佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面4 東大寺 ― 2015年03月21日
三月堂
奈良第一の古建築。
いにしへの巨き匠の霊ごもる執金剛を見ればたふとし
二月堂
踏み踏みてくぼめる石のきだはしを吾もふみゆく二月堂へと
天平のかをりゆかしく袖にしめて秘仏ををがむ春二月堂
東大寺
東大寺仁王の門を静かなるうす墨色にぬらす秋雨
大仏殿
東大寺の本堂、五丈三尺の大仏を安置す。
天平の帝のみ眼にゑがかせる其日おもひつ大き御仏
供養をへて吾が大仏を仰ぎ見し仏師のまみに満ちけむ涙
旅人の五人六たり春の日は大仏殿のいらかにぞさす
正倉院
大仏殿の北西に接せり。
さく花のさかえし御代を物語るこれのみ倉の尊く嬉しき
補録
三月堂
びしやもん の おもき かかと に まろび ふす おに の もだえ も ちとせ へ に けむ
東大寺
ひむがし の やまべ を けづり やま を さへ しぬぎて たてし これ の おほてら
大仏殿
おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて おほきほとけ は あまたらしたり
あまたたび この ひろまへ に めぐり きて たちたる われ ぞ しる や みほとけ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面3 高円~手向山 ― 2015年03月20日
高円
春日山の南。
(水垣注:高円は上代には「たかまと」と言ったらしい。)
宮人の袖つけごろも秋萩ににほひよろしき高円の宮
秋風は日毎に吹きぬ高まとの野辺の秋萩ちらまく惜しも
嫩草山
東大寺の東にあり。
なめらかさ油のやうな雨がふるうまし少女の若草山に
恋ひ恋ひし若草山の上に立てば春のゆふ日に涙こぼるゝ
幼子をともなひつれて春風の若くさ山にのぼりけるかな
手向山
手向山神社あり。
この度は幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに
今ぞ知る手向の山はもみぢ葉の幣と散りかふ名にこそ有けれ
染めもあへず時雨るゝままに手向山紅葉をぬさと秋風ぞ吹く
補録
高円
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
猟高の高円山を高みかも出で来る月の遅く照るらむ
天雲に雁ぞ鳴くなる高円の萩の下葉はもみちあへむかも
高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも
高円の尾上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや
(「尾上の宮」は高円山にあった聖武天皇の離宮。)
夕されば衣手寒し高円の山の木ごとに雪ぞ降りける
しきしまや高円山の雲間より光さしそふ弓はりの月
高円の野ぢの篠原すゑさわぎそそや木枯けふ吹きぬなり
里は荒れぬ尾上の宮のおのづから待ちこし宵も昔なりけり
嫩草山
下もえのわか草山の雪どけにそれも見え行く谷のむもれ木
今日は又春雨ふりぬ春日野や若草山の同じみどりに
見れど飽かぬ嫩草山に夕霧のほのぼのにほふくさ萩の花
手向山
もみぢ葉を風にまかする手向山ぬさもとりあへず秋はいぬめり
いざさらば花のぬさをや手向山もみぢにあける神の心に
とりあへず紅葉をぬさと手向山神のこころを神やうけけむ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面2 春日 ― 2015年03月19日
春日神社
春日山の麓にあり。
藤の花なびきて匂ふ朱の廊に日傘して入る春日少女ら
馬酔木など媚ぶるがごとくほの匂ふ春日の杜の春の夕ぐれ
いくさ神武甕槌も白藤の春日にませばみやび男さびて
笏拍子梅がえうたふ宮つこの白きひげ吹く初春の風
奈良の鹿は優しき目して物古りし燈籠のかげに吾を見まもる
春日野
春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日ありて若菜つみてん
春日野の雪間を分けて生ひ出くる草のはつかに見えし君はも
春日野に若菜を摘めば我ながら昔の人の心地こそすれ
春日野や小鹿むれゆく曙を杉の若葉に小雨そぼふる
鹿守が鳴らすラツパの声ひゞき馬酔木の陰はくれそめにけり
鹿のむれ秋の暮るゝも知らであり枯草原をと行きかく行き
