佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州45 長崎 ― 2017年10月30日
長崎の夜景
長崎
南蛮船によりて開かれし港。(注:長崎港は戦国時代に開港、南蛮船が来航した。鎖国政策が取られた江戸時代にも出島が国内唯一の貿易港として栄えた。)
長崎の盆の供養に行きあひぬひとつながさん赤き燈籠
港内船のりゆけば降る雪に薄げはひせる丸山の見ゆ
(注:「薄げはひ」は薄化粧。「丸山」は花街。)
船造るハンマの音も凍るまで長崎の港雪ふりしきる
支那寺の沖見燈籠今はしも術なき人の如くに立てる
流転さすらひ流離の男女片寄せて海に賑ふ長崎の里
蛇をどり興がりて見しそのかみの思ひ出うかぶ諏訪の御社
補録
おほやけごとにて東より長崎の湊にまかりし時、去年の秋かへりし唐船の、又の春来たりければ
行きかへるもろこし船の程なさに猶ふる里の遠きをぞ知る
(注:久世広民は元文から寛政の人。旗本。安永四年(1775)長崎奉行に任じられた。寛政の改革では松平定信に重用される。)
から人も神のみまへの花を見て我が日の本の春や知るらむ
牆屛崩えし唐人屋敷あきの日に夾竹桃の花もゆるなり
おくり いでて かたる ほふし の ゆびさき に みづ とほじろき わうばく の もん
(注:「わうばく」は黄檗宗。長崎市には興福寺・福済寺・崇福寺といった黄檗宗の寺院(唐寺)がある。)
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨
浦上天主堂無元罪サンタマリアの殿堂あるひは単純に御堂とぞいふ
船の往来うちにぎはひていにしへの寂びをもちたり長崎港は
眼鏡橋の石橋桁にまつはれる枸杞の葉までは水もおよばず
オランダ坂のいしだたみ道を登りゆきさくらけ白き春昼に逢ふ
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