佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』九州89 気色の杜 ― 2019年08月03日
補録
気色の杜
鹿児島県霧島市国分。天降川河岸一帯の森。「気色(様子)」の意を掛けて用いられることが多く、中世以降は特に「秋のけしき」と掛けたり、時鳥と合わせて詠まれたりした。
我がためにつらき心は大隅のけしきの森のさもしるきかな
人の来たるを帰したるつとめて、いみじう恨みて、われこそかへれといひたるに
とまるとも心は見えでよとともにゆかぬけしきの森ぞくるしき
うらみしに思ひ得ざりき音に聞くけしきの森を見る人ぞとは
(注:作者は源経信の若き日の恋人で、経信との贈答歌群にある一首。あなたの心の裏を見たが、様子見ばかりしている人―風見鶏―とは思わなかったと、相手を非難した歌であろう。)
百首歌たてまつりける時、秋たつ心をよめる
秋の来るけしきの森の下風にたちそふものはあはれなりけり
秋ちかき気色の森になく蝉のなみだの露や下葉そむらん
明けわたるけしきの森にたつ鷺のうは毛もふかく雪は降りつつ
なかなかに木の葉隠れはあはれなり秋のけしきの森の月かげ
月にほふ気色の杜の時鳥いかにつれなきねをも惜しまじ
滝波を梢にかけて山深きけしきの森の蝉のもろごゑ
夜をのこすけしきの森の時鳥青葉がくれの露に啼くなり
新刊のお知らせ 鉄道唱歌 全五集(電子復刊・注釈付) ― 2019年08月05日
今回は少し毛色の違った本です。大和田建樹作詞・交通博物館編の『鉄道唱歌 全五集』(昭和40年交通博物館刊)の電子復刊です。五集合わせ、歌詞は全部で三三四番になります。
まず知らない人はないと思われる唱歌ですが、全曲通して読んだとか、歌ったとかいう人は、よほどの鉄道ファンか物好きでしょう。
歌詞は、大和田建樹が実際鉄道に乗り込み、全国を旅しつつ即興で作っていったというもので、いかにも即興的な軽さと愉しさをそなえています。とはいえ、古典研究家にして歌人でもあった作者だけあって、豊かな教養に裏打ちされた、なかなか読み応えのあるものです。
たとえば、東海道編の第一九番、興津駅と江尻駅(現清水駅)の歌詞は、
世にも名高き興津鯛鐘の音ひびく清見寺清水につづく江尻よりゆけば程なき久能山
というのですが、なぜ前半二行の対句で「興津鯛」「清見寺」という異種の取り合わせがなされているのでしょう。そのヒントは第四行にある…といったような、謎かけ的な愉しさもあれば、第三集の奥州・磐城編の第十番、
金と石との小金井や石橋すぎて秋の田を立つや雀宮鼓宇都宮にも着きにけり
ここには東北本線(当時は日本鉄道奥州線)の四つの駅名が詠み込まれていますが、なぜ「宮鼓」などという語が突然挿まれているのでしょう。掛詞の技法に慣れた人であれば、すぐ判ることでしょう。鉄道唱歌には、しばしばこうした和歌的な技法が駆使されているのです。
交通博物館編の本では、鉄道に関する注釈・解説は充実しているものの、こうしたことまで詳しい説明はないので、鉄道唱歌をより深く味わうために、補注を付けて刊行しようと思い立った、というわけなのです。
ただ楽しく高唱し、明治時代の鉄道沿線の牧歌的な風景を楽しむだけで充分な鉄道唱歌なのですが、もう少し深い読み方をしてみたいという方には、ぜひお奨めしたい本です。
新刊のお知らせ 『東京紅燈集』 ― 2019年08月07日
吉井勇の歌集二冊目です。最初の『祇園歌集』が思ったよりは好調なので、勇の歌集の出版を続けていこうかと思っております。近代歌人ではいちばん好きな人です。
京都の町と女を主題とした『祇園歌集』に対し、東京の街と女を主題としているのが『東京紅燈集』です。町と女が融け合っていたような前者に対し、後者は女の方が主役として前面に出ています。
「女」というのはもとより紅燈の女、花街の女ですが、当時(明治末~大正初頃)、まだ芸能界が発達していなかったので、青少年の憧れの存在は花柳界の美女たちでした。彼女たちのポートレートが「美人絵葉書」として売られ、今のアイドルみたいな人気を集めていた人もいるようです。
この人は下谷の芸妓栄という人で、やはり絵葉書で人気を博していたようです。なるほどと頷かれるような美人です。勇は、
うつくしさ何にたとへむ榮をば玉と云はむはあまり冷たし
という歌で彼女を讃美しています。
新橋の芸妓「栄龍」などは有名ですから御存知の方もおられるでしょうが、やはり勇は逢いに行って歌を残しています。
二十代後半の独身青年だった勇は、夜毎東京の遊里に出かけては、彼女たちとの出逢いを求めていたのです。
勇は当時すでに著名人で、しかも没落貴族とはいえ伯爵家の御曹子という身分にあったわけですが、勇の女性たちに対する態度はかなり純情なものでした。実際恋愛関係に至ることもあったようですが、全般的には谷崎的な女性崇拝さえ感じられます。ドン・ファン的な猟色家からは遠い人でした。
新刊のお知らせ『夏のおもひで ―吉井勇鎌倉歌集―』 ― 2019年08月15日
Kindleにて『夏のおもひで ―吉井勇鎌倉歌集―』を発売しました。