餌を乞ふとまつはる鹿を恐れつゝ杉の木かげを吾子は動かず
春日山
奈良市の東方に聳ゆ。
雨ごもり心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり
我が行くは憶良の家にあらじかとふと思ひけり春日の月夜
春日山小鹿のむらとわがそでに美しくちる山桜かな
補録
春日神社
めづらしき今日の春日の八乙女を神もうれしとしのばざらめや
春日山しづかなる世の春にあひて花さくころの宮めぐりかな
春日野
春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春野のうはぎ摘みて煮らしも
春日野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり
春日野の若紫の摺り衣しのぶの乱れかぎり知られず
春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ
春日野の下もえわたる草の上につれなく見ゆる春のあは雪
かすがの に おし てる つき の ほがらか に あき の ゆふべ と なり に ける かも
春日山
今朝の朝明雁がね聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜に独りかも寝む
春立つとききつるからに春日山きえあへぬ雪の花と見ゆらむ
三笠山
あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
いづこにもふりさけ今やみかさ山もろこしかけて出づる月かげ
「美しい江戸かるたと読む百人一首」を改訂しました ― 2015年03月18日
昨年末に出版しました『美しい江戸かるたと読む百人一首』を改訂しましたのでお知らせ申し上げます。旧版ではサンプルが目次だけになってしまっていたので、それを避けることが改訂の第一の理由なのですが、ついでに、くずし字と翻刻原文の比較がより容易になるようにするなど、工夫を加えました。
改訂版をダウンロードするには、Amazonのトップページで、検索窓の右にある「アカウントサービス」にマウスを合わせ、「コンテンツと端末の管理」を撰択して下さい。ライブラリが表示されますので、「美しい江戸かるたと…」を探して下さい。アクションのうちアップデート版をダウンロードする選択肢がありますので、クリックして下さい。お持ちの端末に改訂版がダウンロードされ、旧版と入れ替わります。
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面1 奈良 ― 2015年03月18日
(写真は復原された平城宮朱雀門。Railstation.netより転載)
大和紀伊方面
奈良
あをによし奈良の都は咲く花の匂ふが如く今さかりなり
白がねの目貫の太刀をさげはきて奈良の都をねるは誰が子ぞ
余りたる餌をかひとれば夕ぐれの旅人われによりくる四五匹
奈良人形夜寒の店の電燈にかがやく箔のみやびたるかな
陽を浴びて落葉の庭にさびれ立つわが大寺のいたましき秋
幾千年かくて黙して大寺の滅びむ果の秋の日を思ふ
奈良の秋落葉しげきにとほつ代のをとめもかくや物を思ひし
猿沢池
奈良の東方九町。
我妹子がねくたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき
猿沢の池の青柳少女さび遠つ采女のすがたおもほゆ
補録
奈良
沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも
ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり
奈良の京にまかれりける時に、やどれりける所にてよめる
み吉野の山の白雪つもるらし古里さむくなりまさるなり
大和に侍りける母みまかりてのち、かの国へまかるとて
ひとりゆくことこそ憂けれふるさとの奈良のならびて見し人もなみ
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな
いにしへの幾世の花に春暮れて奈良の都のうつろひにけむ
いにしへをみきのつかさの袖の香や奈良の都にのこる橘
猿沢池
猿沢の池もつらしなわぎもこが玉藻かづかば水もひなまし
猿沢の玉藻の水に月さえて池にむかしの影ぞうつれる
底ふかき思ひやのこる猿沢の池のほたるの玉藻がくれに
