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白氏文集卷十二 長恨歌(二)2010年08月29日

長恨歌(ちやうこんか)(承前) 白居易

驪宮高處入靑雲  驪宮(りきゆう)高き(ところ)青雲(せいうん)()
仙樂風飄處處聞  仙楽(せんがく) 風に(ひるがへ)りて処処(しよしよ)に聞こゆ
緩歌慢舞凝絲竹  緩歌(くわんか)慢舞(まんぶ)糸竹(しちく)()らし
盡日君王看不足  尽日(じんじつ)君主()れども足らず
漁陽鼙鼓動地來  漁陽(ぎよやう)鼙鼓(へいこ) 地を動かして(きた)
驚破霓裳羽衣曲  驚かし破る 霓裳(げいしやう)羽衣(うい)の曲

【通釈】驪山(りざん)の華清宮は頂上が雲に突き入るほど。
この世ならぬ音楽が風におどって処々に聞こえる。
ゆるやかな歌舞に合せ、琴や笛の音が長く引き、
終日、帝は御覧じて飽きることが無い。
その時、漁陽(注:今の北京あたり)からの陣太鼓が大地を轟かせてやって来、
霓裳(げいしょう)羽衣の曲(注:西域伝来の舞曲)を唐突に中断させた。

【補記】第二十七句より三十二句まで。歓楽の絶頂の時、安禄山の乱が起こり、叛乱軍が迫ったことを叙す。高遠の歌は「尽日君王看不足」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
見ても猶あかぬこころのこころをばこころのいかに思ふこころぞ(藤原高遠『大弐高遠集』)

九重城闕煙塵生  九重(きうちよう)城闕(じやうけつ)煙塵(えんぢん)生じ
千乘萬騎西南行  千乗(せんじよう)万騎(ばんき)西南に行く
翠華搖搖行復止  翠華(すいくわ)揺揺(えうえう)として行きて()た止まる
西出都門百餘里  西のかた都門(ともん)を出づること百余里
六軍不發無奈何  六軍(りくぐん)発せず 奈何(いかん)ともする無く
宛轉娥眉馬前死  宛轉(えんてん)たる娥眉(がび) 馬前(ばぜん)に死す
花鈿委地無人収  花鉗(くわでん)は地に()てられて人の(をさ)むる無し
翠翹金雀玉掻頭  翠翹(すいげう) 金雀(きんじやく) 玉掻頭(ぎよくさうとう)
君王掩眼救不得  君王(まなこ)(おほ)ひて救ひ得ず
廻看涙血相和流  (かへ)()涙血(るいけつ)相如(あひわ)して流る

【通釈】並び立つ宮門に煙塵が舞い上がり、
千の車と万の騎馬が蜀めざし西南へ落ちて行く。
天子の旗はゆらゆらと進んでは止まる。
都の城門を出て西へ百余里、
近衛軍は進発せず、なすすべもなく、
ゆるやかに弧を描く眉の佳人は、帝の馬前で息絶えた。
美しい金の髪飾りは地に捨てられ、拾う人もない。
翡翠の羽飾りも、黄金の孔雀飾りも、玉のかんざしも。
帝は目を覆ったまま、妃を救うすべもない。
かえりみる顔には、涙と血がひとつになって流れている。

【補記】第三十三句より四十二句まで。玄宗皇帝一行の都落ちと、馬嵬(ばかい)駅において楊貴妃が刑死に処せられる場面を婉曲に描いている。歴史の伝えるところでは、近衛兵らの要求に屈し、皇帝は楊貴妃を縊死せしめたという。

【影響を受けた和歌の例】
・「花鈿委地無人収」の句題和歌
はかなくて嵐の風に散る花を浅茅が原の露やおくらん(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王掩眼救不得」の句題和歌
いかにせん命のかなふ身なりせば我も生きては帰らざらまし(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
もみぢ葉に色見えわかず散るものは物思ふ秋の涙なりけり(伊勢『伊勢集』)
かくばかり落つる涙のつつまれば雲のたよりに見せましものを(伊勢『伊勢集』)
道の辺に駒ひきわたす程もなく玉の緒絶えむ契りとや見し(二条太皇太后宮大弐『夫木和歌抄』)

黄埃散漫風蕭索  黄挨(くわうあい)散漫(さんまん)として風は薫索(せうさく)
雲棧縈廻登劍閣  雲桟(うんさん)縈廻(えいくわい)して剣閣(けんかく)を登る
峨嵋山下少行人  峨嵋(がび)山下(さんか)に行く人少なく
旌旗無光日色薄  旌旗(せいき)に光無く日色(につしよく)薄し
蜀江水碧蜀山靑  蜀江(しよくかう)は水(みどり)にして蜀山(しよくざん)青く
聖主朝朝暮暮情  聖主(せいしゆ)朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)の情
行宮見月傷心色  行宮(あんぐう)に月を見れば傷心(しやうしん)の色
夜雨聞猿斷腸聲  夜雨(やう)に猿を聞けば断腸(だんちやう)の声

