槿花一日自爲榮 ― 2010年07月14日
白氏文集卷十五 放言 其五
放言 其の五 白居易
泰山不要欺毫末
顔子无心羡老彭
松樹千年終是朽
槿花一日自爲榮
何須戀世常憂死 何ぞ
亦莫嫌身漫厭生
生去死來都是幻
幻人哀樂繋何情
【通釈】泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、
顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。
松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、
朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。
されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。
さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。
生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。
幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。
【語釈】◇泰山 五岳の一つ。太山とも書く。崇高壮大なものや大人物の譬えとされる。◇顔子 孔子の高弟、顔回。師より将来を嘱望されたが夭折した。◇老彭 彭祖。殷の時代の仙人で、八百歳の長寿を保ったという。◇槿花
【補記】親友の元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第五首。当時白居易は左遷の地江州へ向かう船中にあったと自ら序に記す。其一は既出。第三・四句が和漢朗詠集巻上秋の「
【影響を受けた和歌の例】
千年ふる松だに朽つる世の中に今日とも知らでたてる我かな(性空上人『新古今集』)
朝顔の暮を待たぬもおなじこと千とせの松に果てしなければ(藤原清輔『久安百首』)
おのづからおのが葉かげにかくろへて秋の日くらす朝がほの花(藤原為家『為家集』)
あだなりや夕陰またず一時をおのが世とみる朝顔の花(橘忠能『難波捨草』)
コメント
_ 1高橋博夫 ― 2010年11月13日 05時02分
_ 水垣久 ― 2010年11月14日 11時41分
小説では朝鮮人の女性が記したとすると、「槿花」はムクゲの花を指したのでしょうね。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamatouta.asablo.jp/blog/2010/07/14/5217514/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
最近のコメント