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雲の記録200911142009年11月14日

2009年11月14日午後四時半鎌倉二階堂にて

激しい雨音で目が覚める。風も非常に強い。空気はやけに生ぬるい。昼頃には一度日が射したが、すぐにまた雨雲が広がってくる。夕方は恐ろしいばかりに美しい夕焼け。東の空まで紅く染めてしまった。夜はまたひどく美しい星空。上の写真は午後四時半頃の西空。鎌倉市二階堂にて。

2009年11月14日午後3時
午後三時頃、同地にて。雲の底から垂れ下がっているような雲。乳房雲と呼ばれる。大雨や竜巻を引き起こすこともある、恐い雲。

2009年11月14日午後3時
午後四時四十四分。同地にて。

雲の記録200911152009年11月15日

2009年11月15日午後3時45分鎌倉市二階堂
朝は抜けるような青空だったが、昼頃から雲が出始めた。写真は午後3時45分頃、鎌倉市二階堂にて。

雲の記録200911162009年11月16日

2009年11月16日午後2時45分鎌倉市二階堂
午後2時45分頃、羊雲(高積雲)がほぼ全天を覆う。

雲の記録200911182009年11月18日

2009年11月18日8時44分鎌倉市二階堂

夜のうちに雨がやんで、翌朝、雲の動きが慌ただしい。このあと晴天が広がったが、夕方にはまた雲が出て来た。上の写真は午前八時、鎌倉市二階堂にて。下は午後四時、同市岡本にて。

2009年11月14日午後3時

和漢朗詠集卷下 雲2009年11月20日

失題  作者不明

山遠雲埋行客跡  山遠くしては 雲行客(かうかく)の跡を(うづ)
松寒風破旅人夢  松寒くしては 風旅人(りよじん)の夢を破る

【通釈】旅人は山遠く去り、その跡をただ白雲が埋める。
松を吹く風は寒く、野に宿る旅人の夢を破る。

【補記】題も作者も知れない。和漢朗詠集の「雲」の部にあるが、原作は旅の詩であろう。前句後句、共に多くの和歌が本説取りしている。

【影響を受けた和歌の例】
越えわぶる山も幾重になりぬらむ分け行くあとをうづむ白雲(藤原頼実『新勅撰集』)
花にのみなほ分け入れば吉野山また跡うづむ峰のしら雲(宇都宮景綱『新千載集』)
心とはすみはてられぬ奥山にわがあとうづめ八重の白雲(藤原為基『風雅集』)
おのづから都にかよふ夢をさへ又おどろかす峰の松風(近衞基平『続拾遺集』)
三十路よりこの世の夢は破れけり松吹く風やよその夕暮(心敬『権大僧都心敬集』)

【参考】『平家物語』巻第三
山の方の覚束なさに、遥かに分き入り、嶺に攀ぢ、谷に下れども、白雲跡を埋んで、往き来の道もさだかならず。晴嵐夢を破つては、その面影も見えざりけり。

雲の記録200911202009年11月20日

2009年11月20日午後2時鎌倉市二階堂

波状巻積雲。いわゆる鱗雲の一種であるが、このようにすじ状になると、大空に立つさざ波のようだ。

白氏文集卷十四 送王十八歸山寄題仙遊寺2009年11月21日

(わう)十八(じふはち)の山に帰るを送り、仙遊寺(せんゆうじ)に寄題す  白居易

曾於太白峯前住  (かつ)太白峰前(たいはくほうぜん)に住まひ
數到仙遊寺裏來  (しば)しば仙遊寺(せんゆうじ)()(いた)りて(きた)
黒水澄時潭底出  黒水(こくすい)澄める時 潭底(たんてい)()
白雲破處洞門開  白雲(はくうん)破るる(ところ) 洞門(どうもん)(ひら)
林間煖酒燒紅葉  林間(りんかん)に酒を(あたた)めて紅葉(こうえふ)()
石上題詩掃緑苔  石上(せきじやう)に詩を(しる)して緑苔(りよくたい)(はら)
惆悵旧遊無復到  惆悵(ちうちやう)す 旧遊(きういう)()た到る無きを
菊花時節羨君廻  菊花(きくか)の時節 君が(かへ)るを(うらや)

【通釈】かつて太白峰の麓に住み、
しばしば仙遊寺まで出掛けて行ったものだ。
黒水が澄んでいる時は、(ふち)の底まで見え、
白雲のきれ目に、洞穴の門が開いていた。
林の中で、紅葉を焼いて酒を暖め、
石の上に、緑の苔を掃って詩をしるした。
嘆かわしいのは、あの旧遊の地を再び踏めないこと。
菊の咲くこの時節、山に帰る君が羨ましい。

【語釈】◇太白峰 長安西郊の山。◇仙遊寺 長安西郊にある寺。白居易は元和元年(806)地方事務官となった頃、この寺でしばしば遊んだ。◇黒水 渭水に流れ込む川。◇洞門 洞窟の入口。

