲居棚引く

若山牧水

皐月の雲のかげりにうすき藍をひきうすき藍ひき伊豆が崎が見ゆ

伊豆大島

与謝野晶子

数知らず伊豆の島より流れくる椿の花と見ゆるいさり火

九条武子

大島はそらになづめりかなたにも夕ベせまれば水くむやをんな

木下利玄

牛ひきてかへる少女に路とひて島の言葉を又おぼえけり

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線2 川崎・横浜2015年02月13日

横浜港 氷川丸

川崎

東南二十町に川崎大師あり。

河杉初子

六郷の河原に淡き夢を見る月見草などうらがなしけれ

大河内国子

厄よけに大師詣での帰り道おちゐし胸によき富士を見つ

横浜

横浜に錨おろせるペルリにかはりてよめる

佐久間象山

武蔵の海さしいづる月は天飛ぶやかりほるにやに残る影かも

     ○

石松東雄

船のがさぎりの中に語らへる湊の夜こそなまめかしけれ

野村富貴子

秋近し野毛山の鐘夜を呼びて港の町はいまともりぬ

三渓園

本牧にあり、原氏の庭園。

前田利定

渓水の清き岩間ゆさしいづる一枝の梅にまづ春はきぬ

村田清子

風鐸のひゞく松かげ些かのうれひにつかれ夕月をみぬ

べに芙蓉すがためでたく咲き出でて横笛庵に初秋は来ぬ

河杉初子

丘の上は風たつらしもあららぎの風鐸の音をわたどのに聞く

まろき山のあららぎ見ればはしけやし大和を思ひ心ときめく

杉田梅林

本牧より浦つゞきにて一里あまりのところ。

東一雄

朝の風丘びの梅のうれ吹けば梅が香遠く海にかをりぬ

補録

横浜

武蔵の橘の浦にて
安藤野雁

春の色の海よりのぼるかげろふに半ばそめたる安房の浦なみ

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線1 東京2015年02月12日

東京駅

一 東海道線

東京

皇城

東久世通禧

万代のかげこそこもれ宝田の千代田の宮の松のむら立

正岡子規

桜咲く御国しらすと百敷の千代田の宮に神ながらいます

八木善文

まかがやく黄金こがね御輦みくるま春風にかがやき出でぬ玉敷ける橋

東京駅

岡田三鈴

東京、東京、幾年われの思へりし都にまづぞ我は着きにける

日比谷公園

北原白秋

喨々と一すぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴の嘴

銀座

土岐哀果

ある朝の銀座の街の時計台ものめづらしく仰ぎつつ行けり

上草履午後の休みに出でて踏む銀座通りの春の土かな

上野公園

正岡子規

雨にして上野の山を我が越せば幌のすきまよ花の散るみゆ

若山牧水

動物園のけものの匂ひする中を歩むわが背の秋の日かげよ

香取秀真

上野山下枝しづえを垂れてさく花のおくにどよめく桜人のとも

浅草公園

平野忠俊

織るが如き人かげ絶えて浅草の御寺しづかに月さし出でぬ

赤倉富子

打水がかげに光る仲見世の敷石ふめばさわやぐ心

隅田川

加藤千蔭

墨田川みのきてくだす筏士にかすむあしたの雨をこそしれ

安藤野雁

隅田川花のよどみにうく鳥の桜はねぎる春のゆふぐれ

加藤千浪

すみだ川長き堤も春の日もみじかくなすは桜なりけり

石榑千亦

よしきりや列をはなれて小さき帆の綾瀬に折れし昼下りかな

両国橋

平沼呉岳

光の華み空にみだれ大伝馬、小伝馬、艀、川をうづめぬ

東京こゝかしこ

土岐哀果

大門の車庫の広場に品川の鷗の遊ぶ冬のあけぼの

河杉初子

よし町へ銀のたけなが買ひにゆく夜を美しう春の雨ふる

松本徳子

粉雪ふるいかだの上を白鷺がひよい〳〵歩む上木場の堀

大村八代子

霜白し愛宕の塔にぽつかりと朝日はさして夜あけぬるかな

赤倉富子

つぎつぎに草の名を問ふ幼子と植物園をたどる春の日

池上本門寺

大森駅の附近、日蓮上人示寂の処。

片山広子

池上や千部経よむ春卯月霞む野路ゆく人のむれかな

祖師ねぶる池上山のよひ月夜杉の上行く山ほとゝぎす

補録

東京

斎藤茂吉

東北の町よりわれは帰り来てあゝ東京の秋の夜の月

隅田川

我がおもふ人に見せばやもろともにすみだ川原の夕暮の空(藤原俊成)

隅田川堤にたちて舟待てば水上とほく鳴くほととぎす(加藤千蔭)

つくばねの高嶺のみゆき霞みつつ隅田河原に春たちにけり(村田春海)

隅田川なか洲をこゆる潮先にかすみ流れて春雨の降る(井上文雄)

追ひつぎて花もながれむ角田川つつみの桜かげ青みゆく(大国隆正)

