千人万首 松永貞徳 夏 ― 2014年06月28日
夏
郭公一声
みる月のひかりのみかは時鳥きくも千里のひとこゑの空
「千里に広がるのは、眺める月の光だけであろうか。聞く時鳥の一声も、夜空を千里にわたって響くかのようだ」の意であろうか。
「千里」は十五夜の月を詠んだ名句「秦甸の一千余里 凛凛として氷鋪き」(和漢朗詠集・二四〇)に拠ろう。周囲千余里を氷を敷き詰めたように月の光が照らすさま。月光の限りない広がりと比えることで、時鳥の一声が夜空に遥かに響きわたる。典拠の力を借りて誇張的な趣向を詠みおおせた形である。
上二句の文体は定家の「有明の光のみかは秋の夜の月はこの世に猶のこりけり」(拾遺愚草)に学んだようである。
「郭公ノ一声」は鎌倉中期から見られる題。同題で詠んだ「一声の行へしらねば立出でてながむる四方の山ほととぎす」も捨て難い。
水上夏月
むすぶ手にくだくる月も頓てまた円かになれる水の面かな
「掬い取った掌の上で砕ける月の光も、水面ですぐにまた円くなっていることよ」の意。
前歌などは貞徳の歌ではやや異質な部類に入り、おおよそこのように平明な歌の方が多いのである。目の付け方に俳諧的なところが感じられる一首として取り上げた。
「水上ノ夏ノ月」は平安末期から見られる題。夏の季感は「むすぶ手」のみに掛かっている。
(2014.6.29改訂)
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