白氏文集卷十 孟夏思渭村舊居、寄舍弟 ― 2010年06月02日
孟夏、
嘖嘖雀引雛
稍稍笋成竹
時物感人情
憶我故園曲 我が故園の
故園渭水上 故園は
十載事樵牧
手種楡柳成 手づから
陰陰覆牆屋 陰陰として
兔隱豆苗大
鳥鳴桑椹熟 鳥は
前年當此時 前年此の時に当たりては
與爾同游矚
詩書課弟姪 詩書
農圃資僮僕
日暮麥登場 日暮るれば
天晴蠶坼簇 天晴るれば
弄泉南澗坐 泉を
待月東亭宿 月を待ちて
興發飲數盃
悶來碁一局
一朝忽分散
萬里仍羈束 万里
井鮒思返泉 井の
籠鶯悔出谷
九江地卑濕
四月天炎燠 四月の天
苦雨初入梅
瘴雲稍含毒
泥秧水畦稻 泥は
灰種畬田粟 灰は
已訝殊歳時
仍嗟異風俗
閑登郡樓望
日落江山綠 日は落ちて
歸雁拂鄉心 帰雁は
平湖斷人目 平湖は
殊方我漂泊
舊里君幽獨 旧里に君は
何時同一瓢
飲水心亦足 水を飲むも心
【通釈】やかましく鳴きながら雀は雛を連れて回り、
だんだんと竹の子は育って竹となった。
季節の風物は人の心を揺り動かし、
わが故郷の隅々を懐かしく思い出させる。
故郷と言うのは渭水のほとり、
この十年はもっぱら薪取りと牧畜を業とした。
手植えの楡や柳が成長して、
家屋をすっぽり陰で覆うほどになっていた。
菟は大きく育った豆の苗に隠れ、
鳥は熟した桑の実をついばんで鳴いていた。
先年のちょうど今頃は、
弟よ、おまえと一緒にあちこち遊び歩いたものだ。
詩経と書経を親戚の少年たちに教え、
田と畑で童僕らを働かせた。
日が暮れれば麦を広場に集め、
空が晴れれば蚕を
泉を眺めつつ南の谷川に座を設けたり、
月を待って東の
興が乗れば酒を飲むこと数杯、
気がふさげば碁をうつこと一局。
ところが或る朝、突然別れ別れになり、
万里を隔て、私は今も拘束された身だ。
井の中の鮒は泉に帰りたいと願い、
籠の中の鶯は谷を出たことを悔いる。
ここ九江は土地が低く湿っぽく、
初夏四月の天は既に炎暑だ。
重苦しい雨はとうとう梅雨に入り、
熱気を帯びた雲は少しずつ毒を含むようになる。
水田の泥の中に稲が植えられ、
焼畑の灰の中に粟が植えられている。
やはり南国は季節を異にするのかと疑い、
しかも風習が故郷と異なるのを嘆く。
閑な折、郡役所の楼に登って眺めると、
日は落ちて川も山も緑一色。
帰雁は郷愁の念を起こさせるが、
平かな湖水が私の目の前に立ちふさがっている。
異国に私はさすらい、
故郷に君はひとりぼっちだ。
いつの日か一つの
水を飲み交わすだけで心は満ち足りるだろう。
【語釈】◇嘖嘖 やかましいさま。◇稍稍 草木が次第に成長するさま。◇故園曲 「曲」は入り組んだ地形のすみずみ。◇坼簇 上蔟、すなわち熟蚕を集めて蔟(まぶし)に移すこと。「簇」を蔟とする本もある。蔟は蚕を移し入れて繭を作らせるためのもの。藁などで作る。◇九江 白居易の左降地、潯陽の別名。◇炎燠 炎暑。「燠」は暑い意。◇苦雨 長雨。◇入梅 梅雨、すなわち梅の実を熟させる長雨の季節に入る。◇瘴雲 「瘴」は炎暑の地に生じ、熱病などのもとになると考えられた気。◇拂鄉心 この「拂」は《ふるい起こす》といった意。◇瓢 ひょうたんの果実で作った器。飲み水や酒を入れる。
【補記】五言古詩による感傷詩。孟夏すなわち初夏陰暦四月、渭村の旧居を思い、弟に贈ったという。渭村(今の陝西省渭南市北)は白居易の家族が住んでいたところで、元和六年(811)母が亡くなった折、白居易はここに帰り、三年間喪に服していた。その後、江州司馬に左降されていた頃に作った詩である。第二句「稍稍笋成竹」、及び第二十七句「苦雨初入梅」の句題和歌がある。
【影響を受けた和歌の例】
・「稍稍(梢梢)筍成竹」の句題和歌
いつのまに根はふと見えし竹の子の梢におよぶ影と成るらん(三条西実隆『雪玉集』)
いつのまに憂き節しげくなりぬらむ竹のこのよはかくこそありけれ(香川景樹『桂園一枝』)
・「苦雨初入梅」の句題和歌
晴れぬ間をいかにしのばむ降りそむる今日だに木々のさみだれの宿(三条西実隆『雪玉集』)
軒くらく木々の雫のをやまぬは憂しや今日より五月雨の空(小沢蘆庵『六帖詠草』)
卯の花をくたすながめのさながらにいぶせさ添はる五月雨の空(橘千蔭『うけらが花』)
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