玄海灘とその周辺
多々良川
海辺を多々良浜といふ。元寇十万の兵の押し寄せしところ。(注:福岡市東区。多々良川は古く糟屋川といった。多々良浜は多々良川の西にあった浜。蒙古襲来の時の古戦場であり、また建武三年足利尊氏・菊池武敏の合戦場、永禄十二年毛利・大友両軍の合戦場となった場所。)
大隈言道
多多良川河の洲崎にたたずみて長居の鷺のえもの無げなる
たたら川満ちぬる潮の引きもあへず洲崎にきゐる庭たたきかな
補録
細川幽斎
いにしへはここに鋳物師の跡とめて今もふみみる多々良浜かな
吉井勇
筑紫なる多多羅浜辺に風吹きてわが足跡も消えにけらしも
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