白氏文集卷五十五 新昌閑居、招楊郎中兄弟 ― 2010年08月02日
紗巾角枕病眠翁
忙少閑多誰與同
但有雙松當砌下
更無一事到心中 更に
金章紫綬看如夢
皂蓋朱輪別似空
暑月貧家何所有
客來唯贈北窗風
【通釈】紗の頭巾をかぶり、四角い枕に病んで眠る老翁。
忙しい時は少なく、閑な時は多くなって、誰と共に過ごせばよいのか。
屋敷にはただ二もとの松が軒下にあるばかり、
心の中にまで響くような事は一つとして起こらない。
朝廷に頂いた金と紫の印は、目にしても夢のようで、
黒い幌に朱塗りの馬車は、空しい幻影のようだ。
暑いこの月に、貧しい家で何のもてなしが出来よう。
客人が来ればただ北窓から風を送るばかりだ。
【語釈】◇紗巾 紗(薄絹)で作った頭巾。◇砌 軒下や階下に石を敷いた所。◇更無一事到心中 「心中には一事の気に掛かることもない」とする解もある(新釈漢文大系)が、ここは感動を誘うような事柄がないという否定的な意味で言ったものと思われる。◇金章紫綬 黄金の印章と、紫の印綬。秘書監を務めた時に賜わった物。◇皂蓋朱輪 「皂蓋」は黒い覆い。「朱輪」は朱塗りの車輪。貴人の乗る馬車。
【補記】長安の新昌坊に閑居していた時、楊氏の義兄弟を自宅に招待する時に作ったという詩。大和元年(827)、五十六歳。和漢朗詠集巻下雑「松」に第三・四句が引かれている。定家と慈円の歌は第七・八句「暑月貧家何所有 客來唯贈北窗風」の、土御門院の歌は「但有双松当砌下」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
・「但有双松当砌下 更無一事到心中」の句題和歌
庭の松よおのが梢の風ならで心の宿をとふものぞなき(慈円『拾玉集』)
我が宿の砌にたてる松の風それよりほかはうちもまぎれず(藤原定家『拾遺愚草員外』)
心にはそむる思ひもなきものを何のこるらむ軒の松風(寂身『寂身法師集』)
・「但有双松当砌下」の句題和歌
我も知り我も知られて年は経ぬみぎりに植ゑしふたもとの松(土御門院『土御門院御集』)
・「暑月貧家何所有 客来唯贈北窓風」の句題和歌
夏をとふ人やあはれにきても見んむなしくはらふ窓の北風(慈円『拾玉集』)
吹きおくる窓の北風秋かけて君が
・その他
山里は砌の松の色ならで心にのこる一こともなし(宗尊親王『竹風和歌抄』)
風はらふ砌のもとの松も知れ心にかかる塵もなき身を(三条西実隆『雪玉集』)
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