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雲の記録201006032010年06月03日

2010年6月3日午後6時28分

夕焼け雲。午後六時半、鎌倉にて。

白氏文集卷十五 放言 其一2010年06月03日

蓮の葉の露

放言 其の一   白居易

朝眞暮僞何人辨  朝真(てうしん)暮偽(ぼぎ) 何人(なんびと)(べん)ぜん
古往今來底事無  古往(こわう)今来(きんらい) 底事(なにごと)か無からん
但愛臧生能詐聖  ()だ愛す 臧生(ざうせい)()(せい)(いつは)るを
可知甯子解佯愚  知る()甯子(ねいし)()()(いつは)るを
草螢有耀終非火  草蛍(さうけい)耀(ひか)り有れども(つひ)に火に(あら)
荷露雖團豈是珠  荷露(かろ)(まどか)なりと(いへど)()()(たま)ならんや
不取燔柴兼照乘  取らず 燔柴(はんさい)照乗(せうじよう)
可憐光彩亦何殊  (あはれ)()光彩(くわうさい)()た何ぞ(こと)ならん

【通釈】朝と夕で真実と虚偽が入れ替わる。誰が真偽を弁別できよう。
昔から今に到るまで、そうでなかった(ためし)などあろうか。
ただ、臧の丈人が聖王を煙に巻いたのは愛すべきことであるし、
また甯武子が非道の世に愚者を装ったのも感じ入るところだ。
草葉の蛍は光り輝いても、所詮真の火ではない。
蓮の葉の露は丸いと言っても、どうしてこれが本当の珠だろうか。
燔祭の炎も、照乗の珠も、私は取らない。
ああ、それらの美しい輝きも、蛍の火や蓮の葉の露と何の異なるところがあろう。

【語釈】◇朝眞暮僞 真と偽の見分け難いことを言う。◇底事無 この「底」は疑問や反語をあらわす副詞。ここは反語で、《どうして無いことがあろう、いやいつでもあったのだ》といった意になる。◇臧生能詐聖 「臧生」は『荘子』外篇「田子方篇」に見える臧の丈人。周の文王より師と仰がれ、無為自然の政治を尋ねられると、文王を煙に巻いて消息を絶った。「詐聖」はそのことを言う。◇甯子解佯愚 「甯子」は『論語』公治長篇に見える「甯武子(ねいぶし)」。「邦に道あれば則ち知、邦に道なければ則ち愚」(国に道が行われている時は智者で、行われていない時は愚者を装った)。◇荷露 「荷」は蓮の葉。◇燔柴 柴を敷いた上に犧牲を置き、燃やして神に捧げる儀式。◇照乘 照車とも。前後十二台の車を明るく照らしたという珠玉。『史記』などに見える。◇可憐 ここは歎息の心であろう。

【補記】元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第一首。当時白居易は左遷の地江州へ向かう船中にあったと自ら序に記す。正義を求めた上訴を理由に、自身を左遷した朝廷に対する批判を籠めた詩である。元和十年(815)の作であろう。
露を珠に喩えたのはこの詩に限らないが、遍昭の歌はおそらく法華経湧出品と掲出詩を踏まえたものであろう。「荷露似珠」「荷露成珠」などの題で詠まれた和歌には、直接的・間接的に掲出詩を踏まえたと思われるものが多い。また「草蛍」などの題で詠まれた歌にも掲出詩の「草螢有耀終非火」の句の影響が窺える。『伊勢物語』の歌(新古今集では在原業平作)の類似は或いは偶然かも知れないが、当時流行した《まぎらわしさ》の趣向が漢詩の影響下にあることは間違いない。

【影響を受けた和歌の例】
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(遍昭『古今集』)
はるる夜の星か川辺の蛍かも我がすむかたに海人のたく火か(『伊勢物語』)
難波江の草葉にすだく蛍をば蘆間の舟のかがりとやみん(藤原公実『堀河百首』)
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影(源実朝『金槐和歌集』)
蛍ゐる蓮の上のしら露や色をかへたる玉みがくらん(正徹『草根集』)
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん(小沢蘆庵『六帖詠草』)

