大石田・尾花沢・銀山温泉 ― 2019年02月19日
『和歌名所めぐり』東海道線 目次 ― 2015年02月27日
東京(皇城、東京駅、日比谷公園、銀座、上野公園、浅草公園、隅田川、東京ここかしこ) 池上本門寺 川崎 横浜 杉田梅林 鎌倉(鶴岡八幡宮、長谷大仏、長谷観音、稲村が崎、七里が浜) 腰越 片瀬 江の島 鵠沼 逗子 葉山 金沢 横須賀 浦賀 三浦三崎 茅が崎 平塚 大磯(鴫立沢、淘綾の磯) 小田原(石橋山) 湯河原 伊豆山 熱海 日金山 伊東 下田 伊豆の海(大島、八丈島) 箱根(蘆の湖、箱根路) 足柄山 富士山(富士の裾野) 三島 韮山 三津浜 修善寺 静浦 浮島が原 田子の浦 富士川 岩淵 清見潟(興津) 三保の松原 龍華寺 久能山 静岡(安倍川) 宇津谷峠 大井川 菊川 小夜の中山 天龍川 浜松 浜名湖 引佐細江 蒲郡 岡崎 鳴海 知多半島 桶狭間 熱田神宮 名古屋(中村公園) 瀬戸 犬山 津島 各務が原 金華山 長良川 益田七里 養老の滝 不破の関址 伊吹山 彦根 瀬田の長橋 石山寺 粟津が原 膳所 野路の玉川 大津(大津宮址、長良山、三井寺) 琵琶湖(唐崎、堅田)
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線7 伊豆七島 ― 2015年02月18日
伊豆の海
伊豆の海や沖の波路の朝なぎに遠島きえてたつ霞かな
物もなく沖はれわたる朝なぎになほ霞みけり伊豆の七しま
伊豆の海や入江入江の浪のいろ濁り黄ばみて秋の風吹く
大島
伊豆半島の東方沖にあり。山を三原山といふ、火山なり。
炭やきの翁の小屋に水こひて半はわかぬ物がたりきく
大島や三原の山の麓辺は桜椿のいま盛なり
白煙は渦巻き登るひさかたの天つ日影は光あやふし
火の島のつら〳〵椿つら〳〵に物をぞ思ふ人の子故に
南の孤島の春の磯山にわれ手をとりて脈拍をきく
きさらぎの三原の山の御神火の本土になびく朝ごちの空
花もりの神ここにすみてとことはに椿にほへる大しま島山
うみにそふふもと焼原雨になりて三原の煙ひくく舞ひくだる
船にあまる大帆はなゝめ船なゝめとぶ鳥なして黒潮よぎる
島少女何かかたらふ島つばき花ちるかげに牛をつなぎて
切割のこけの岩みち土の香のしめれる道のひなぎくの花
親しうなりし島の誰彼まさきかれと船に寄りきぬ椿手に〳〵
八丈島
伊豆七島のうちの最南の島。
八丈男子妹がりゆきぬ魚さへも鰭破るとふ荒海月夜
補録
伊豆の海
文永二年の春、伊豆山にまうでて侍りし夜、くもりもはてぬ月いとのどかにて、浦々島々かすめるをみて
さびしさのかぎりとぞ見るわたつ海のとほ島かすむ春の夜の月
となりには初島みえて七島は潮気にくもる伊豆の海ばら
いかばかり心ゆくらむ伊豆の海や浪にうつろふ月の夜ごろは
伊豆の海や見ゆる新島三宅島大島嶺は雲居棚引く
皐月の雲のかげりにうすき藍をひきうすき藍ひき伊豆が崎が見ゆ
伊豆大島
数知らず伊豆の島より流れくる椿の花と見ゆるいさり火
大島はそらになづめりかなたにも夕ベせまれば水くむやをんな
牛ひきてかへる少女に路とひて島の言葉を又おぼえけり
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線2 川崎・横浜 ― 2015年02月13日
川崎
東南二十町に川崎大師あり。
六郷の河原に淡き夢を見る月見草などうらがなしけれ
厄よけに大師詣での帰り道おちゐし胸によき富士を見つ
横浜
横浜に錨おろせるペルリにかはりてよめる
武蔵の海さしいづる月は天飛ぶやかりほるにやに残る影かも
○
船の燈がさぎりの中に語らへる湊の夜こそなまめかしけれ
