更新情報:閑居百首2010年12月01日

「藤原定家全歌注釈」に「閑居百首」「治承二年別雷社歌合」をアップしました。当ブログに掲載したのをまとめ、手を加えたものです。

また、今回新たに参考資料集のようなものを作りました。「全歌注釈」の本歌や参考歌は、これまでは「千人万首」やその資料集にリンクしていたのですが、これらの参考資料をひとまとめにしようと作成してみたものです。まだ校正は万全でなく、不統一なところ等もあるかと思いますが、少しずつ訂正してゆくつもりです。

初水仙:草木の記録201012022010年12月02日

スイセンの花 神奈川県鎌倉市

早朝の散歩で道端に水仙の花を見つけた。この冬初めて逢う花だ。

散り紅葉:草木の記録201012032010年12月03日

カエデの紅葉 神奈川県鎌倉市

昨夜から今朝にかけての激しい風雨で、深紅に色づいていた楓の梢の葉はおおかた散ってしまった。

紅葉三題:草木の記録201012042010年12月04日


ハゼノキの紅葉 神奈川県鎌倉市

ご近所の庭のフェニックスに櫨(ハゼノキ)が寄生していた。近辺の櫨はほとんど散ってしまったが、この木だけはまだ紅々としている。

ツタウルシ 神奈川県鎌倉市

山際のコンクリート壁の蔦漆(ツタウルシ)。蔦の葉が掌状に裂けるのに対し、蔦漆の葉はハート型だ。山を歩いていると、大木の幹にまつわりついているのをよく見かける。ウルシの名が付いているだけあって、触るとかぶれるそうだ。

イヌタデの紅葉

犬蓼(イヌタデ)の紅葉。俳句の季語の「蓼紅葉」は多分柳蓼の紅葉を言うのだと思うが、犬蓼の紅葉も捨てたものではない。群落をなしていればもっと見映えがするのだが…。


和歌歳時記:葛紅葉 Autumn tints of kudzu2010年12月05日

クズの黄葉 神奈川県鎌倉市

色づいたとて、誰が葛の葉に目を留めるだらう。しかし古来歌人たちはしばしば歌に詠んで来たし、今も「(くず)紅葉(もみぢ)」は俳句の季語として健在だ。

『万葉集』巻十 作者未詳

(かり)()の寒く鳴きしゆ水茎(みづくき)の岡の葛葉(くずは)は色付きにけり

「雁がひえびえとした声で鳴いてからといふもの、岡の葛の葉の色づきが目立つやうになつた」。
岡の斜面を覆ひ尽くすやうに蔓延つた葛の葉が、いちめん秋の陽射しを受けて黄に輝くさまは、なかなかの壮観だらう。尤も上の歌を詠んだ万葉歌人は、黄葉の美しさを愛でたといふより、季節のうつろひにしみじみとした感慨をおぼえてゐるやうだ。家畜の飼料になる葛の葉を、古人は日ごろ気をつけて見守つてゐたにちがひない。

『古今集』 神の社のあたりをまかりける時に、斎垣(いがき)のうちの紅葉を見てよめる  紀貫之

ちはやぶる神の斎垣(いがき)にはふ(くず)も秋にはあへずうつろひにけり

黄葉した葛 神奈川県鎌倉市
「神社の垣にまつはりつく葛も、秋には堪へ切れずに色を変へてしまつたのだ」。
神社の神聖な垣根に這ふ葛であれば、神の力によつて常緑でありさうなものなのに、秋といふ自然の力には抵抗できずに色を変へてしまつた、といふ。
やはり葛といふ植物に古人が特殊な関心を寄せてゐたことが窺はれる歌だ。根は生薬となり、粉にして料理に用ゐられ、また蔓は布や行李などの日用品に利用された葛は、捨てるところのない有用植物、神の恵みの植物であつた。

『新古今集』 千五百番歌合に  顕昭法師

みづくきの岡の葛葉も色づきて今朝うらがなし秋のはつ風

上掲の万葉集の歌を本歌取りした一首。葛の葉は裏が白く、風に翻るとよく目立つが、その「うら」から「うらがなし」に転じた。ひややかな初秋の風が心の(うら)にまで浸みるやうだ。

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  『万葉集』(寄黄葉) 作者不明
我がやどの葛は日にけにに色づきぬ来まさぬ君は何こころぞも