「夏のおもひで」は吉井勇の処女歌集『酒ほがひ』の第四章にあたる89首の連作で、勇が18歳(満年齢)の夏に鎌倉で病後の療養をしていた時に出逢った少女との恋の思い出を綴ったものです。少女は夏だけ別荘に滞在していて、勇はその後も鎌倉で療養生活を続けたので、夏の終りとともに二人の恋も終わりました。しかしその後も手紙のやりとりなどはしていたようで、勇は鎌倉を訪ねるたびに恋を回想しては歌を詠み、以後の歌集にも「湘南哀歌」「鎌倉哀歌」などと題した連作が見られます。そうした歌を一巻に集めてみたものです。
表紙には川瀬巴水の版画「相州七里ヶ浜」を借りました。
巻末に附録として、勇が自身の歌を素材に書いた歌物語から七篇ほどを抜萃し、「歌物語 月あかり」というタイトルを付けました。少しでも歌の背景の理解が深まれば幸いです。
「あとがき」にも書いたのですが、勇には『祇園歌集』と『東京紅燈集』という、彼が愛した二つの町の名を冠した歌集があります。勇が「第二の故郷」いや「第一の故郷」とまで呼んだ鎌倉を主題にした歌集が一つあっても良いだろうと、そんな思いから編んでみたくなった歌集です。
新刊のお知らせ『酒ほがひ』 ― 2019年08月16日
Kindleにて吉井勇の第一歌集『酒ほがひ』の電子復刻版を発売しました。
原本は高村光太郎装幀の表紙、木下杢太郎の扉絵、藤島武二のカットという、贅を尽くしたつくりの、非常に美しい本です(上の表紙の画像は、汚れを取ったり彩度を上げたりなどのデジタル加工を施したものです)。扉絵やカットもデジタル画像として収録してあります。
明治43年の刊。明治末から大正初め頃にかけては、短歌の驚くべき隆盛期で、のち大歌人となる人達が次々に処女出版をしています。
与謝野晶子『みだれ髪』明治34年
太田水穂『つゆ草』明治35年
窪田空穂『まひる野』明治38年
若山牧水『海の声』明治41年
前田夕暮『収穫』明治43年
北原白秋『桐の花』大正2年
斎藤茂吉『赤光』〃
『酒ほがひ』はこの中に入れても全然遜色がない、どころか最もすぐれた歌集ではないかと思われるほどです。晶子は勇の登場によほど驚愕したのでしょう、「人麻呂―和泉式部―西行―勇」の順に和歌は発展した、といったことを書いている程です。
連作がおのずから物語をなすところに一特徴があり、勇の歌はアンソロジーによっては味読不可能です。作風は多彩で、最終章の「夢と死と」などは近代短歌というよりは現代短歌の祖みたいな感じです。「海の墓」は塚本邦雄の海洋短歌を思わせるところがあります(というか塚本が真似たのでしょう)。
明治書院の和歌文学大系にも入っているくらいで、文学史上の評価は揺るぎないのですが、晶子・白秋・茂吉あたりに較べるとあまり読まれていないように見えます。とても残念なことです。
新刊のお知らせ『みだれ髪(初版本電子復刻・全挿画付)』 ― 2019年08月17日
Kindleにて与謝野晶子の『みだれ髪』の電子書籍を発売しました。
『みだれ髪』はすでに青空文庫版が無料で入手でき、他にも電子書籍は数種出版されているので、今更と思っていたのですが、美しい初版本の復刻版はいまだ出ていないので、「初版本電子復刻・全挿画付」として出版することにしたものです。
藤島武二装幀の表紙、扉絵、挿画をカラーのデジタル画像として収録しています。
本文については、明らかな誤植・誤脱は改めましたが、なるべく初版本に忠実に従うように努めました。例えば初版本では「かはゆし(可愛し)」が「かわゆし」、「えにし(縁)」が「ゑにし」になっていたりするように、歴史的仮名遣の誤りがいくつか見られます。これらは今流通している文庫版などではきちんと訂正されているのですが、明らかに誤植ではなく、初版当時の晶子の思い込みによる仮名遣だと思われるので、本書ではそのままとしています。従って新潮文庫に基づく青空文庫版とは異同の少なくない本文となっています。
とりあえず著作権の切れた歌人の名歌集はすべてやまとうたeブックスにて電子化する予定でおります。いや「名歌集」というほど評価されていない歌集でも、読む価値のあると思われる歌集はどんどん出してゆきたいと思っております。リクエストも歓迎しますので、お気軽にメール下さい。
新刊のお知らせ『草径集(岩波文庫補訂版)』 ― 2019年08月25日
Kindleにて大隈言道歌集『草径集』の電子書籍を発売しました。320円です。
底本は正宗敦夫の校訂になる岩波文庫です。新日本古典籍データベースで大隈言道自ら版下を作った『草径集』が閲覧できるようになっていましたので、岩波文庫を校正してみたところ、誤りが幾つか見つかりましたので、補訂版として電子出版したものです。振り仮名・振り漢字も補足しました。
幕末という激動の時代を、政治とは無縁に生きたような大隈言道ですが、その世界観はなかなかラディカルでした。ものの観察の仕方など、今も学ぶところが多い人と思います。
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