和漢朗詠集卷上 夏 納涼 ― 2010年07月23日
夏日閑避暑
夏の日
池冷水無三伏夏 池冷やかにして水に
松高風有一聲秋 松高うして風に
【通釈】池の冷やかな水には、三伏の夏も存在しない。
松の高い梢を吹く風には、はや秋の声を聞く感がある。
【語釈】◇三伏 立秋前後三十日の盛暑の候。夏至の後、第三の
【補記】題は釈信阿私注による。原詩は散逸か。両句とも句題和歌の題とされている。また謡曲『天鼓』『東北』『西行桜』などに引かれている。
【作者】源英明は宇多天皇の皇子斉世親王の子。菅原道真を母方の祖父にもつ。従四位左近衛中将。生年未詳、天慶二年(939)没。
【影響を受けた和歌の例】
・「池冷水無三伏夏」の句題和歌
・「松高風有一聲秋」の句題和歌
松風のこずゑを渡る一声にまだきも秋のけしきなるかな(藤原隆房『朗詠百首』)
松陰や身にしむ程はなけれども風に先だつ秋の一声(土御門院『土御門院御集』)
いつもきく高嶺の松の声なれど今朝しもいかで身にはしむらん(一色直朝『桂林集』)
わが宿の松なかりせば大空の風を秋とも誰かさだめむ(香川景樹『桂園一枝』)
・その他
まとゐして夕涼みする松陰は梢の風に秋ぞ先だつ(藤原実房『正治初度百首』)
風わたる杜の木陰の夕涼みまだきおとなふ秋の一声(惟明親王『正治初度百首』)
夕暮や松吹く風にさそはれて梢の音に秋は来にけり(藤原忠良『老若五十首歌合』)
夏ふかみ木だかき松の夕涼み梢にこもる秋の一声(後鳥羽院『後鳥羽院御集』)
夏しらぬ池のこころのすずしきに汀の木々もかげひたすなり(伏見院『伏見院御集』)
(2010年7月24日加筆訂正)
雲の記録20100721 ― 2010年07月21日
但能心靜即身涼 ― 2010年07月21日
白氏文集卷十五 苦熱題恆寂師禪室
熱に苦しみ、
人人避暑走如狂 人人
獨有禪師不出房 独り禅師の
不是禅房無熱到
但能心靜即身涼
【通釈】世の人々は暑さを避けて狂ったように家を逃げ出す。
独り禅師のみは房中に籠もったままでいる。
師の禅室にも炎熱が押し寄せないわけではない。
ただ心を静かに澄ませていれば、そのまま身も涼しくなるのである。
【補記】酷暑の候、恒寂師(不詳)の禅室に題した詩。和漢朗詠集の巻上夏「納涼」に第三・四句が引かれている。那波本は第三句「可是…」とし、この場合「
【影響を受けた和歌の例】
我が心しづけき時は吹く風の身にはあらねど涼しかりけり(大江千里『句題和歌』)
心をや御法の水もあらふらむひとりすずしき松のとざしに(慈円『拾玉集』)
嵐山すぎの葉かげのいほりとて夏やはしらぬ心こそすめ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
しづかなる心ぞ夏をへだてけるてる日にもるる宿ならねども(寂身『寂身法師集』)
おのづから心しづけきむろの中は身さへ涼しき夏衣かな(藤原為家『為家集』)
人とはぬ深山の庵のしづけきに夏なきものは心なりけり(一条実経『円明寺関白集』)
雲の記録20100720 ― 2010年07月20日
雲の記録20100719 ― 2010年07月19日
歌枕:いたち川(神奈川県横浜市栄区) ― 2010年07月19日
先週の金曜、横浜市栄区に要あつて出向き、通りかかつた川のほとりに和歌の案内板を見かけた。兼好法師が「いたちがは」の名を各句の頭に詠みこんだ折句歌だといふ。
いかにわが たちにしひより ちりのきて かぜだにねやを はらはざるらん
帰宅して『兼好法師集』を繙くと、次のやうに出てゐた。
さがみの国いたち河といふところにて、このところの名を句の
頭 に据ゑて、旅の心をいかに我がたちにし日より塵のゐて風だに閨を払はざるらん
締め切つた閨には風も吹かず塵が積もつたことだらうと、旅先から洛外の庵を思ひやつた歌。二度目の東下りの際の旅中詠で、相模国では他にこよろぎの磯(大磯市)、金沢(横浜市金沢区)でも歌を残してゐる。
さて《いたち川》は今も同じ名で呼ばれてゐる二級河川で、横浜市栄区を流れて柏尾川に注ぎ、柏尾川は藤沢市で境川に合流して相模湾に至る。「いたち」の字は「㹨」といふ珍しい字を用ゐるのが正式らしい。