秋近し野毛山の鐘夜を呼びて港の町はいま燈ともりぬ
三渓園
本牧にあり、原氏の庭園。
渓水の清き岩間ゆさしいづる一枝の梅にまづ春はきぬ
風鐸のひゞく松かげ些かのうれひにつかれ夕月をみぬ
べに芙蓉すがためでたく咲き出でて横笛庵に初秋は来ぬ
丘の上は風たつらしも塔の風鐸の音をわたどのに聞く
まろき山のあららぎ見ればはしけやし大和を思ひ心ときめく
杉田梅林
本牧より浦つゞきにて一里あまりのところ。
朝の風丘びの梅のうれ吹けば梅が香遠く海にかをりぬ
補録
横浜
春の色の海よりのぼるかげろふに半ばそめたる安房の浦なみ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線1 東京 ― 2015年02月12日
一 東海道線
東京
皇城
万代のかげこそこもれ宝田の千代田の宮の松のむら立
桜咲く御国しらすと百敷の千代田の宮に神ながらいます
まかがやく黄金御輦春風にかがやき出でぬ玉敷ける橋
東京駅
東京、東京、幾年われの思へりし都にまづぞ我は着きにける
日比谷公園
喨々と一すぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴の嘴
銀座
ある朝の銀座の街の時計台ものめづらしく仰ぎつつ行けり
上草履午後の休みに出でて踏む銀座通りの春の土かな
上野公園
雨にして上野の山を我が越せば幌のすきまよ花の散るみゆ
動物園のけものの匂ひする中を歩むわが背の秋の日かげよ
上野山下枝を垂れてさく花のおくにどよめく桜人のとも
浅草公園
織るが如き人かげ絶えて浅草の御寺しづかに月さし出でぬ
打水が燈かげに光る仲見世の敷石ふめばさわやぐ心
隅田川
墨田川みのきてくだす筏士にかすむあしたの雨をこそしれ
隅田川花のよどみにうく鳥の桜羽ぎる春のゆふぐれ
すみだ川長き堤も春の日もみじかくなすは桜なりけり
よしきりや列をはなれて小さき帆の綾瀬に折れし昼下りかな
両国橋
光の華み空にみだれ大伝馬、小伝馬、艀、川をうづめぬ
東京こゝかしこ
大門の車庫の広場に品川の鷗の遊ぶ冬のあけぼの
よし町へ銀のたけなが買ひにゆく夜を美しう春の雨ふる
粉雪ふるいかだの上を白鷺がひよい〳〵歩む上木場の堀
霜白し愛宕の塔にぽつかりと朝日はさして夜あけぬるかな
つぎつぎに草の名を問ふ幼子と植物園をたどる春の日
池上本門寺
大森駅の附近、日蓮上人示寂の処。
池上や千部経よむ春卯月霞む野路ゆく人のむれかな
祖師ねぶる池上山のよひ月夜杉の上行く山ほとゝぎす
補録
東京
東北の町よりわれは帰り来てあゝ東京の秋の夜の月
隅田川
我がおもふ人に見せばやもろともにすみだ川原の夕暮の空(藤原俊成)
隅田川堤にたちて舟待てば水上とほく鳴くほととぎす(加藤千蔭)
つくばねの高嶺のみゆき霞みつつ隅田河原に春たちにけり(村田春海)
隅田川なか洲をこゆる潮先にかすみ流れて春雨の降る(井上文雄)
追ひつぎて花もながれむ角田川つつみの桜かげ青みゆく(大国隆正)
永代橋
永き代の橋を行きかふ諸人はおのづからにや姿ゆたけき(田安宗武)
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』―はじめに― ― 2015年02月12日
私は旅が趣味だったと言っても良いくらいの旅好きで、海外旅行の経験は乏しいものの、日本は釧路から西表島まで、全国各地をかなり歩き廻っている方だと思います。しかし、今は事情あって身体が自由になりません。そこで旅の本を読んだりして心を慰めることが多いのです。中でも好きなのは、昔の歌人の紀行文、そして名所和歌などを集めたアンソロジーです。最近、佐佐木信綱が大正八年に出した『和歌名所めぐり』という面白い本(博文館刊)を入手し、愛読しています。この書のユニークなところは、鉄道の路線別に和歌の名所を部類しているところでしょう。目次は次のようになります。