和歌歳時記:蓮葉(はちすば) Lotus leaf2010年06月03日

蓮の葉と露 鶴岡八幡宮にて

初夏、大きな葉を池に浮かせ始めた蓮は、やがて水面から茎を高く差し伸ばす。径40センチほどにもなる葉はよく水を弾き、表面に置いた水滴を風にころがす。

『古今集』 はちすの露をみてよめる  僧正遍昭

はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく

「はちす」は(はす)の古名。種子の入つた花托が蜂の巣のやうに見えるゆゑの称だ。
沼や湿田に育ち、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる蓮。そんな清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くやうな真似をするのか、と戯れた。
蓮が仏教と縁の深いことは言ふまでもないが、釈教の寓喩を籠めてゐるわけではあるまい。古今集では夏の部に入る歌だ。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしと解したい。

蓮の葉 鎌倉鶴岡八幡宮

夏も盛りとなれば、蓮池はびつしりと葉で覆はれ、熱帯的な風景を見せる。浮いてゐる葉は「浮葉(うきば)」、立つてゐる葉は「立葉(たちば)」と呼び分けて、いづれも涼感をもとめる夏の風物として好んで歌に詠まれた。

『金葉集』 水風晩涼といへる心をよめる  源俊頼

風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ日ぐらしの声

『長秋詠藻』 夏  藤原俊成

小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉

夕立のあと、風と共に浮葉の上をすべり、こぼれてゆく露の白玉――そこへ蜩の声を響かせてさらに涼気を添えた俊頼の詠。小舟で池に乗り出し、手折った立葉の露の白玉を袖に移したいと願った俊成の詠。いづれも、蓮の葉とそこに置いた白露の清らかな美への憧れが、蒸し暑い日本の夏に一服の涼を求める心と結び付いてゐるやうだ。

なほ、晩秋から冬の枯れ蓮もよく歌に詠まれたが、別項で取り上げたい。

**************

  『万葉集』巻十六(詠荷葉歌) 長意吉麻呂
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは(うも)の葉にあらし

  『万葉集』巻十六 作者不明
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む

  『蜻蛉日記』 藤原道綱母
花に咲き実になりかはる世を捨てて浮葉の露と我ぞ()ぬべき

  『山家集』(雨後夏月) 西行
夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺り据うる蓮の浮葉に

  『玉葉集』(守覚法親王家五十首歌に) 藤原実房
夕されば波こす池のはちす葉に玉ゆりすうる風の涼しさ

  『壬二集』(夏) 藤原家隆
音羽川せき入れぬ池も五月雨に蓮の立葉は滝おとしけり

  『新後拾遺集』(千五百番歌合に) 後鳥羽院
風をいたみ蓮の浮葉に宿しめて涼しき玉に(かはづ)鳴くなり

  『金槐和歌集』(蓮露似玉) 源実朝
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影

  『新後拾遺集』(題しらず) 小倉実教
風かよふ池のはちす葉波かけてかたぶくかたにつたふ白玉

  『玉葉集』(百首御歌の中に、蓮を) 伏見院
こぼれ落つる池のはちすの白露は浮葉の玉とまたなりにけり

  『為尹千首』(池蓮) 冷泉為尹
池水に藻臥しの鮒や乱るらん蓮のうき葉のゆるぎ立ちぬる

  『草根集』(荷露成珠) 正徹
池広き蓮の立葉のうつりゆく玉の林の露の下風

  『春夢草』(蓮露) 肖柏
風ふけば露のしら玉はちす葉にまろびあひてもそふ光かな

  『六帖詠草』(荷露似玉) 小沢蘆庵
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん

  『浦のしほ貝』(見池蓮) 熊谷直好

はるばると蓮の立葉(たちば)ぞさわぐなる風わたるらし大くらの池

  『亮々遺稿』(荷露似珠) 木下幸文
いま過ぎし一村雨は蓮葉のうへの玉とも成りにけるかな