永代橋

永き代の橋を行きかふ諸人はおのづからにや姿ゆたけき(田安宗武)

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』―はじめに―2015年02月12日

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』(博文館刊)

私は旅が趣味だったと言っても良いくらいの旅好きで、海外旅行の経験は乏しいものの、日本は釧路から西表島まで、全国各地をかなり歩き廻っている方だと思います。しかし、今は事情あって身体が自由になりません。そこで旅の本を読んだりして心を慰めることが多いのです。中でも好きなのは、昔の歌人の紀行文、そして名所和歌などを集めたアンソロジーです。最近、佐佐木信綱が大正八年に出した『和歌名所めぐり』という面白い本(博文館刊)を入手し、愛読しています。この書のユニークなところは、鉄道の路線別に和歌の名所を部類しているところでしょう。目次は次のようになります。

一 東海道線
二 京都附近
三 伊勢方面
四 大和紀伊方面
五 大阪神戸附近
六 山陽線
七 山陰線
八 四国
九 九州
十 中央線
十一 信越線
十二 北陸線
十三 総武線
十四 常盤線
十五 東北線
十六 磐越線、奥羽線
十七 北海道及樺太
十八 台湾
十九 朝鮮及満洲
二十 支那及印度
二十一 欧米及其他

名所は東京の皇居からアフリカの喜望峰にまで渡ります。万葉歌人から当時の同時代の歌人まで、各時代の名所詠を読み味わいながら、旅した懐かしい風景を思い出したり、未知の土地に想像を巡らしたりします。

同時代の歌人は佐佐木信綱の主宰した歌誌「心の花」の同人に偏りますが、時に白蓮や片山廣子といった名が出てきてはっとさせられるのも、この本の楽しみの一つです。

佐佐木信綱の選から漏れた名歌・秀詠を補いつつ、これまで撮り貯めた写真や、フリー素材の写真と併せ、ブログで「和歌名所めぐり」を連載してみようと思います。

旅のメモ:山の辺の道2010年06月04日

先月下旬、大和路を一人旅し、一日、山の辺の道を初めて歩いてみた。
近鉄天理駅に着いたのは午前十時少し前。観光案内所で詳しい案内図をもらい、出発。既に大半は店開きして賑やかなアーケードを通り抜け、壮大な天理教教会本部を横目に石上神宮を目指す。

石上神宮

十時半、神宮着。時々小雨の降る天気だったが、しっとりと濡れた新緑はかえって美しさが引き立った。
十年ぶりにお参りする石上神宮。
鳥居の手前に柿本人麻呂の歌「をとめらが袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は」を万葉仮名で刻んだ碑がある。「瑞垣」は神社の垣のことだが、元来は上の写真の右側の垣のような苔むした石垣のことを言ったのではないかと思われる。であればこそ「瑞垣の」が「久し」の枕詞たり得る。ところで私のハンドルネームは恥ずかしながらこの歌に由来するのだ。

石上神宮の神鶏

境内には鶏が多数放し飼いされている。神の鳥として大切にされているそうだ。何か由緒があるのかと調べてみたが、よく分からない。誰かの捨てた鶏が野生化しただけだとする説をネットで読んだが、本当だろうか。鶏は元来祭祀のために家畜化された鳥で、日本でも関所などで御祓いのために飼われていたことが知られている。

石上神宮の牛像

神宮の境内から山の辺の道に通じている。その入口の目印になるのが牛の像だ。
大神神社を目指し、南へ下る。やがて果樹園の中を抜ける道となる。ちょうど柑橘類の花が咲いていて、佳い香りがいちめんに漂っていた。池では蛙が鳴き、道端の野茨も満開だ。視界がひらけると、大和三山が望まれる。あいにく靄っていたが。
三十分ほど歩いて峠の茶屋に着く。少し早めの昼食。

山の辺の道

山の辺の道より大和三山を望む

再び出発し、神社や古墳を辿ってゆく。道のほとりには随所に万葉歌を刻んだ石碑があって、長い道のりも飽きることなく歩けた。

棟方志功筆万葉歌碑

なぜか傾いている棟方志功書の歌碑。「あなし河川波たちぬまきむくのゆづきがだけに雲居立てるらし」。
大神神社の摂社、桧原神社に着いたのは午後二時半頃。石上神宮からちょうど10キロメートル程か。
近くに井寺池という池があり、岸辺に歌碑が点在しているというので、一巡りしてみた。中で印象的だったのは川端康成筆の「大和は 国のまほろば」だ。

川端康成書万葉歌碑

たたなづく青垣山を眺めつつ歩いて来た身には、いっそう沁みる歌だ。

井寺池のほとりより三輪山を望む

井寺池のほとりより三輪山を望む。

玄賓庵や狭井神社を経て、午後三時、大神神社着。思ったより早く着いた。というかもっと寄り道してもよかった。天理駅からすると、15キロ程の距離を五時間かけて歩いたことになる。

大神神社