  『千載集』(野風の心をよめる) 藤原基俊
秋にあへずさこそは葛の色づかめあなうらめしの風のけしきや

  『拾遺愚草』(内裏名所百首 水茎岡) 藤原定家
みづくきの岡の真葛を海人のすむ里のしるべと秋風ぞ吹く

  『秋篠月清集』(西洞隠士百首 秋) 九条良経
霜まよふ庭の葛はら色かへてうらみなれたる風ぞはげしき

  『新撰和歌六帖』(くず) 葉室光俊
うらぶれて物思ひをれば我が宿の垣ほの葛も色づきにけり

  『伏見院御集』(秋) 伏見院
垣ほなる真葛が下葉色かれぬ夜さむもよほす秋風のころ

  『草根集』(葛) 正徹
露霜もあらしに散りて行く秋をうらみたえたる葛の紅葉ば

残菊:草木の記録201012052010年12月05日

白菊は紫に、黄菊は紅に。淡い紫紺色の野紺菊はまだ色褪せていなかった。

白菊 神奈川県鎌倉市

黄菊 神奈川県鎌倉市

野紺菊 神奈川県鎌倉市



白氏文集卷六 東園翫菊2010年12月07日

菊の花 神奈川県鎌倉市

東園(とうゑん)に菊を(ぐわん)す 白居易

少年昨已去  少年(さく)(すで)に去り
芳歳今又闌  芳歳(はうさい)今又(たけなは)なり
如何寂寞意  如何(いかん)寂寞(せきばく)()
復此荒涼園  ()()の荒涼の(ゑん)
園中獨立久  園中に独り立つこと(ひさ)
日淡風露寒  日淡くして風露(ふうろ)寒し
秋蔬盡蕪沒  秋蔬(しうそ)(ことごと)蕪没(ぶぼつ)
好樹亦凋殘  好樹(かうじゆ)()凋残(てうざん)
唯有數叢菊  ()数叢(すうそう)の菊有るのみ
新開籬落閒  新たに籬落(りらく)(かん)(ひら)
携觴聊就酌  (さかづき)(たづさ)へて(いささ)()きて()
爲爾一留連  (なんぢ)が為に(ひと)たび留連(りうれん)
憶我少小日  (おも)ふ我が少小(せうせう)の日
易爲興所牽  興の()く所と為り易し
見酒無時節  酒を見ては時節(じせつ)無く
未飲已欣然  未だ飲まずして(すで)欣然(きんぜん)たり
近從年長來  近ごろ(とし)長じてより(このかた)
漸覺取樂難  (やうや)く楽しみを取ることの(かた)きを(おぼ)
常恐更衰老  常に恐る 更に衰老(すいらう)せんことを
強醉亦無歡  ()ひて()ふも()(くわん)無し
顧謂爾菊花  (かへり)みて()(なんぢ)菊花(きくくわ)
後時何獨鮮  時に(おく)れて何ぞ独り鮮やかなる
誠知不爲我  誠に我が為ならざるを知るも
借爾暫開顏  (なんぢ)を借りて(しばら)く顔を(ひら)かん

【通釈】青春時代は遠く去り、
男盛りの歳も最早過ぎようとしている。
どうしたことか、寂寞の思いが、
この荒れ果てた庭園に来ればよみがえる。
園中にひとり長く佇んでいると、
初冬の日は淡く、風や露が冷え冷えと感じられる。
秋の野菜はことごとく雑草に埋もれ、
立派な樹々もまた枯れ衰えた。
ただ数叢の菊が、
垣根の間に新しい花をつけている。
盃を手に、その前でひとまず酌むと、
菊よ、お前のために一時(いっとき)立ち去れずにいる。
思えば我が若き日々、
何事にもすぐ興味を惹かれたものだ。
酒を見れば、時節も関係なし、
飲まないうちからもう良い気分になっていた。
近頃、年を取ってからというもの、
次第に楽しみを得ることが難しくなってきた気がする。
更に老い衰えることを常に怖れ、
強いて酒に酔ったところで、やはり歓びは無い。
振り返って言う、菊の花よ、
時候に後れて、どうしてお前は独り色鮮やかなのか。
もとより私のためでないことは知っているが、
お前を力に、暫し私も顔をほころばせよう。

【語釈】◇芳歳 男盛りの年齢。◇蕪沒 蕪は荒々しく繁った雑草。その中にまぎれてしまったさま。◇籬落 まがき。

【補記】五言古詩による閑適詩。元和八年(813)、四十二歳の作。「唯有数叢菊、新開籬落間」を題に、慈円・定家・寂身が歌を詠んでいる。

【影響を受けた和歌の例】
しら菊の霜にうつろふませの中に今はことしの花も思はず(慈円『拾玉集』)
咲く花の今はの霜におきとめて残る籬の白菊の色(藤原定家『拾遺愚草員外』)
のこる色は秋なき時のかたみぞと契りし菊もうつろひにけり(寂身『寂身法師集』)

散り紅葉:草木の記録201012082010年12月08日


カエデの紅葉 神奈川県鎌倉市

裏庭の楓の中には葉をほとんど落としてしまった樹もある。今では梢よりも地面の方がにぎやかだ。

庭に散った紅葉 神奈川県鎌倉市

こずゑにはのこる錦もとまりけり庭にぞ秋の色はたちける 式子内親王

冬木立:草木の記録201012102010年12月11日


ハゼノキ 神奈川県鎌倉市

たびたび記録してきた裏山の櫨(ハゼノキ)の大木。葉を落としたあとには、夥しい数の実(蝋が採れる)が残る。


ケヤキ 神奈川県鎌倉市

近所の公園の欅(ケヤキ)。枝を放射状に広げる欅は、冬木立の中でも殊に美しい樹形を見せる。



枯野:草木の記録201012112010年12月11日

浅茅原の枯野 神奈川県鎌倉市

先日まで紅に色づいていた浅茅原も、今朝見に行くとすっかり褪せて、枯野になっていた。