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雲の記録201006172010年06月17日

2010年6月17日午前4時18分鎌倉市二階堂

朝焼。午前4時18分。

白氏文集卷十七 東牆夜合樹去秋爲風雨所摧、今年花時、悵然有感2010年06月17日

合歓の花

東牆(とうしやう)夜合樹(やがふじゆ)去秋(きよしう)風雨(ふうう)(くだ)く所と為る。今年(こんねん)花時(くわじ)悵然(ちやうぜん)として感有り 白居易

碧荑紅縷今何在  碧荑(へきてい)紅縷(こうる)(いづ)くに()りや
風雨飄將去不迴  風雨(ふうう)飄将(へうしやう)し去つて(かへ)らず
惆悵去年牆下地  惆悵(ちうちやう)す去年牆下(しやうか)の地
今春唯有薺花開  今春(こんしゆん)()薺花(せいくわ)(ひら)く有るのみ

【通釈】碧い芽、紅い糸の合歓の花はどこに行ってしまったのか。
風雨に舞い上がり、去ったきり戻らない。
私は嘆き悲しむ。去年、垣根のほとりの地にあったのに
今年の春、そこにはただ(なずな)の花が咲いているばかり。

【語釈】◇夜合樹 合歓(ねむ)の木。夜に葉が重なり合うために「夜合樹」の名がある。初夏に赤い糸状の花をつける。◇碧荑 荑は茅花(つばな)であるが、ここは花芽をこう言ったか。合歓木の花芽は緑色である。◇飄將 ひるがえす。舞い上げる。「將」は飄の接尾辞で当時の俗語という。◇薺花 ナズナの花。春から初夏にかけて花をつける。

【補記】前年の秋の風雨に折れた合歓木。花の季節を迎えてその不在を悲しんだ詩である。芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」はこの詩を踏まえたものとする説がある。但し直接的には木下長嘯子の歌(下記引用歌)から影響を受けた可能性もある。

【影響を受けた和歌の例】
古郷のまがきは野らとひろく荒れてつむ人なしになづな花さく(木下長嘯子『挙白集』)