川沿ひは緑豊かな遊歩道になつてゐて、木陰が心地よい。高度成長期にはコンクリートの護岸を築いたといふが、水質が悪化したため1980年代に水辺の復元工事を始め、今ではかなり自然が回復してゐる様子だ。都市河川の擬似自然護岸として、海外からも注目されてゐるといふ(参考:ウェブサイト「いたち川」)。
少し上流に溯ると、いたちの親子が遊んでゐた。魚を狙つてゐるのだらうか、ぴくりとも動かない。
「いたち川」の語源は「いでたち川」かといふ(Wikipedia)。栄区は横浜市の南端、鎌倉市と隣接する地で、かつては相模国鎌倉郡に属した。古人はこの川を渡り、鎌倉から各地へ「出で立つ」て行つたのだらう。
兼好の歌以外に詠まれた例は見つからないので、《歌枕》と呼んでよいかにはためらひがある。もう少し探してみるとしよう。
(2012年10月10日加筆訂正)
和歌歳時記:忘れ草 萱草(かんぞう/くわんざう) Daylily ― 2010年07月19日
和歌に「忘れ草」と詠まれてゐるのは、ユリ科の
忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在つて、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌。
漢土で「忘憂草」すなはち「憂ひを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かつた故のやうだが、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでゐる。紐に付けるとは、いはば魂に結びつける擬態だらう。
忘れ草我が下紐に付けたれど
醜 の醜草 言 にしありけり
万葉集巻四、大伴家持。数年間の離絶を経て、再び文通を始めた頃、従妹で将来の妻
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忘れ草の若葉 |
平安時代の歌を見ると、やはり「恋を忘れる草」には違ひないが、少しニュアンスが異つてくる。藤原兼輔の作に、
かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり
とあり、そばに置いて眺めるだけで憂へを忘れる草に変はつてゐるのだ。また同じ頃には住吉の海辺が忘れ草の名所となつてゐて、紀貫之は
道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草
と、長途の旅をも厭はずこの草を摘みに行きたいと歌つた(古今集墨滅歌)。
一般にワスレグサと呼ばれるのは薮萱草で、文字通り薮陰などで野生化してゐるのをよく見かける。黄色の条が入つた色合はなかなか美しいが、重弁で、ちよつとゴテゴテした、くどい感じのする花だ。対して一重の野萱草は涼やかで、見入るうちに本当に憂ひも忘れてしまひさうだ。下に掲げる写真は鎌倉の「萩の寺」として名高い宝戒寺の庭に咲いてゐた野萱草。
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野萱草の花 |
因みに忘れ草と正反対の名を持つ「忘れな草」はヨーロッパ原産のムラサキ科の多年草。淡い青紫色の可憐な花をつけるが、古典和歌には詠まれてゐない。
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『小町集』 小野小町
わすれ草我が身につまんと思ひしは人の心におふるなりけり
『古今集』(題しらず) よみ人しらず
恋ふれども逢ふ夜のなきは忘草夢ぢにさへやおひしげるらむ
『古今集』(詞書略) 素性法師
忘草なにをかたねと思ひしはつれなき人の心なりけり
『古今集』(詞書略) 壬生忠岑
すみよしと海人は告ぐとも長居すな人忘れ草生ふといふなり
『貫之集』(わすれぐさ) 紀貫之
うちしのびいざすみの江に忘れ草忘れし人のまたや摘まぬと
『後撰集』(詞書略) 紀長谷雄
我がためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば
『拾遺集』(詞書略) よみ人しらず
わが宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな
『後拾遺集』(住吉に参りてよみ侍りける) 平棟仲
忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたのよは思ひ出もなし
『金葉集』(恋歌よみけるところにてよめる) 源俊頼
忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきよりおふるなりけり
『拾遺愚草』(恋) 藤原定家
下紐のゆふてもたゆきかひもなし忘るる草を君やつけけん
『夫木和歌抄』(嘉元元年百首、不逢恋) 冷泉為相
下紐につけたる草は名のみして心にかれぬ人の面影
『亜槐集』(切恋) 飛鳥井雅親
つまばやな忘れははてぬ忘れ草やすめて心またつくすとも
『晩花集』(恋の歌とて) 下河辺長流
我がためは摘むも拾ふもしるしなき恋忘れ草恋忘れ貝
『赤光』 斎藤茂吉
『秋天瑠璃』 斎藤史
思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし
雲の記録20100718 ― 2010年07月18日
和歌歳時記:夏雲 Summer cloud ― 2010年07月18日
四時 陶淵明
春水滿四澤 春の水
夏雲多奇峰 夏の雲
秋月揚明輝 秋の月
冬嶺秀孤松 冬の嶺
陶潜作と伝はる詩にあるやうに、夏の季節感を最も際立たせるのが、青空に湧きあがる積雲・積乱雲だ。
『桂園一枝』 夏雲 香川景樹
おほぞらのみどりに靡く白雲のまがはぬ夏に成りにけるかな
梅雨が明けて、紺碧の夏空が広がる。碧が深ければ、雲の白はひときは映える。「白雲の」までの上句は、夏空の叙景であると共に、「まがはぬ」といふ語を導く序詞のはたらきを持つてゐる。
夏の雲と言へば入道雲だが、和歌や誹諧では(おそらく上記陶潜の詩の影響から)「雲の峰」と呼んだ。
『浦のしほ貝』 晩夏雲 熊谷直好
しら雲の峰も崩れて秋風にたなびく空となりにけるかな
芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」を、晩夏の涼感に本句取りした歌。暑い季節は長いが、夏らしい夏は意外なほど短い。輝く白雲を目に焼き付けておかう。
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『玉葉集』(題しらず) 楊梅兼行
夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞすずしき
『権大納言俊光集』(夏雲) 日野俊光
峰たかき山また山と見ゆるまで曇りかさぬる五月雨の雲
『草根集』(夏山雲) 正徹
夕立の晴れぬる山の岩根よりのぼるも消ゆる雲の一むら
『続亜槐集』(夏雲) 飛鳥井雅親
あつき日にしづかにのぼる峰の雲夕だちすべき空ぞ待たるる
『拾塵集』(夏雲) 大内正弘
あつき日にねがひし程は空晴れて月に成行く夕暮の雲
『雪玉集』(夏雲) 三条西実隆
花の色に見しはものかはほととぎす声待つころの峰の白雲
(旅)
夏の日はいく重の雲の峰たかみ行き疲れても暮れがたき空
『逍遥集』(夏暁雲) 松永貞徳
みじか夜のまだ明けぬまに葛城の雲の梯たれわたすらん
『通勝集』(夕立) 中院通勝
一むらの雲の峰より吹きおちて風にぞきほふ夕立の空
『うけらが花』(夏雲) 加藤千蔭
ひとすぢのけぶりと見しも時のまに千さとをわたる夕立の雲
『竹乃里歌』 正岡子規
海原に立つ雲の峰風をなみ群るる白帆の上をはなれず
『夕波』 中河幹子
音のしてたちまち遠き機影追ふみ空はすでに光る夏雲
『月華の節』 馬場あき子
雲の峰まさしく戦後遠けれど母惚けて空襲の日のみ記憶す
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