和歌歳時記:夕立 Summer evening shower ― 2010年07月28日
夕立と言へば普通《夏の夕方の俄雨》を指すが、もとはおそらく動詞「夕立つ」から来た語で、夏に限らず、夕方に強い風が起こつたり、突然雲が現れたりすることを言つたのだと思ふ。神々・精霊の物騒な活動が活発になる夕暮といふ時間帯に対する、古人の不安が籠められた語だ。
炎熱の陽射しも傾いた頃、ふいに一陣の大風が吹き、その風が積乱雲を吹き寄せる。しばらくすると沛然と雨が降り、ぢきに止む。夏はそんなことが多いため、やがて「夕立」だけで夏の夕方の俄雨を言ふやうになつたものであらう。
『新古今集』 題しらず 西行法師
よられつる野もせの草のかげろひてすずしくくもる夕立の空
夕立の雨に先立つ烈風が野の草を乱し、糸を
平安時代には既に「夕立」で雨を指すこともあつたやうだ。しかし西行の歌の「夕立の空」はまだ雨が降つてゐない空、「夕立雨のけしきが現れた空」といふことである。
自然が見せる変化の相を歌人は好んだから、夕立は恰好の歌題であつた。殊に玉葉風雅は夕立詠の秀歌の宝庫である。
まづ玉葉集より何首か。
遠 の空に雲たちのぼり今日しこそ夕立すべきけしきなりけれ 中山家親
山たかみ梢にあらき風たちて谷よりのぼる夕立の雲 西園寺実氏
風はやみ雲の一むら峰こえて山みえそむる夕立のあと 伏見院
夕立の雲まの日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺 藤原定家
暮れかかるとほちの空の夕立に山の端みせて照らす稲妻 世尊寺定成
ついで風雅集より。
衣手にすずしき風をさきだててくもりはじむる夕立の空 宮内卿
松をはらふ風は裾野の草におちて夕だつ雲に雨きほふなり 京極為兼
行きなやみ照る日くるしき山道に濡 るともよしや夕立の雨 徽安門院
虹のたつ麓の杉は雲にきえて峰より晴るる夕立の雨 楊梅俊兼
月うつる真砂 のうへの庭たづみあとまですずし夕立の雨 西園寺実兼
風と雲が劇的な動きを見せ、まもなく激しい雨をもたらすが、やがて嘘みたいに空は晴れわたり、暑熱を洗ひ流したやうな涼しさが残る。自然のドラマティックな変化を短時間のうちに展開し、夕立詠は夏の巻のクライマックスをなす観がある。
もとより夕立は時に雷雨を伴ふ恐ろしい天気でもある。
『常山詠草』 夕立 徳川光圀
夕立の風にきほひて鳴る神のふみとどろかす雲のかけ橋
天を突き刺すやうな入道雲の中に梯子が掛けてあつて、雷神が踏み轟かしながら降りて来る。その響きが、風の音と烈しさを競ひ合つてゐる、といふ。夕立の「
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『万葉集』巻十六 作者未詳
夕立の雨うち降れば春日野の尾花が
『詞花集』(題しらず) 曾禰好忠
川上に夕立すらし
『金葉集』(二条関白の家にて雨後野草といへる事をよめる) 源俊頼
この里も夕立しけり浅茅生に露のすがらぬ草の葉もなし
『新古今集』(雲隔遠望といへる心をよみ侍りける) 源俊頼
とほちには夕立すらし久かたの天の香具山雲がくれゆく
『新古今集』(百首歌の中に) 式子内親王
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしのこゑ
『新古今集』(千五百番歌合に) 西園寺公経
露すがる庭の玉笹うちなびきひとむらすぎぬ夕立の雲
『遠島百首』(夏) 後鳥羽院
夕立の晴れゆく峰の雲間より入日涼しき露の玉笹
『風雅集』(建仁四年百首御歌の中に、夕立) 後鳥羽院
片岡の
『玉葉集』(三十首歌人々にめされし時、遠夕立) 九条左大臣女
夕立のとほちを過ぐる雲の下にふりこぬ雨ぞよそに見えゆく
『嘉元百首』(夕立) 二条為子
やがてまた草葉の露もおきとめず風よりすぐる夕立の空
『新続古今集』(延文百首歌に、夕立を) 二条為明
いとどしくあべの市人さわぐらし坂こえかかる夕立の雲
『風雅集』(野夕立) 惟宗光吉
富士の嶺は晴れゆく空にあらはれて裾野にくだる夕立の雲
『風雅集』(夏歌の中に) 花園院
夕立の雲とびわくる白鷺のつばさにかけて晴るる日のかげ
『光厳院御集』(夕立) 光厳院
吹きすぐる梢の風のひとはらひここまで涼しよその夕立
『草根集』(夕立風) 正徹
吹きしをり野分をならす夕立の風の上なる雲よ木の葉よ
(夕立過山)
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと
(遠夕立)
山づたひ夕立うつる風さきに木の葉も鳥もふかれてぞ行く
『下葉集』(海村夕立) 堯恵
浪の上は
『紅塵灰集』(夕立) 後土御門天皇
鳴神の音はたかをの山ながらあたごの峰にかかる夕立
『正親町院御百首』(夕立) 正親町院
鳴神のただ一とほり一里の風も涼しき夕立のあと
『桂林集』(遠夕立) 一色直朝
すずしさのいま
『後水尾院御集』(晩立) 後水尾院
夏の日のけしきをかへて降る音はあられに似たる夕立の雨
俄にも波をたたへしにはたづみかはくもやすき夕立のあと
常は見ぬ山のみどりに滝落ちて名残もすずし夕立の雨
『倭謌五十人一首』(夕立) 宮川松堅
知る知らず宿りし人のわかれだに言葉のこりて晴るる夕立
『賀茂翁家集』(夕立をよめる) 賀茂真淵
にひた山うき雲さわぐ夕立に利根の川水うはにごりせり
『桂園一枝』(湊夕立) 香川景樹
茜さす日はてりながら
(2010年8月2日加筆訂正)
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