佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州27 太宰府天満宮 ― 2017年05月03日
太宰府天満宮
二日市駅より北東二十五町。明治維新の際には三条公等五卿のこの地に落ちて延寿王院にあり。(注:福岡県太宰府市。当地に左遷され死去した菅原道真の鎮魂のために建立された。もと安楽寺天満宮。明治維新後は太宰府神社と称したが、敗戦後太宰府天満宮に復す。道真を慕って一夜のうちに京から飛来したという伝承をもつ飛梅が現存。現在は西鉄の太宰府駅が最寄り駅。)
都思ふ夢の中よりあけそめてこころづくしに春はきにけり
この秋も又旅にしてかざしけり仮居の宿の白菊の花
神づかさ鶴に餌をやる夕暮を白梅かをる太宰府の苑
補録
ながされ侍りける時、家の梅の花を見侍りて
こち吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
(注:昌泰四年、大宰権帥に左遷され、家を発つ時の歌として伝承される。この梅がのち大宰府に飛来したと伝わる。)
むかし道方卿に具して筑紫にまかりて安楽寺にまゐりて見侍りける梅の、わが任にまゐりて見ければ、木のすがたはおなじさまにて花の老木にてところどころ咲きたるを見てよめる
神垣に昔わが見し梅の花ともに老木となりにけるかな
(注:長元二年春、父通方は大宰権帥として筑紫に赴任し、十四歳であった経信も同行した。それから六十六年後の嘉保二年七月、経信は父と同じく大宰権帥に任命され、再び筑紫の地を踏む。翌年春、かつて安楽寺で見た梅の花が老木となって咲いているのを見て感慨を催し、詠んだ歌。)
なさけなく折る人つらし我が宿のあるじ忘れぬ梅の立枝を
この歌は、建久二年の春の比、筑紫へまかれりける者の、安楽寺の梅を折りて侍りける夜の夢にみえけるとなん
かをる枝に春を忘れぬ梅の花ふるさと人をあはれとも見よ
底までにきよき心は知らねども照らさむ月の影をこそ待て
(注:「海ならずたたへる水の底までにきよき心は月ぞてらさむ」菅原道真、新古今集)
新刊のお知らせ 式子内親王集関連の本と白蓮の本 ― 2017年05月04日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州28 竃門山 ― 2017年05月07日
竃門山山頂の大岩
補録
竃門山(竈戸山)
福岡県筑紫野市と太宰府市にまたがる山。宝満山・御笠山とも。太宰府天満宮の後方にあたる。山頂に巨石があり、竈門神社の上宮を祀る。古歌では、「かまど」の名に因み煙(雲霧)や火を詠むことが多かった。
筑紫へまかりける時に、かまど山のもとにやどりて侍りけるに、道づらに侍りける木に古く書き付けて侍りける
春はもえ秋はこがるるかまど山
かすみも霧もけぶりとぞ見る
(注:古歌に元輔が付句した連歌)
かまど山雪はひまなくふりしけど火の気をちかみ溜らざりけり
まだ知らぬ人の見るべきしるしにや竈門の山に煙立つらむ
かまど山また夜をこめてふりつもる峰の白雪明けてこそ見め
散るたびに燃えこがれても惜しけきは竈門山なる火桜の花
かまど山といふ山へはるばるとあがるに、社頭あり、一首はしらに書きつけし
ここも又煙を空に竈戸山麓の里も民ぞにぎはふ
たちつづく雲を千里の煙にてにぎはふ民のかまど山かな
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州29 染川 ― 2017年05月10日
補録
染川
太宰府天満宮の南、光明禅寺の前を流れる小川。今は藍染川と呼ばれる。その名により染色の縁で恋歌に詠まれることが多い。歌枕「思ひ川」もこの染川と見る説がある。能「藍染川」のもととなった梅壺侍従の入水・蘇生伝説がある。
染川を渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからむ
筑紫なる思ひそめ川渡りなば水やまさらん淀む時なく
渡りてはあだになるてふ染川の心づくしになりもこそすれ
染川に宿かる波のはやければなき名立つとも今は恨みじ
いさりびの波間分くるに見ゆれども染川渡る蛍なりけり
山風のおろす紅葉のくれなゐをまたいくしほか染川の波
恋ひわびぬ秋も心をつくし路のあひそめ川に身をや捨てまし
こゝも亦都恋しのおもひ川泪の跡を尋ねてぞ来し
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