佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州8 多々良川 ― 2017年02月24日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州9 箱崎宮 ― 2017年02月25日
筥崎宮楼門(「敵国降伏」の匾額を掲げる)
箱崎宮
箱崎駅にあり。楼門に敵国降伏の勅願を掲ぐ。(注:福岡市東区箱崎。筥崎宮と書くのが正式という。また筥崎八幡宮とも。JR鹿児島本線箱崎駅の西南五百メートル程にある。応神天皇を主神とし、神功皇后・玉依姫命を合祀。かつては海に臨む松林の中にあった。)
いつしかも干潟を遠くあさり来て鳥居はるけき箱崎のはま
玉くしげふたたび三たびいくそたび見るともあかじ箱崎の浦
久方の月見草咲く箱崎の浜の松原をただ一人行く
箱崎のみやしろの前に神鳩と遊べる人を吾とおもはせ
補録
いく世にか語りつたへむ箱崎の松の千歳のひとつならねば
父の伴に幼くて筑前国に侍りて年経てのち、成順かの国になりて侍りければ、くだりてよめる
そのかみの人はのこらじ箱崎の松ばかりこそわれを知るらめ
はこざきや松吹く風にのこしけり波のほかまでなびくひびきを
筑前国筥崎宮のしるしの松をよみ侍りける
ちはやぶる神世にうゑし箱崎の松は久しきしるしなりけり
石清水みなそこ清き高嶺より影をうつすや箱崎の松
よひの間は松にくもりて箱崎や明方はるる浪の上の月
箱崎の松原の、いづれとなく神さびたるを見侍りて
一木にはいかにさだめし箱崎の松はいづれも神のしるしに
明けてこそ見むと思ひし筥崎の浪間にかすむ松のむら立
箱崎の松をならせる秋風に見しふるさとの月ぞもれくる
潮にしみ嵐にさびて黒む葉の松たのもしき筥崎の宮
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州10 千代の松原 ― 2017年02月27日
東公園の亀山上皇像(photolibraryフリー素材)
千代の松原
箱崎より博多に到る間の線路に傍へり。亀山天皇の御像あり。(注:福岡市東区箱崎から博多区千代あたりにかけての海岸。今も一部松林が残る。亀山上皇は元寇時に院政を執っており、筥崎宮に「敵国降伏」の宸筆を納めた。御像は東公園にある。)
西の海遠見そはなす大君の大御冠に白き雲飛ぶ
補録
二十二日、博多なる千代の松原にもどりて、また日ごとに病院にかよふ
此のごろは浅蜊々々と呼ぶ声もすずしく朝の嗽ひせりけり
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州11 海の中道 ― 2017年02月28日
海の中道(志賀島の潮見展望台より)
補録
海の中道
福岡市東区。玄界灘と博多湾を分け、九州本土と志賀島とを繋ぐ砂州。鎌倉・室町時代の歌にもその名が詠まれているが、今の「海の中道」と同じものかどうかは不明である。JR香椎線が通じ、海ノ中道駅・西戸崎駅がある。
秋の夜の汐干の月のかつら潟山までつづく海の中道
(注:かつら潟(桂潟とも勝浦潟とも書く)は福岡県福津市・古賀市あたりに広がっていた潟。この歌によれば、かつては海岸線がそのまま海の中道にまで続いていたか。)
追風まつ舟人よりも志賀の島過ぐるぞやすき海の中道
志賀の島と云ふ所は、沖へ七里、布をひきたるごとくに島あり、そのすゑに文珠まします、一首法楽せしに
橋立もおよばじ浪のうへこえて歩みをはこぶ海の中道
浦夏月
かつらがた月のあゆみもいかがせん浪まに遠き海の中道
名にし負ふ竜の宮この跡とめて浪を分けゆく海の中道
箱崎の浜のしら砂ふみさくみ海のなかみち見ればかなしも(海の中道は岬の名なり)
ふたさまに海を限れる砂地あり玄海のあらき波そこを越ゆ
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