【通釈】黄色い土埃が立ち込め、風が物凄く吹く中、
雲まで続く桟道は折り曲がりつつ剣閣山(注:蜀の北門をなす難所)を登ってゆく。
蛾嵋山麓の成都には道ゆく人も無く、
天子の旗に射す光も弱々しい。
蜀江の水は紺碧で、蜀の山々は青々としている。
聖なる帝は朝夕に眺めては思いに沈む。
仮宮にあって月の光を仰いでは心を傷め、
夜の雨に猿の叫び声を聞いては断腸の思いがする。

【補記】第四十三句より五十句まで。蜀の成都へ逃げのびた玄宗一行と、亡き妃への思慕に明け暮れる皇帝の日常。和漢朗詠集巻下恋に「行宮見月傷心色 夜雨聞猿腸斷聲」が引かれ、これを句題に多くの歌が詠まれた。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・聖主朝暮之慕情
朝夕にしのぶ心のしるしには天がけりても君がしらなむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・行宮見月傷心色(行宮見月)
思ひやる心も空になりにけりひとり有明の月をながめて(藤原高遠『新勅撰集』)
見るままに物思ふことのまさるかな我が身より()る月にやあるらん(源道済『道済集』)
いかにせん慰むやとて見る月のやがて涙にくもるべしやは(慈円『拾玉集』)
浅茅生や宿る涙の紅におのれもあらぬ月の色かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
うき色の草の葉ごとに見ゆるかな月もいかなる露にすむらん(寂身『寂身法師集』)
・夜雨聞猿断腸声
木の下の雨に鳴くなる(ましら)よりもわが袖のうへの露ぞかなしき(慈円『拾玉集』)
恋ひてなく高嶺の山の夜の猿おもひぞまさる暁の雨(藤原定家『拾遺愚草員外』)

天旋日轉廻龍馭  天(めぐ)り日転じて龍馭(りうぎよ)(かへ)
到此躊躇不能去  (ここ)に到りて躊躇(ちうちよ)して去ること(あた)はず
馬嵬坡下泥土中  馬嵬(ばくわい)坡下(はか) 泥土(でいど)(うち)
不見玉顏空死處  玉顔(ぎよくがん)を見ず 空しく死せる処
君臣相顧盡霑衣  君臣(あひ)(かへり)みて(ことごと)(ころも)(うるほ)
東望都門信馬歸  東のかた都門(ともん)を望み馬に(まかせ)て帰る

【通釈】やがて天下の情勢が一変し、帝の馬車は都へ取って返すが、
この場所へ至って、足踏みして立ち去ることができない。
ここ馬嵬(ばかい)の土手の下、泥土にまみれて、
楊貴妃が空しく死んだ場所に、あの美しい顔を見ることは無い。
帝も臣下も、互いに振り返っては、一人残らず涙で衣を濡らす。
東の方へ、都の城門をめざし、馬の歩みにまかせて帰って行った。

【補記】第五十一句より五十六句まで。叛乱の首謀者安禄山が殺害され、長安が官軍によって恢復されると、玄宗一行は都への帰路に就くが、途中、楊貴妃が死んだ場所に戻ると、立ち去り難く、君臣こぞって涙に昏れる。長恨歌前半の山場であり、この場面を本説として多くの和歌が詠まれた。

【影響を受けた和歌の例】
・「不見玉顔」の句題和歌
思ひかね別れし人をきてみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『道済集』)
・「馬嵬坡下泥土中」の句題和歌
世中をこころつつみのくさのはにきえにしつゆにぬれてこそゆけ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王相顧尽霑衣」の句題和歌
せきもあへぬ涙の川におぼほれてひるまだになき衣をぞ着る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『詞花集』)
ふるさとは浅茅が原と荒れはてて夜すがら虫のねをのみぞなく(道命『後拾遺集』)
みがきおく玉のすみかも袖ぬれて露と消えにし野辺のかなしき(藤原定家『拾遺愚草』)

雲の記録201008292010年08月29日


2010年8月29日午後6侍19分

日がどんどん短くなってゆく。夕焼もなんだか慌ただしく、あっと言う間に夕闇に取って代わられる。橙色の空から紅の空へ、その間5分。

2010年8月29日午後6侍25分