佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州46 五島 ― 2017年11月03日
長崎県五島市三井楽町渕ノ元 カトリック墓地
五島
佐世保西方の海上に群列す。(注:五島列島とも。百四十余の島から成る列島。主な島に福江島・奈留島・若松島・中通島・宇久島・久賀島・小値賀島など。長崎・佐世保・博多から船便がある。)
日の本の果の五島一つ消え二つ消えつつ見えず成りにけり
補録
名を頼みちかの島へとこぎくれば今日も船路に暮れぬべきかな
(注:「ちかの島(値嘉島)」は五島列島・平戸島など旧松浦郡の島々の総称。「近」の意を掛ける。)
憶良らの往き来の海を恋ほしめど三井楽までも行くをためらふ
(注:万葉集巻五、山上憶良の「好去好来歌」に「智可能岫」の名が見える。福江島の三井楽湾の岬かという。)
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州47 雲仙 ― 2017年11月07日
川瀬巴水「天草より見たる雲仙」
補録
雲仙
長崎県島原半島にある火山群とその周辺地域の称。普賢岳・国見岳・妙見岳・平成新山などがあり、豊富な温泉に恵まれている。かつては「温泉」と書いて「うんぜん」と読んだ。躑躅の名所。
湯浴みして見るもめづらし湯の峰の高嶺を出づる有明の月
温泉の山のふもとの塩の湯のたゆることなく吾は讃へむ
春雨のおぼろがなかにうす墨のありとはみえて大いなる山
普賢岳は大き岩やま蒼空に押し上りつつその秀尖れり
色ふかくつつじしづるも山の原夏向ふ風の光りつつ来る
(注:「しづる」は「したたり落ちる」意。躑躅の花びらが風にこぼれ散ることをこう言ったか。)
雲仙の地獄のみちの幾曲り無明の橋もわたりけるかも
草谷の朝霧のなかに馬が飲むたまり泉を吾ものみたり
新刊のお知らせ 解註謡曲全集9冊 ― 2017年11月08日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州48 島原 ― 2017年11月09日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州49 壱岐 ― 2017年11月13日
壱岐の猿岩
補録
壱岐
玄界灘にある島。長崎県壱岐市。博多・唐津から船便、長崎から航空便がある。中国の史書に記された「一大国」「一支国」に当るかとされる。万葉集には「由吉能之麻(ゆきのしま)」とあり、以後の和歌でも「ゆきの島」「ゆき島」として多く「行き」または「雪」の意を掛ける。
壱岐の島に到り雪連宅満忽ち鬼病に遇ひて死去せる時に作れる歌
新羅へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも
ゆかしくば行きても見ませゆき島の巌におふる撫子の花
(注:万葉巻十九に「ゆき島の巌におふるなでしこは…」とある。この「ゆき島」は「雪島」すなわち雪景色の庭園の意であろうが、実朝は「壱岐島」と誤解し、この歌を証歌にして「ゆき島」と「なでしこ」を取り合わせたものと思われる。)
ゆきの島行きてみよかし天霧ひ雪と見るまで立てる白浪
はるかなる独り旅路の果てにして壱岐の夜寒に曾良は死にけり
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
(注:『自歌自註』によれば、壱岐島を旅した折の作。壱岐の最高峰丘ノ辻の頂に、この歌を刻した歌碑がある。)
畑まろき壱岐の小島の秋にしてつらつら椿ゆらら八ツ浦
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州50 対馬 ― 2017年11月18日
対馬厳原港
補録
対馬
玄界灘にあり、九州と朝鮮半島の中間あたりに位置する島。『魏志』倭人伝には倭国の一国として「対馬国」が記録されている。古くから大陸との交通の要衝であり、万葉集でも遣新羅使の停泊地として名が見える。平成十六年、全島を市域とする対馬市が発足(長崎県に属する)。博多から壱岐経由の船便があり、また博多・長崎から航空便がある。
三野連入唐する時に春日蔵首老の作る歌
在り嶺よし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね
対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも
対馬島の浅茅の浦に到りて舶泊りする時、順風を得ず、経停すること五箇日なり。ここに、物華を瞻望し、各々慟心を陳べて作る歌
百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり
(注:「浅茅の浦」は浅茅湾の一部、一説に厳原港という。)
対馬にくだりてわが国の方ははるかになりて、新羅の国の山の見えければ
船出せし博多やいづら対馬にはしらぬ新羅の山ぞ見えける
漕ぎ出づる対馬のわたり程とほみ跡こそ霞め壱岐の島松
新羅辺は夕立すらし百船の対馬の根ろゆ雲ゐ立ち来も
見わたせばさも長々し平戸より対馬の沖にわたす白雲
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