和歌歳時記:蓮葉(はちすば) Lotus leaf ― 2010年06月03日
初夏、大きな葉を池に浮かせ始めた蓮は、やがて水面から茎を高く差し伸ばす。径40センチほどにもなる葉はよく水を弾き、表面に置いた水滴を風にころがす。
『古今集』 はちすの露をみてよめる 僧正遍昭
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく
「はちす」は
沼や湿田に育ち、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる蓮。そんな清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くやうな真似をするのか、と戯れた。
蓮が仏教と縁の深いことは言ふまでもないが、釈教の寓喩を籠めてゐるわけではあるまい。古今集では夏の部に入る歌だ。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしと解したい。
夏も盛りとなれば、蓮池はびつしりと葉で覆はれ、熱帯的な風景を見せる。浮いてゐる葉は「
『金葉集』 水風晩涼といへる心をよめる 源俊頼
風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ日ぐらしの声
『長秋詠藻』 夏 藤原俊成
小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉
夕立のあと、風と共に浮葉の上をすべり、こぼれてゆく露の白玉――そこへ蜩の声を響かせてさらに涼気を添えた俊頼の詠。小舟で池に乗り出し、手折った立葉の露の白玉を袖に移したいと願った俊成の詠。いづれも、蓮の葉とそこに置いた白露の清らかな美への憧れが、蒸し暑い日本の夏に一服の涼を求める心と結び付いてゐるやうだ。
なほ、晩秋から冬の枯れ蓮もよく歌に詠まれたが、別項で取り上げたい。
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『万葉集』巻十六(詠荷葉歌) 長意吉麻呂
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは
『万葉集』巻十六 作者不明
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
花に咲き実になりかはる世を捨てて浮葉の露と我ぞ
夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺り据うる蓮の浮葉に 『玉葉集』(守覚法親王家五十首歌に) 藤原実房
夕されば波こす池のはちす葉に玉ゆりすうる風の涼しさ 『壬二集』(夏) 藤原家隆
音羽川せき入れぬ池も五月雨に蓮の立葉は滝おとしけり 『新後拾遺集』(千五百番歌合に) 後鳥羽院
風をいたみ蓮の浮葉に宿しめて涼しき玉に
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影 『新後拾遺集』(題しらず) 小倉実教
風かよふ池のはちす葉波かけてかたぶくかたにつたふ白玉 『玉葉集』(百首御歌の中に、蓮を) 伏見院
こぼれ落つる池のはちすの白露は浮葉の玉とまたなりにけり 『為尹千首』(池蓮) 冷泉為尹
池水に藻臥しの鮒や乱るらん蓮のうき葉のゆるぎ立ちぬる 『草根集』(荷露成珠) 正徹
池広き蓮の立葉のうつりゆく玉の林の露の下風 『春夢草』(蓮露) 肖柏
風ふけば露のしら玉はちす葉にまろびあひてもそふ光かな
『六帖詠草』(荷露似玉) 小沢蘆庵
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん
いま過ぎし一村雨は蓮葉のうへの玉とも成りにけるかな
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