一 東海道線
二 京都附近
三 伊勢方面
四 大和紀伊方面
五 大阪神戸附近
六 山陽線
七 山陰線
八 四国
九 九州
十 中央線
十一 信越線
十二 北陸線
十三 総武線
十四 常盤線
十五 東北線
十六 磐越線、奥羽線
十七 北海道及樺太
十八 台湾
十九 朝鮮及満洲
二十 支那及印度
二十一 欧米及其他
名所は東京の皇居からアフリカの喜望峰にまで渡ります。万葉歌人から当時の同時代の歌人まで、各時代の名所詠を読み味わいながら、旅した懐かしい風景を思い出したり、未知の土地に想像を巡らしたりします。
同時代の歌人は佐佐木信綱の主宰した歌誌「心の花」の同人に偏りますが、時に白蓮や片山廣子といった名が出てきてはっとさせられるのも、この本の楽しみの一つです。
佐佐木信綱の選から漏れた名歌・秀詠を補いつつ、これまで撮り貯めた写真や、フリー素材の写真と併せ、ブログで「和歌名所めぐり」を連載してみようと思います。
旅のメモ:山の辺の道 ― 2010年06月04日
近鉄天理駅に着いたのは午前十時少し前。観光案内所で詳しい案内図をもらい、出発。既に大半は店開きして賑やかなアーケードを通り抜け、壮大な天理教教会本部を横目に石上神宮を目指す。
十時半、神宮着。時々小雨の降る天気だったが、しっとりと濡れた新緑はかえって美しさが引き立った。
鳥居の手前に柿本人麻呂の歌「をとめらが袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は」を万葉仮名で刻んだ碑がある。「瑞垣」は神社の垣のことだが、元来は上の写真の右側の垣のような苔むした石垣のことを言ったのではないかと思われる。であればこそ「瑞垣の」が「久し」の枕詞たり得る。ところで私のハンドルネームは恥ずかしながらこの歌に由来するのだ。
境内には鶏が多数放し飼いされている。神の鳥として大切にされているそうだ。何か由緒があるのかと調べてみたが、よく分からない。誰かの捨てた鶏が野生化しただけだとする説をネットで読んだが、本当だろうか。鶏は元来祭祀のために家畜化された鳥で、日本でも関所などで御祓いのために飼われていたことが知られている。
神宮の境内から山の辺の道に通じている。その入口の目印になるのが牛の像だ。
大神神社を目指し、南へ下る。やがて果樹園の中を抜ける道となる。ちょうど柑橘類の花が咲いていて、佳い香りがいちめんに漂っていた。池では蛙が鳴き、道端の野茨も満開だ。視界がひらけると、大和三山が望まれる。あいにく靄っていたが。
再び出発し、神社や古墳を辿ってゆく。道のほとりには随所に万葉歌を刻んだ石碑があって、長い道のりも飽きることなく歩けた。
なぜか傾いている棟方志功書の歌碑。「あなし河川波たちぬまきむくのゆづきがだけに雲居立てるらし」。
近くに井寺池という池があり、岸辺に歌碑が点在しているというので、一巡りしてみた。中で印象的だったのは川端康成筆の「大和は 国のまほろば」だ。
たたなづく青垣山を眺めつつ歩いて来た身には、いっそう沁みる歌だ。
井寺池のほとりより三輪山を望む。
玄賓庵や狭井神社を経て、午後三時、大神神社着。思ったより早く着いた。というかもっと寄り道してもよかった。天理駅からすると、15キロ程の距離を五時間かけて歩いたことになる。
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