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面目次 ― 2015年03月16日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面5 二見潟~尾鷲 ― 2015年03月16日
二見潟
内宮より鳥羽にむかふ途にあり。
あかぬかなあけくれ見れど玉くしげ二見の浦の松の村立
二見潟こち吹く風に明けそめて神代ながらの春は来にけり
二見がた神代おぼゆる寝ざめかな浦ふく風に千鳥声して
二見潟うららに明けて浜松のかげふむ道によする白波
わたつ海吾立つ前にざざんざととよめきてあり伊勢はよき国
鳥羽
志摩国の要津。全面に答志島等の諸島あり。
鳥羽の海夕べの磯の風凪ぎてためらふ如し白帆三つ四つ
貝細工ひさぐ小店の立並ぶ港の町につよき春の日
志摩の国鳥羽の港のありあけに小舟やりけれおぼろおぼろと
多徳島
御木本真珠養殖場あり。
真珠生む多徳の島の春風は英虞の少女のぬれし髪ふく
丘の上の風見動かず鏡なす入江のどかに蝶一つとぶ
湯あみよしと貝が音ふけばをち方の島の島守舟こぎ来る
志摩めぐり
水桶を頭にのせし少女ゆく煙草の花に小雨ふる岡
英虞の海入江暮れたる夕もやに声よき海士がおし送り唄
南風吹けば熊野より来るこま島のこゑうつくしき山吹の渓
尾鷲
紀州東端の海港。今三重県に属す。
雨くらき松原道のくだり坂ゆくてあかるく波のよる見る
補録
二見潟
あけがたき二見の浦による浪の袖のみ濡れておきつ島人
玉くしげ二見の浦の貝しげみ蒔絵にみゆる松のむらだち
思ひきや二見の浦の月をみて明け暮れ袖に浪かけんとは
ますかがみ二見の浦にみがかれて神風きよき夏の夜の月
二見がた月をもみがけ伊勢の海の清きなぎさの春の名残に
二見潟うらの島々明くる夜のとほき塩屋は春ぞさびしき
赤根さす日影とふじの白雪と二見のうらの朝明のそら
鳥羽
嗚呼見の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか
(「鳴呼見の浦」は鳥羽湾内の入海という)
少女子の櫛笥の中を見るごとく小船のならぶ鳥羽の川かな
志摩
釧つく答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
(「答志の崎」は志摩半島の崎)
秋凪ぎの英虞の海庭漕ぎ廻みていにしへいまの時もわかなく
(伊勢方面おわり)
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面4 伊勢神宮 ― 2015年03月16日
外宮
高倉山の麓に鎮坐ませり。山田駅より五町。
かけまくもかしこき豊の宮柱なほき心は空にしるらむ
何事のおはしますかは知らねども忝さに涙こぼるる
君が代は濁りもあらじ高倉や麓に見ゆる忍穂井の水
古市
山田の東に連る。
絵雪燈灯火にほふ伊勢音頭我も昔の人ごこちして
あかね染こさめの伊勢の古市の家ののれんはいと静かなる
宇治橋
五十鈴川(又みもすそ川)の内宮参拝路に架せり。
君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまん限は
もや深き神の宇治橋とどろとどろふみならしゆく朝まうで人
神宮
外宮に対して内宮ともいふ、天照大神を祀る。神路山の麓に鎮坐ませり。
五十鈴川高萱葺けるみあらかに神代の手ぶりいちじるきかも
いすず川新たにうつる神垣や年ふる杉の蔭はかはらず
度会の宮路にたてる五百枝杉影踏むほどは神代なりけり
神のます五十鈴の川の末遠く流れてたえぬ君が御代かな
神路山神杉かげのもや分けて神代覚ゆる朝詣かも
清らなる神の御園の静けさに此身神代にある心地する
神さぶる杉のしづ枝ゆ散る露をめぐみの露とうけてかしこむ
かげ深き大杉のもとにひざまづき小さき吾らいのりささげぬ
補録
外宮
聞かずともここをせにせんほととぎす山田の原の杉のむら立
契りありてけふ宮川のゆふかづら永き世までもかけてたのまむ
神風や山田の原の榊葉に心のしめをかけぬ日ぞなき
わたらひの大河水をむすびあげて心も清くおもほゆるかも
神宮
君が代は久しかるべしわたらひや五十鈴の川の流れ絶えせで
神風や五十鈴の川の宮柱いく千世すめとたてはじめけん
高野山を住みうかれてのち、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡を思ひてよみ侍りける
