白氏文集卷六十六 尋春題諸家園林 又題一絶 ― 2010年03月30日
春の題を諸家の園林に尋ぬ 白居易
貌隨年老欲何如
興遇春牽尚有餘 興は春に
遙見人家花便入 遥かに
不論貴賤與親疏
【通釈】容貌は齢につれ老いるのも致し方ない。
楽しむ心は春に出遭い、誘い出されてなお余りある。
遥かに人家を眺めて、花が咲いていればただちに歩み入る。
身分が高いか低いか、親しい仲か疎い仲か、そんなことは気にしない。
【補記】馬元調本などでは巻三十三にある。同題の第二首。和漢朗詠集巻上春の部の「花」に第三・四句が引かれている。千里の歌は第三句の、慈円・定家の歌は第三・四句の句題和歌である。
【影響を受けた和歌の例】
よそにても花を哀れと見るからにしらぬ宿にぞまづ入りにける(大江千里『句題和歌』)
あるじをば誰ともわかず春はただ垣根の梅をたづねてぞ見る(藤原敦家『新古今集』)
花を宿のあるじとたのむ春なれば見にくる友をきらふものかは(慈円『拾玉集』)
はるかなる花のあるじの宿とへばゆかりもしらぬ野辺の若草(藤原定家『拾遺愚草員外』)
コメント
_ ぱぐ ― 2010年03月31日 09時05分
_ 水垣 ― 2010年04月01日 02時07分
大江千里は名高い漢学者ですが、残念なことに漢詩文はほとんど残っていなかったと思います。漢詩も寡聞にして私は存じません。
千里の歌は白氏の詩を忠実に、かつ巧みに翻案しているという感じを受けます。対して慈円・定家はかなり遊び心があるというか。新古今時代になると、漢詩の情趣や技巧の取り入れ方も自在になってきたことが感じられます。ただこの詩の影響歌については千里の歌がいちばん良いかもしれませんね。
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大江千里の歌が目立ちますね。
自分でも漢詩を作る人でしたっけ。
うまい具合に翻案しているものだと感心しています。
知らないで読んだらわからないんじゃないかな。