【補記】山に帰棲する旧友の王十八すなわち王質夫(おうしつぷ)を送り、かつて共に遊んだ仙遊寺に寄せて作った詩。翰林学士として長安に住んでいた頃の作という。和漢朗詠集の「秋興」の部に「林間煖酒」以下の二句が引かれて名高く、謡曲や俳諧など、この句を踏まえた文句はあまた見られる。

【影響を受けた和歌の例】
()(もと)につもる落葉をかきつめて露あたたむる秋のさかづき(藤原良経『秋篠月清集』)
あかなくの色の千しほも染めなすや紅葉のもとの秋のさかづき(中院通村『後十輪院内府集』)
いつかまた酒あたためんこのもとの苔に色づく枝のもみぢ葉(松平定信『三草集』)

【参考】『平家物語』巻第六
残れる枝、散れる木の葉をば掻き集めて、風すさまじかりける朝なれば、縫殿の陣にて、酒煖めてたべける薪にこそしてげれ。(中略)天機殊に御快げに打ち笑ませ給ひて、「林間に酒を煖めて紅葉を焼くと云ふ詩の心をば、さればそれらには誰が教へけるぞや。優しうも、仕つたるものかな」。
『徒然草』五十四段
うれしと思ひて、ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉をたかん人もがな」。

千人万首に清水谷実業をアップ2009年11月22日

千人万首に清水谷実業をアップしました。近世初期の公家歌人です。
三条西家の血をひきますが、西園寺家の一門清水谷家の養子になり、権大納言を勤めました。元禄の内裏歌壇に重きを置いた歌人で、どの歌も腕の冴えを見せ、唸らされるような作品ばかりです。千人万首に採らなかった歌より幾つか。

  落花似雪
散りぬるを嵐の(とが)になしてみん消えだに残れ花のしら雪
  夏山
夕立の雲はふもとの峰こえて照る日かかやく雪の富士の嶺

白氏文集卷二十五 寄殷協律2009年11月22日

殷協律(いんけふりつ)に寄す 白居易

五歳優游同過日  五歳の優游(いういう) (とも)に日を過ごし
一朝消散似浮雲  一朝(いつてう)消散(せうさん)して浮雲(ふうん)に似たり
琴詩酒伴皆抛我  琴詩酒(きんししゆ)(とも) 皆我を(なげう)
雪月花時最憶君  雪月花(せつげつくわ)の時 最も君を(おも)
幾度聽鷄歌白日  幾度(いくたび)(けい)を聴き白日(はくじつ)を歌ひ
亦曾騎馬詠紅裙  ()(かつ)て馬に()紅裙(こうくん)を詠ず
呉娘暮雨蕭蕭曲  呉娘(ごぢやう)暮雨(ぼう)蕭蕭(せうせう)の曲
自別江南更不聞  江南に別れてより更に聞かず

【通釈】五年の間、君と過ごした楽しい日々は、
或る朝、浮雲のように消え散ってしまった。
琴を弾き、詩を詠み、酒を交わした友は、皆私のもとを去り、
雪・月・花の美しい折につけ、最も懐かしく思い出すのは君のことだ。
幾たび「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったろう。
馬にまたがり、紅衣を着た美人を詠じたこともあった。
呉娘の「暮雨蕭々」の曲は
江南に君と別れて以後、二度と聞いていない。

【語釈】◇五歳の優游 五年間楽しく遊んだこと。◇聽鷄歌白日 「黄鷄」を聴き、「白日」を歌う。「黄鷄」「白日」は詩人が杭州にいた頃聞いたという歌の曲名。◇呉娘 「呉姫」とする本も。呉二娘とも呼ばれた、江南の歌姫。「暮雨蕭蕭、郎不歸」(夕暮の雨が蕭々と降り、夫は帰らない)の詞を歌ったという。

【補記】江南の杭州を去った白居易が、杭州時代の部下であった協律郎(儀式の音楽を担当する官職)(いん)氏に寄せた詩。共に江南で過ごした日々を懐かしむ。宝暦元年(825)、五十四歳頃の作。第三・四句を「琴詩酒皆抛我 雪月花時最憶君」として和漢朗詠集巻下「交友」の部に引かれている。この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着した。

【影響を受けた和歌の例】
いくとせのいく万代か君が代に雪月花のともを待ちけん(式子内親王『正治初度百首』)
白妙の色はひとつに身にしめど雪月花のをりふしは見つ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
面影も絶えにし跡もうつり香も月雪花にのこる頃かな(土御門院『御集』)
よしやその月雪花の色もみなあだしうき世のなさけと思へば(伏見院『御集』)
入るを恨み消ゆるを惜しみうつろふを嘆くや同じ心なるらむ(加藤千蔭『うけらが花』)
夕月のかげもひとつにかすみつつ花につづける富士の白雪(松平定信『三草集』)
見れどあかぬ月雪花の三つあひにわが玉の緒は縒りや掛けまし(加納諸平『柿園詠草』)

雲の記録200911232009年11月23日

2009年11月23日午前8時鎌倉市二階堂

昨日は一日寒々とした曇りだったが、今朝になって雲が切れ始めた。このあと快晴となる。