深く入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風
立ちかへる世と思はばや神風やみもすそ川のすゑの白波
神風や朝日の宮のみやうつしかげのどかなる世にこそありけれ
勅として祈るしるしの神風によせくる浪はかつくだけつつ
照らしみよ御裳濯川にすむ月もにごらぬ波の底の心を
五十鈴川その人なみにかけずともただよふ水のあはれとは見よ
我が上に月日はてらせ神路山あふぐ心にわたくしはなし
紫も朱の衣もはえはあれど清き神路の山あゐの袖
五十鈴川すずしき音になりぬなり日もゆふしでにかかる白浪
みづえさす桂の大木陰すずし夏はいつきの宮の朝風
ひらけゆくわが大御世も久方の天の岩戸の光なるらむ
かしこきや神の白丁は真さやけき御裳濯川に水は汲ますも
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面3 津~山室山 ― 2015年03月15日
(写真は松阪市の本居宣長旧宅。Railstation.netより転載)
藤堂氏の旧城下、伊勢湾に臨めり。 にえ崎の浦の汐風さえさえて朝霜白き安濃の板橋 安濃の津をさしてまともにくる船の贄の岬に真帆の綱解く 津附近の海岸。 沖つ波たちゐにつれて幾たびか阿漕がうらにふるしぐれ哉 本居宣長の住りし地。翁の旧棲鈴屋は今松坂公園にあり。 小草もゆる下樋小川の堤道昔ながらの川上の山 ところせきここに筆とり畏こきや古ことをしも明らめましき 松坂の西南一里三十町にして山室山妙楽寺あり。その上に本居宣長の墓あり。 山室に千年の春の宿しめて風に知られぬ花をこそ見め なきがらはいづくの土になりぬとも魂は翁のもとにゆかなむ 宿しめて風にしられぬ花を今も見つゝますらむ山むろの山 おくれても生れし我か同じ世にあらば履をもとらまし翁に 雲井よりうつる日影に山室のさくらの紅葉てりまさりつつ 塩木つむ阿漕が浦のあまの袖くれもほしあへず秋の夕暮 忘れずよ旅をかさねて塩木つむあこぎが浦になれし月影 (水垣注:松阪は古くは松坂と書くことが多かった。) 勢州松坂の閭亭に古松有り、いつよりのならはしにか、とみ松といふをつたへ聞きて 千とせにもむべとみ草の名をかりて花に咲くべき里の松かげ よいの森木高き影に里人の家居もしげく今ぞ栄ゆく津
阿漕が浦
松坂
山室山
補録
阿漕が浦
松坂
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面2 湯の山温泉~鈴鹿 ― 2015年03月14日
(写真は湯の山温泉)
湯の山温泉
また菰野温泉といふ、四日市より四里、軽便鉄道あり。
峡ゆ見る伊勢の海原きはやかにはれ居り山は吹雪する中に
千人をものすてふ岩に一人ゐて玉と砕くる渓の水見る
能褒野
加佐登亀山の中間。日本武尊東征の帰途此地にて薨去せらる。
白鳥のかげこそみえね御つるぎのさやかに跡は残りけるかな
東夷うちなびけんと太刀はきて野こえ山こえ征きましゝ皇子
山辺御井
鈴鹿河畔、加佐登附近にあり。
山辺の御井を見がてり神風の伊勢少女どもあひ見つるかも
雲雀うたふ麦畑こえて山の辺の御井の跡とふ初夏の頃
鈴鹿
大和より伊勢に通ふ通路は鈴鹿川に添へり。峠を鈴鹿峠といふ。
鈴鹿川八十瀬渡りて誰ゆゑか夜越にこえむ妹もあらなくに
下紅葉いろいろになる鈴鹿山時雨のいたくふればなるべし
五月雨の日をふるまゝに鈴鹿川八十瀬の浪ぞ音増りける
鈴鹿川憂世をよそにふり捨てていかに成行くわが身なるらむ
鈴鹿山雲も関路にかゝりけりしぐれぬ先にいかでこえまし
以下亀山より分岐する参宮鉄道によりて南す。
補録
湯の山温泉
春老いては鏡にもらす歌ぞ多き二十なりける湯の山の宿
能褒野
能煩野に到りませる時に、国思はして歌ひたまはく
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
鈴鹿
世にふればまたも越えけり鈴鹿山むかしの今になるにやあるらむ
えぞ過ぎぬこれや鈴鹿の関ならむふりすてがたき花の陰かな
鈴鹿川波と花との道すがら八十瀬をわけし春は忘れず
鈴鹿川ふかき木の葉に日数へて山田の原の時雨をぞきく
鈴鹿川八十瀬の波はわけもせでわたらぬ袖のぬるる頃かな
雨にとくなりぬるものを鈴鹿山霧の降るのと思ひけるかな









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